1136日目・・・「ハシモト」さんは「エライ、ッ」・・・「政治屋」ではなく、「政治家(?)」では、ある、ナ、ッ・・・「本質」から逸脱して「国家枠」、「国家枠外」の論理に於いても「某TVマスコミ知識人の女キャスターと男解説者のタジタジのダメ論理」と、「知識人らしい超党派の国会ご婦人達」の物言い、難癖、イチャモンは「大阪市長」に負けているなッ。確かに「英語力」のモンダイではなく「国語力」の問題である。意外や以外の「人権論理」を矮小化する「国会バッチを憑(つ)けた井戸端偽善会議」では「女性の解放」は元より「男

ーーー↓記紀の頁の夂(チ・おくれる)の本
           遅・遅れる
           知・贈れる→海事国際法
            ↓
 オルトラン著『万国海律全書』(榎本自らが書写し数多くの脚注等を挿入書籍)→官軍の黒田清隆に贈呈
 ーーー↓号は梁川(リョウセン・梁=はり・川=かわ)
 ・・・梁+川→川の梁なら「橋」である・・・
 梁=「氵(みず・サンズイ→纂隋・纂蕊・纂蘂・纂髄)」
 +
 刀(かたな・トウ→等・当・唐・問う・討・答・訪・樋・橙・棟)
 +
 ハ(はち・やっつ・は→葉・場・羽・馬・罵)
 +
 十(壱拾・足→足軽→徒歩・歩行町=おかちまち)
 +
 八(ハチ・やっつ・捌→裁く・砂漠・沙漠・佐幕)」
 の
 記紀古事記日本書紀)の頁(ページ・ケツ・おおがい=鴎外)の夂(チ・おくれる)の本・・・
 「梁(リョウ)」を「漁る」・・・「真名仮名」・・・
   ↓文明開化の「梁」とは「南梁」の事績である
梁 (南朝) - Wikipedia
 以下のスベテの原文はウイッキペデアから参考、参照し、抜粋し、少々改作添付したモノです・・・
ーーー↓文明開化の「梁」
 梁(502年〜557年)
 中国
 南北朝時代
 江南に存在した王朝
 斉国の始祖
 蕭道成の
 族弟
 蕭順之の子
 蕭衍は、
 斉国の皇帝
 東昏侯の暴政で
 兄、
 蕭懿が殺害され
 501年に
 荊州襄陽において
 藩鎮や豪族・土豪を結集して挙兵
 建康に進撃
 東昏侯や側近を
 粛清した
 蕭衍は
 新帝に
 東昏侯の弟
 和帝を擁立
 502年に
 和帝から禅譲
 梁を建国
ーー↓
 ・・・そもそも、「蕭(ショウ・セウ)」とは「草の名」で「ヨモギ(蓬・蕭・艾・蒿)=よもぎ」の一種で、「 蕭艾(しょうがい)」である。形容詞的には「ものさびしい」である・・・だが「蓬莱山(ホウライサン)」は「日本」に存在すると中国人には考えられていた。実際に日本の地名として・・・
ーー↓蕭衍の「蕭」
 「蓬莱山」は滋賀県大津市琵琶湖国定公園比良山地中部に属する山
 日本「三百名山」の一つ
 北緯35度12分34秒
 東経135度53分09秒
 山頂には
 「一等三角点」が「比良ヶ岳」が設置され
 「1173.94m」となっている
 琵琶湖東岸からは
 「比叡山から比良山地」まで続く山並みが見える
 比良山地は古生層へ貫入した
 花崗岩からなり、
 東側は
 断崖となって
 屏風のような
 山が聳えている
ーー
 宝来(南阿蘇・宝来宝来神社)
 朋来(大阪府大東市朋来)
 鳳来(愛知県新城市鳳来寺にある山)の
 同音地名も存在する
ーー
 蓬莱とは元来中国の伝説で
 仙人が住む東海にある
 霊山の意味・・・例の纂・・・?
ーー↓蕭衍の「衍」
 「衍」=「エン・あまる」
    余分にあまる・余計な・延び広がる・押し広げる
 熟語は「衍字・衍文・衍義・敷衍」
 衍字(エンジ)は誤って語句の中に混入した不要の文字
 衍文(エンブン)は誤って語句の中に混入した不要の文章

ーー↓高祖武帝(蕭衍)
 武帝
 疲弊した民政の回復を図り、
 積極的な政治改革を行なった
 創業当初の
 天監年間
 九品中正法の改定
 梁律の頒布
 租税の軽減等の政策
 治世は安定
 旧来の貴族の子弟が入る
 国子学以外に、
 寒門の子弟を対象とした
 教育施設として
 五館を設置
 武帝の長男である皇太子
 蕭統(昭明太子)の
 『文選』、
 蕭統の死後皇太子となった
 蕭綱(簡文帝)らによる
 宮体詩を収録した
 『玉台新詠』の編纂
 「捨身」の教えである過度の
 仏教保護や経済政策の失敗
 貴族層の実務忌避
 台頭した寒門側近による専権
 官吏の綱紀弛緩
 繁栄の影で社会不安が深刻化
 548年
 北朝東魏の降将
 侯景が河南
 十三州を手土産にして
 武帝に帰順
 武帝は侯景の帰順を受け入れたが、
 東魏軍は侯景・梁軍を破って河南を奪還
 東魏は梁との
 和睦を図り、
 武帝もそれに乗ったため、
 東魏に破れて
 寿春に逃れていた
 侯景は窮地に立たされ、
 臨賀王
 蕭正徳と内通して
 1000名の軍を率いて
 548年
 十月
 二十二日
 首都
 建康を包囲
 各地に分封されていた
 諸王や宗室たちは
 互いの利を見て牽制し
 武帝の救援に積極的に動かなかった
 その上、梁軍で唯一の
 名将だった
 羊侃が急死
 549年二月に
 偽りの和議を
 侯景と結んだ
 挙句に
 三月十二日には
 和議を破棄されて
 建康は攻撃されて落城
 武帝
 侯景に捕縛されて幽閉
 首都陥落後
 二ヵ月後に
 八十六歳で崩御
 侯景は武帝に代わる
 新皇帝として皇太子の
 簡文帝を擁立したが、
 侯景の厳重な
 監視下に置かれた
 傀儡であった
 各地の藩鎮はこれに従わず、
 侯景は自ら軍を率いて
 物資確保のために
 三呉地域の平定に乗り出した
 武帝
 七男
 蕭繹は建康から逃れてくる梁の残党や避難民を吸収して勢力を拡大し、江陵を中心にして侯景と対峙し、
 対する
 侯景も
 巴陵で激突し、
 蕭繹軍の
 名将
 王僧弁の活躍で
 侯景軍は大敗し、
 王僧弁や
 陳覇先により
 建康に追い詰められた
 侯景は
 簡文帝を殺害し、
 新たに擁立した
 蕭棟も廃して
 自ら皇帝に即位し
 陳覇先や王僧弁を迎撃したが敗北
 逃走中に部下に裏切られて
 552年四月に殺害
 侯景の乱は平定
 梁の新皇帝には
 蕭繹が
 元帝として即位
 梁国内では
 武陵王
 蕭紀が
 元帝に従わずに争ったが
 この戦いで
 元帝が勝利
 この一連の混乱の間に
 勢力を拡大した
 西魏
 襄陽にいた
 蕭詧(武帝の孫、昭明太子の子)を
 後梁の皇帝、
 宣帝として擁立し、
 江陵に迫る
 江陵は
 554年
 十一月に
 西魏
 五万により陥落
 元帝は戦死
 旧都
 建康を守備していた
 王僧弁と陳霸先は、
 元帝の九男である
 蕭方智を擁立
 王僧弁は梁再興のために
 北斉と同盟を結ぶ事を説く
 徐陵の提言を受け、
 武帝の甥
 蕭淵明(蕭懿の五男)を
 北斉から迎え皇帝に擁立
 蕭方智を皇太子とした
 この即位に陳覇先が
 非正統性と
 北斉の介入に反対したため、
 王僧弁と陳覇先の対立
 555年九月
 陳覇先は
 王僧弁を建康で殺害し、
 再び
 蕭方智を皇帝とし、
 二年後の
 557年十月に
 敬帝から禅譲
 陳を建国
 梁は滅亡
 後梁
 西魏とそれに代わった
 北周・隋の傀儡政権として、
 後主・
 蕭蒴まで
 三代続いたが、
 587年に
 隋の
 文帝によって廃された
ーー
 梁の経済
 南朝では宋、斉の時代から
 貨幣経済が急速に発展して
 基軸通貨であった
 銅銭の銅の不足と私鋳による
 悪質貨幣の蔓延で
 正常な経済発展が損なわれていたため、
 武帝
 良質な貨幣の発行、通貨不安を取り除いた
 ところが武帝
 523年から
 銅銭に代わる
 新たな基軸通貨として
 鉄銭の鋳造命令を発し
 貨幣不足は解消されたが
 偽銭が大量に出回り、
 貨幣の信用は無くなって
 530年代に
 貨幣の価値は急速に下落

 それが梁の衰退につながった
ーー
 皇族・官僚
 武帝の治世が長期化し
 皇族や官僚に私財を蓄え不正が横行
 武帝実弟
 蕭宏は武帝の治世で
 三億に及ぶ不正蓄財を行なってた
 官僚も日夜酒宴や女色に溺れ
 実務を省みなくなり
 風俗が乱れ奢侈が横行
 民衆からは厳しい租税を収奪
 治安も乱れ、中央では賄賂が横行
 冤罪で処罰される者も増大
 白昼殺人、強盗が起こるが、
 それを捕縛すべき官吏は
 金銭の授受次第で見逃すという事態
ーー
 武帝
 貴族の子弟が入る
 国子学と、
 五館という学校を設置
 五館とは儒教の経典五経に通じた博士の官が学生の教育に当たる学校で、単なる教育機関ではなく、試験を行なって
 官吏を登用する
 官吏養成所の性格を持っていた
 後に隋で開始される
 科挙の源流
 武帝は身分の上下に関わらずに
 才能次第で官吏を登用
 奈良時代平安時代の日本文学に影響を与えた
ーー
 武帝は貴族の中でも
 下級の貴族を選抜、側近に登用し、
 法制や礼制の整備に努めた
 曹魏時代からの
 九品中正法を改めて
 品から
 班に改め

 従来の基準を大幅に改編し
 皇帝権力を強化するために
 官僚制への移行を積極的に推進した
ーー
 武帝は仏教に傾倒
 梁の衰退を招いた
 武帝は在位中に
 四回も
 「捨身」を行ない、
ーー↓
 捨身(シンシャ・すてみ)
 身を捨てて
 他の生物を救い
 仏に供養する
 布施行の一つ
 焚身・入水(経典の証例無)・投身
 断食・頸縊・自害
 薬王菩薩の焼身(法華経)
 薩埵太子の
 捨身飼虎(金光明経)
 雪山(セツセン)童子
 捨身羅刹(ラセツ・北本の涅槃経)
 月兎(ウサギの焚身・今昔物語
 捨身
 日本では奈良時代
 僧尼令で禁止
 十世紀末から盛ん
 ・・・仏教の教えには「拾身」は無かった?・・・「骨肉(コツジク)」は拾って、埋めて、「供養」した・・・これは「仏教以前」からだろう・・・?・・・以前TV番組で「象さん」の群れが仲間の「死体」に各々が長い鼻で触れて別れの「儀式」をして、その場を去っていく映像を見たことがある。人間も含めて「母親(?)」は子供の命を「捨て身」で護るのは「自然」だと思っていたが、「人間界」は少々違って、「死体・遺骨」を隠蔽、放棄しているどころか「生きている人間」を誘拐、拉致、監禁している事件が多発している・・・まして、「国家支配階級」は「安全な場所」で胡坐をかいて「酷使・収奪・搾取」はすれ、「捨て身」で「国民(?)」を護るとはトテモ、トテモ・・・「仏教」は「現世国家」を滅ぼすのはアタリマエだが「現世社会」を救わない・・・「弥勒ミロク→視録・視賂苦・視賂苦)菩薩(ボサツ→簿冊・募札・母殺)」が「来世の極楽と地獄」を用意してくれている・・・今現在の「弱肉強食・弱者切捨て」を救う「現世観音様」じゃぁないからナッ。頭の中で勝手自由に「妄想・空想・幻想・諦念」を抱いて、「諦めろ」ってコトである・・・厭(嫌)なら、生きている間に自分自身の「意識」を変えて、相互に「拾身」しろッ・・・「イタマしい命」は「勿体無くも、アレ」・・・
ーー↓
 仏教に基づいて
 儀礼、政事を行ない
 大赦
 改元を伴って行なった
 異常ともいえる仏教傾倒は
 仏教隆盛をもたらした反面で、
 皇帝や皇族の放恣や側近による専権、
 貴族層の実務忌避や寺院の建立による
 財政悪化
 民衆の窮乏と社会不安の増大
 国勢の衰退を助長
 
 高祖武帝(蕭衍、在位502〜549年)
 太宗簡文帝(蕭綱、在位549〜551年)
 廃帝豫章王(蕭棟、在位502〜551年)
 世祖元帝(蕭繹、在位552〜554年)
 閔帝・貞陽侯(蕭淵明、在位555年)
 敬帝(蕭方智、在位554〜557年)
 蕭荘(在位557〜560年)
    王琳ら・北斉によって擁立(南梁)
 後梁
 中宗宣帝(蕭詧、在位554〜562年)
 世祖明帝(蕭巋、在位562〜585年)
   後主(蕭蒴、在位585〜587年)

ーーーーー↓梁(はり)
 建物の水平短径方向に架けられる横木
 床や屋根などの
 荷重を柱に伝える材
 主に
ーー↓
 曲げ応力を→「曲の楽譜」は「横縞」に音符
       音符は御玉杓子
       御玉杓子は汁を掬(すく)うモノ
       掬うは「凹くぼんだ形のモノ」で
       液状・粉末状のものを抉り取るコト
       音符はカエル(蛙)の
       コ(子・児・弧・呼)
   ・・・「足を掬(すくう)」って、「ヘラクネス」の「足・脚」を狙った「化け物の蟹」か、「アキレス(アキレウス)」の「かかと・踵骨腱・脛・臑・腱」を狙った「パリス(トロイの王子)」であろう・・・「蘆=葦・芦→鸕(鸕野讃良・持統天皇・大倭根子天之廣野日女尊・高天原廣野姫天皇・大化元年(645年)〜大宝二年十二月二十二日(703年1月13日)・第四十一代天皇・称制=朱鳥元年九月九日(686年10月1日)・在位持統天皇四年一月一日(690年2月14日)〜持統天皇十一年八月一日(697年8月22日)・鵜を救った」のは「郭公(郭務悰)=大海士皇子(天武天皇・天渟中原瀛真人(あまのぬなはらおきのまひと)天皇・在位天武天皇二年二月二十七日(6733年3月20日) から朱鳥元年九月九日(686年10月1日)・第四十代天皇」である・・・
       杓文字(シャモジ)・・・写文字
ーー↓    ヘラ・・・経等
       箆は御飯を「他所留(よそる)モノ」
       で、
       「装う+盛る」との
       混交語ではない、だろう・・・
       「ヘラ」は
       「他所(よそ)+留(る)」モノである
       「ヘラ・ヘレナ」は「月の女神」
       「ゼウス・ジュピター・ユピテル」の
       オリンポスの神々の主神
       「木星男神」の妻である
 へら(箆)。塗ったり剥がしたりにつかう道具。
 へら(鐴)。犂(すき)の後部。
 ヘラブナ(箆鮒)の略。魚の種類。
 ヘラ (小惑星103番) (Hera)。
    1868年に
    ワトソンが発見した小惑星
 ヘラ (小惑星699番) (Hela)。
    1940年に
    ヘルフリッヒが発見した小惑星
 ヘラ (小惑星1370番) (Hella)。
    1935年に
    ラインムートが発見した小惑星
 ヘラ(HeLa)ヒト癌細胞の細胞株。
 ヘーラー (Hera)ギリシア(希臘・Greece・Greek・greece, hellenic republic, ellas=西欧南東部共和国、the Balkan peninsula=バルカン半島の南に位置)
    神話の結婚の女神
    ヘラ・ヘレン・ヘレナと同一
    アルカディアでは
    女性の一生涯を表す
    パイス(乙女・処女)、
    テレイア(成人女性・妻)、
    ケーラー(寡婦・後家)の
    三つの名で呼ばれた。
    象徴(シンボル)の
    聖鳥は
    孔雀、
ーー
    郭公、・・・カッコウは托卵鳥
       オオヨシキリ
       ホオジロ
       モズ(百舌・鵙・百舌鳥)、
       オナガ等の巣に托卵
    雛(ヒナ)は十〜十二日程度で孵化
    先に生まれたヒナは巣の持ち主の卵や
    ヒナを巣の外に排除し、自分だけを育てさせる。
    ある郭公が巣に卵を産みつけた後、
    別の郭公が同じ巣に卵を産むことがある。
    二つの卵がほぼ同時にかえった場合、
    二羽のヒナが落とし合いをする
    郭公の卵を見破って排除する鳥もいる。
    それに対抗し、
    郭公もその鳥の卵に模様を似せるなど
    見破られないようにする
    能力を発達させており、これを
   「片利片害共進化」の典型
    ・・・と・・・云うらしい・・・
    別名は
    閑古鳥(カンコドリ)
    会津若松市(市の鳥)
    札幌市(市の鳥)
    矢巾町(町の鳥)
    ・・・何故?か、「由来」を訊いて見たい・・・が、幕末明治の「蘭学者」の存在だろう・・・
ーー
    鶴(つる・カク)・・・嘴、脚は長い
    聖獣は牝牛。
    象徴は
    百合(ゆり・ヒャクゴウ)、
    柘榴(ざくろ・タクル)、
    林檎(りんご)
       リンゴは旧約聖書
       アダムとイヴの原罪の源
    ローマ(羅馬)神話では
    ユーノー(ジュノー)と
    同一

 ヘル (Hel, Hela)。北欧神話の死の女神。
ーー↓
 担う。
 梁は主に
 鉛直
 荷重
を伝えるが、
 地震などに際しては
 水平方向の
 荷重を支えることにもなる
 梁に荷重がかかると、
 内部には、圧縮・引張・曲げ・剪断応力がはたらく。
 鉛直荷重がはたらいた場合、
 たいてい
 梁は
 下に凸となるような形に
 たわみを生じ、
 上部はわずかに
 凹に
 縮み、
 逆に
 下部は
 伸びるように変形。
 断面のおよそ
 上下半分近辺には
 伸びも縮みもせず、
 圧縮応力も
 引張応力も
 生じない面があり、
 そこは
 「中立軸」と定義される。
ーーーー↓「倭建(ヤマトタケル)」は建築技師、匠の守
 枕草子
 (二九段)・・・弐拾九段・二十九段・弐九段・念玖
         2+9=11=壱拾壱=一足一
         2×9=18=壱拾八=一足捌

 心
 ときめき
 するもの
 雀の子。
 兒
 あそばする所の
 前
 わたりたる。
 よき
 薫物
 たきて
 一人
 臥したる。
 唐鏡の
 少し
 くらき
 見たる。
 よき男の
 車
 とどめて
 物いひ
 案内せさせたる。

 頭洗ひ
 化粧じて、
 香に
 しみたる
 衣著たる。
 殊に
 見る
 人なき
 所
 にても、
 心の
 うちは
 なほ
 をかし。
 待つ人
 など
 ある夜、
 雨の
 脚、
 風の
 吹き
 ゆるがす
 も、
 ふとぞ
 おどろかるる。
ーーーーー
 ・・・いと、おかし・・・