1103日目・・・パストラル・・・ぱすとらる・・・13時50分・・・そうですか・・・「ハナシ」を、「愚痴」を「きいてあげるコト」ですか・・・イキテイルヒトはイキテイルヒトのハナシをキイてあげてください・・・そのハナシの中でタマシイがアソンデイルラシイ・・・ボクにとっては「パス・トラ・ル」の「コジキのトラ」のハナシです・・・「女織田信長」・・・オン、ナ、オリ、ダ、ノブ、ナガイ・・・22時・・・天海 祐希(あまみ ゆうき・1967年8月8日〜)・・・テンカイユウキにはホレタ・・・

 暇で興味のアル人は以下の「ボクの家頁」へ、どうぞ「ゴ渡来」くだされ・・・
六十干支・十二支・十干・再考(1)
ーーーーー???
 パストラル
 (pastoral英・pastorale仏・pastorale伊・パストラーレ)は、
 「形容詞」で
 羊飼いの
 ライフスタイルや牧畜、
 季節や水・食糧の
 入手可能性のために
 広大な
 陸地を家畜と移動すること
ーー
 羊飼いの生活を描いた
 文学・音楽
 「名詞」の
 「パストラル」は
 詩(田園詩、牧歌)
 美術(田園画)
 音楽(田園曲)
 ドラマ(牧歌劇)のこと
 文学の「パストラル」、 
 「名詞・形容詞」の両方としては
 「ブコリック(bucolic)」とも・・・「ぶコりっ句」である・・・?・・・分拠理通句・・・武虎裏通句・・・
 ギリシャ語の「牛飼い」を意味する
 ブーコロス(βουκóλος)に
 由来する言葉で、
 牧畜の伝統がギリシャ起源・・・であるらしいが、「ブーコロス」って日本語のボクが直接聴いたら「ブー(豚・ブタ)・コロス(殺す)」って、聴こえるだろうな・・・ジックリ、文字を考えて択ぶならば「武有殺す」か「武得古賂諏」で、「部(分・文)得、故呂素」、「武ウ(鵜・鸕・菟・兎・卯・烏・烏・芋・胡)、殺す」・・・あるいは「鸕野讃良」が「持統天皇」であるならば、「武(則天武后)、夫、殺す」、「ブー→ブウ」の「ウ」が「胡(えびす=蛭子・恵比寿・恵比須・戎・夷)」ならば、「武のエビス、殺す」・・・「武のエビス、呼は露(魯・呂・侶・炉・芦・鷺)州」・・・「ブーコロス」が「豚=猪=亥」なら、十二支の「亥」は北西で、ギリシャの首都「アテナ(雅典)」の北西は「ローマ(羅馬)」で、十二支の「寅」の北東には「トラキア」である。チナミに「亥と寅」は「支合の関係」である。
ーー↓
 「アマゾン」とは「女戦士(アマゾネス)」の部族である
 当時の「アマゾネス」は「トラキア」から黒海沿岸に及んでいたらしい。伝承の「アマゾネス」は軍神アレスの眷属。
 ギリシャとの戦闘で捕虜にした男たちを奴隷とした。
 生まれた女子は、部族の権利を与え戦士とし養育し、男子は奴隷とした。
 女戦士たちは弓を射るのに邪魔な右の乳房(アマゾス)を切除・・・したらしい。
ーー↓
 そして「アテネ(雅典)=アシナ→葦名→アテナ→宛名」は技術、学芸、戦いの女神の名前で、父のゼウスの頭から生まれた・・・母は知恵の女神「メティス」であるが、ゼウスは「アテナ妊娠中のメティスごと丸呑み」にして「鍛冶屋の神ヘイパイストス」に頭を「搗ち割(カチワッテ)」もらい産んだのが「アテナ女神」であった。母親はゼウスの体内に霊魂として留まった。「パラス(Pallas)」、「ポリウーコス(Poliucos)」、「都市(ポリス)」の「守護神」で、武装した「処女神」である。都市国家アテネ(雅典)」の象徴は「オリーブ(月桂樹)→聖樹木」と、「ミネルバ(梟・ふくろう)→聖鳥」である。
ーー↓
 「羊飼い」とは「牧畜家業の人々」であるが、「聖書」では「モーゼ(旧約)」と「キリスト(新約)」のことである。
 で、
 「羊→未(ヒツジ)」の
 「飼い→解(カイ)」とは
 「生神女マリア(正教会)」、
 「ヨアキムとアンナの娘マリア」、
 「童貞マリア」、
 「未艶=マリア景教)」の
 「歌意」で
 「聖歌のアベ・マリア」・・・
 「ヨセフの妻マリア」、
 キリストの母の名である。
 そして
 「キリストの妻(?)」だったらしい
 「携香女(けいこうじょ)亜使徒」の
  称号を有する
 「マグダラのマリア
    ↓
 「罪の女」→「娼婦・売春婦・売笑婦」は
 「7月22日カトリック)」と
 「8月4日(正教会)」が「記念日(聖名祝日)」である。
 「新約聖書福音書」に
 登場する二人のマリアに加え、もう一人・・・
 「ベタニアのマリア」が記録されている
 「古事記」の
 「ひめ=姫・媛」は
 「比売」と記録されている・・・「比べ売り」である・・・何(なに・カ・?)を「比較して売る」のか・・・「美貌=ビュウティ・beauty」か、「技芸=テクニック・technique」、「excellent=エクセレント」か・・・「sexual technique」・・・記録上の「名前←比売」そのものである。
 数量の数「基数詞(一つ・三人・五冊)」と、順序の数「序数詞(一番・二号・三位・第四)」 があるが、「名数」の「助数詞」は「匹・頭・首・尾・枚・束・房・羽・冊・個・席・反・艘・台・騎・機・宿・杯・店・点・書・籍・戸・屋・株・巻・品・本・章・節・頁・画・句・丁・振」・・・「キ」は「姫」の音読みであるのだが・・・「市姫」・「乙姫」・「十市姫」・「百姫」・「千姫」・「萬姫」・「億姫」・「京姫」・・・
 ・・・誰(who?→何方?→何人?)、何事(what?)、何時(when?)、何処(where?)、何故(why?)・・・如何(how?)・・・一般的には「何人(なんにん)」は人数の数詞呼称である。同じく「何名(なんめい)」とは「人数」を訊ねる「数詞」である。「人」を訊ねるのは「誰(だれ)、何方(どなた)、如何なる者」である・・・混乱するョ、ナ、ッ、ニホンゴ・・・
ーー
 「パストラル」は「酒飲みのパン神(ディオニッシュ)」に関係してくるから・・・「大酒のみのトラ(虎)」の周辺に関係する人々だった・・・?・・・確かに適度に「酔っ払っている時の人々」の「表情・行為・言葉」は現世から解放されたようで、楽しげで、救われているようにも見える・・・過度になれば「眼つき」は鋭く、「行動」は乱暴、「言葉」は支離滅裂で、吼える・・・やがては鼾(いびき)をかいて眠り込んでしまうだろう・・・
 兎に角、「呑み屋」・・・ではダレかが聴いてくれるカモ・・・グチやナヤミ、ヒミツを・・・それに「精神科医」も「坊主・神父・牧師」も・・・カネがいるかも・・・ネッ・・・身内や親友はどうか?・・・孤独感や孤立感は、その殆んどが「身内・親友・愛人」からの「疎外」を感じた時だろう。それに「身動きの出来なくなった病や、不治の病を宣告された時」・・・では、ダレに・・・「同類のモンダイを抱える他人」なら・・・でも、出遭う会うチャンスはあるのか・・・?・・・都会では野良犬は見当たらない・・・野良猫はいるけれど?・・・寄り添ってきて聴いてくれるかどうか・・・メール?・・・なんか、そんな「映画」があったけれど・・・
 この市民社会の枠内で・・・聴いてもらうヒトではなく、聴いてあげるヒトになったら、スグに見つかるカモ・・・
 「拉致誘拐、強制監禁」されたら・・・ソレマデかも・・・でも、イキがナクナルまで、タマシイとイキツヅケル・・・その最期の魂の一瞬は1000年、万年、億年に匹敵する時間かも・・・ 
ーー
 パーンは羊飼いと羊の群れを監視する神で、
 サテュロスと同じく
 四足獣のような臀部と脚部、
 山羊のような角をもつ(獣人)
 父親はゼウスともヘルメースともいわれ、
 母親はニュムペー

 古形「パオーン、Παων、Paon」(「牧夫」の意、現代英語のpastureと同じ接頭辞)から名付けられた
 ギリシア語の「パン」(「全ての」の意)としばしば誤って同一視された結果、
 パーン神は性格と名前が誘惑的なものと思われるようになった。

 原初のパネース
 オルペウス教の
 創世神話に登場する
 原初の
 両性存在の神、プロートゴノス(Πρωτογονος、最初に生まれた者)あるいはパネース(Φανης、顕現する者)と同じものとも考えられた
 この神は原初に
 卵より生まれた
 両性の神で、
 原初神
 エロースの
 別名
 娘ニュクス(夜)とのあいだに初原の神々、
 大地(ガイア)
 天(ウーラノス)を生み出した存在
 (Protogonus/Phanes)
 また「全て」という意味
 アレクサンドリアの神話学者
 ストア派の哲学者たちによって
 「宇宙全ての神」であると解釈された
ーー
 パーンが
 テューポーンに襲われた際に
 上半身が山羊、
 下半身が魚の姿になって逃げた
 山頂にも海底にも世界のあらゆるところに到達できるとされ、
 「全て」を意味する
 接頭語
 Pan(汎)の語源となった
ーー↓
 「汎」=「氵=水」+「凡=亜・亞」
  ↓
 「山羊」が「サンヨウ」で、
 「魚」は「サカナ=作仮名」で、「まな=真名」、「ギョ=禦・御」で「漁=あさる」である・・・
ーー↓
 辞典・事典・字典・時点・次点・自転
  ↓
 凡人、平凡、梵語、旺文
 大修
ーー↓
 言語上の
 誤解は
 ホメーロス風諸神賛歌のなかの
 「パーン賛歌・第19編」から始まったらしい
 『賛歌』の、
 パーンは
 ドリュオプスの娘、あるいは
 ニュムペーと
 ヘルメースの間に生まれ
 山羊の脚、
 頭に
 二本の角を生やす
 パーンの身体を見て恐れた母親は逃げた
 ヘルメースはパーンを
 野兎の皮でくるんで
 神々のもとへ運び、特に喜んだのは
 ディオニューソスだった
 そして「全ての神々を喜ばす」として、
 そこから名前を得たのだという。

 パーンの別名
 ローマ神話ではファウヌス
 インドの牧羊神はプーシャン(Pūṣán)
 パーンが
 アルテミスに猟犬を与え、
 アポローンに予言の秘密を教えた
 ・・・他の自然の精霊と同じく、パーンはオリュンポス十二神よりも古いもの・・・
 パーンはもともと
 アルカディアの神
 アルカディアギリシア人の居住地であったが、この地のギリシア人はポリスを形成せず、より古い時代の村落共同体的な牧民の生活を送っていたので、オリュンポスの神域がパーンのパトロンになった時、ポリス生活を送る先進地帯のギリシア人は彼らのことを蔑視していた。アルカディアの猟師たちは狩りに失敗した時、パーンの像を鞭打った(テオクリトス vii. 107)。
ーーー
 パーンは人気のない所で、突然、混乱と恐怖をもたらすことから
 「パニック(Panic)・(panikon deima)」の語源
 復興ペイガニズム(Neopaganism)においてパーンは「角を持つ神」の典型として、神の元型の一つだった(→ケルヌンノス

 パーンとニュムペー
 シューリンクス(Συριγξ、Syrinx)は
 アルテミスの侍女で、アルカディアの野に住む美しいニュムペー(妖精)だった。
 パーンに襲われ、手を触れられた時、彼女は川辺の葦になった。パーンはニュムペーを讃え葦をいくたりか切り取ると楽器を作り「パーンの笛」(パーンパイプ、パーンフルート、つまり古代ギリシア語でシューリンクス、Syrinx)と呼んだ。

 エーコー(Ηχω、Ekho)は歌と踊りの上手なニュムペーであり、全ての男を軽蔑していた。パーンはこれに腹をたて、信者に彼女を殺させた。大地の女神ガイアがエーコーの肉片を受け取り、今もエーコーの声は他の者が話した最後の数語を繰り返している。
 エーコーとはギリシア語で、「木霊」を意味する。別の伝承では、はじめエーコーとパーンの間にはイアムベー(’Ιαμβη、Iambe)という娘がいた。

 パーンはピテュス(Πιτυς、Pitys)というニュムペーにも惚れた。
 ピテュスは彼から逃げようと
 松の木になった。
 ・・・マツ・・・松・待つ・抹・沫・茉・末・・・「俟つ」ですか・・・真通・・・

 山羊は性的な多産のシンボル
 パーンは処女やダフニスのような羊飼いを誘惑するものと信じられ、ディオニューソスの女性崇拝者であるマイナデスをモノにし、乱痴気騒ぎの中で女を一人残らずものにした。これを達成するため、パーンは時に分身してパーン一族(Panes)となった

パーンとアポローン
 パーンは竪琴の神アポローンと音楽の技を競う
 トモーロス(Tmolus、山の神。オムパレーの夫)が審査員
 パーンは笛を吹き、アポローンが弦を奏でると、トモーロスは一聴、アポローンに軍配を上げたのである。ミダス以外の誰もが同意した。彼は異議を申し立て不公正じゃないかと糾した。
 アポローンはこのような下劣な耳にわずらわされないよう、彼の耳をロバのそれに変えてしまった

 キリスト教文学や絵画に描かれるインキュバス(男性型夢魔)の悪魔風イメージ、サタンの角と割れた蹄のイメージは、大変に性的であるパーンのイメージから取ったものであるらしい
 ギリシアの歴史家プルタルコスが『神託の堕落(;The Obsolescence of Oracles" (『モラリア』5:17))』に書いたことを信じるならば、パーンはギリシアの神々の中で唯一死んだ。ティベリウスの御代にパーンの死というニュースがタムス(Thamus)の元に届いた。彼はパクソイ諸島経由でイタリアに向かう船の船員だったのだが、海上で神託を聞いた。「タムス、そこにおるか? Palodesに着いたなら、忘れず『パーンの大神は死したり』と宣告するのじゃ」と。その知らせは岸辺に不満と悲嘆をもたらした。

 ロバート・グレイヴズは、『ギリシア神話』(The Greek Myths)の中でタムスは明らかに「 Thamus Pan-megas Tethnece」(全てにして偉大なるタンムーズは死したり)を聞き誤ったのであると示唆している。実際、プルタルコスの後一世紀たった頃、地理家のパウサニアースがギリシアを旅した時、パーンを祀る祠や洞、聖なる山を尚もしばしば見た。

 ローマ神話のファウヌス
 ローマ神話
 パーンに対応するのはFaunus(ファウヌス)

 ファウヌスは
 エウアンドロスがアルカディアから来たとき、
 ラティウム地方(Latium)の王で、
 ピークス王(Pīcus)と
 カネーンス(Canēns)の子だった。
 死後にファートゥウス(Fātuus)神として崇拝された。儀式は神聖な森の中で行われ、現在のティヴォリ(Tivoli)、エトルリア時代以来ティブール(Tibur)、Tiburtine Sibylの座として知られていた地のはずれにその森はあった。ファウヌス自身を象徴する彼の持ち物は狼の毛皮、花や草で作った冠、ゴブレットである。
 ルペルカーリア祭(Lupercālia)と呼ばれ、神殿が建立された日を記念して2月15日に行われた。
 司祭ルペルクスたち(Luperci)は山羊の皮を着、見物人を山羊皮のベルトで打った。
 ファウヌスを讃えるもう一つの祭りがあり、
 ファウナリア(Faunalia)という
 12月5日に行われた

ーーーーー
 「パストラル文学」
 ヘレニズム期
 ギリシア
 テオクリトスから始まった。
 テオクリトスの
 「牧歌(エイデュリオン)」の数篇は田園地方を舞台とした(コス島)・・・ 
 ・・・テオクリトスは
 ドーリア方言でこれを書いたが、
 使った韻律は、
 ギリシア詩で最も
 有名な形式、
 叙事詩
 ダクテュロス・ヘクサメトロスだった
 テオクリトスの詩は、
 ギリシアの詩人
 スミュルナのビオン(en:Bion of Smyrna)や
 モスコス(en:Moschus)に模倣された
ーーー
 ローマの詩人
 ウェルギリウスはこの形式の詩を
 「牧歌」でラテン語に適用
 ウェルギリウス
 政治的なアレゴリー(寓意)の要素を
 パストラル詩に含めた

 イギリスで最初のパストラル詩は
 アレクサンダー・バークレー(en:Alexander Barclay)の
 「田園詩(Eclogues・1515年頃)」で、
 マントゥアヌスの強い影響を受けていた
 イギリスのパストラル詩
 1579年に発表された
 エドマンド・スペンサー
 「羊飼いの暦(The Shepheardes Calendar)」
 (en:The Shepheardes Calendar)
 この作品には
 一年12ヶ月、12のエクローグで成り立ち、
 方言で書かれ、
 エレジー
 寓話、
 当時のイングランドの詩の役割に関する論が含まれていた。スペンサーや友人たちも偽名で登場する(スペンサー自身の偽名は「コリン・クラウト」)。スペンサーの『羊飼いの暦』は、マイケル・ドレイトン(en:Michael Drayton)の『Idea, The Shepherd's Garland』やウィリアム・ブラウン(en:William Browne)の『Britannia's Pastorals(ブリタニアの羊飼いたち)』といった模倣を生んだ。
 英語詩で最も有名な
 「パストラル・エレジー(pastoral elegy)」は、
 ジョン・ミルトンケンブリッジ大学で学友だったエドワード・キング(en:Edward King (British poet))の死に寄せて書いた『リシダス』(1637年、en: Lycidas)である[4]。ミルトンがこの形式を用いたのは、作家という職業を切り開くためと、ミルトンが教会の職権乱用だと思っているものを攻撃する、両方の目的からだった。
 英語詩のパストラル詩は、アレキサンダー・ポープの『牧歌(Pastorals)』(1709年)あたりを最後に、18世紀にいったん死滅した。『Shepherd's Week(羊飼いの1週間)』を書いたジョン・ゲイのようにパロディ化する作家が現れる一方で、ジョンソン博士はその作為性を批判し、ジョージ・クラッブ(en:George Crabbe)はそのリアリズムの欠如を攻撃して、『The Village(村)』(1783年)という自作の詩の中で田舎の生活の真実の情景を叙述しようと試みた。それにもかかわらず、パストラルは生き残った。マシュー・アーノルドが友人の詩人アーサー・ヒュー・クラフ(en:Arthur Hugh Clough)の死に送った挽歌『Thyrsis』(1867年)といった作品がそうだが、ジャンルというよりむしろ雰囲気としてだった。

 パストラル・ロマンス
 イタリアの作家たちはパストラル・ロマンス(英語:pastoral romance、イタリア語:romanzo pastorale)という新しいジャンルを発明した。
 それはパストラル詩と散文で書かれた
 虚構の物語体を混ぜ合わせたものだった
 古典にはこの形式の先例はなかった
 が、この形式のもので最も有名なものは
 ヤコポ・サンナザロ(en:Jacopo Sannazaro)の
 『アルカディア』(1504年)である
 スペインでは
 ホルヘ・デ・モンテマヨール (en:Jorge de Montemayor)の
 『Diana』(1559年)、
 イングランドでは
 フィリップ・シドニー
 『アーケイディア』(1590年)、
 フランスでは
 オノレ・デュフレ(en:Honoré d'Urfé)の
 『Astrée』(1607年 - 1627年)が書かれた。

 音楽
 テオクリトスの『牧歌』はストロペから成る歌と音楽的な挽歌を含んでいて、ホメーロス同様、羊飼いたちが、典型的な田舎の楽器と考えられる「シュリンクス」つまりパンパイプで演奏した。
 1世紀には、ウェルギリウスの『牧歌』は
 歌う
 道化芝居(ミモス)として上演された。
 パストラル詩への作曲は、最初ポリフォニーの、後にはモノフォニーのマドリガルの中で次第に一般的なものになった。
 パストラル、およびパストラルのパロディは18世紀・19世紀を通して音楽史の中で重要な役割を演じ続けた。
 ジョン・ゲイは
 『ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)』の中でパストラルを風刺したが、ヘンデルの『アチスとガラテア』(en:Acis and Galatea)の台本は誠実なものを書いた。
 ジャン=ジャック・ルソー
 『村の占い師』(en:Le devin du village)は
 パストラルのルーツを利用し、メタスタージオの『羊飼いの王様』の台本は30回も曲がつけられた。
 有名なものは モーツァルトのものである(en:Il re pastore)。
 ラモーはフランスのパストラル・オペラの著名な主唱者であった。
 ベートーヴェンの『田園交響曲』は、ベートーヴェンが通常よく使う音楽的ダイナミズムを避け、比較的ゆったりしたリズムを選んでいる。描写以上に心の動きに関心があったようで、「絵よりも気分の表現」の作品だと書いている。
 さらにパストラルはグランド・オペラ、とくにマイアーベーアのオペラの中に、特徴として現れた。作曲者たちはしばしば作品の中心で、パストラルのテーマである「オアシス」を発展させようとした。
 ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の中の羊飼いの歌う『alte Weise』や、
 チャイコフスキー
 『スペードの女王』の中のパストラル・バレエなどである。
 20世紀になってもパストラルは新しい解釈で、とくにバレエ作品で作られ続けた。
 ラヴェルの『ダフニスとクロエ』、
 ニジンスキーが使用したドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』、
 ストラヴィンスキーの『春の祭典』『結婚』などである

 美術
 パストラルの風景画はヘレニズム期とローマの壁画に現れた。美術のテーマとして、パストラルへの興味が復興したのは、ルネサンス期のイタリアで、部分的には
 サンナザロの詩『アルカディア』を絵で描いたものにインスパイアされていた。
 ジョルジョーネが描いたとされる『田園の合奏』
 フランスの画家
 クロード・ロラン、ニコラ・プッサン(『Et In Arcadia Ego(我はアルカディアにもある)』)、
 アントワーヌ・ヴァトー(『Fêtes galantes(雅びな宴)』)
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・・・参考原文は以下
パストラル - Wikipedia
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パーン (ギリシア神話) - Wikipedia
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