1039日目・・・そもそも、「蘇る・甦る・読み替える・ヨ見返る」とは何を云いたいのか、「詠みの世界・訓みの施解」、「黄泉(よみ)の世界」、「闇夜(やみよ)の世界」、「病豫(予後・序語→余語)の世界」、「余呉」、「与語」、「預言の世界」とは・・・「ミッシェル君」・・・「ガブリエル(Gabriel)・聖告天使」で「聖母マリア」に「受胎告知」を与えた天使・・・で、「水の大天使」であり、「カバラ」では「イェソド」に属する・・・「菱川師宣」の「見返り美人」とは「謎」であるが、「妊娠中」であろう?・・・美人かどうか

 「日本書紀」において、巻九に神功皇后摂政「六十六年 是年 晋武帝泰初二年晉起居注云 武帝泰初(泰始)二年十月 倭女王遣重貢獻」として、中国の「晋の文献」における倭の女王についての記述が引用されている。江戸時代までは、卑弥呼神功皇后であると考えられていたらしい。だが「266年」に「卑弥呼」は死去し、この女王は「台与・壱與」と考えられている・・・これをボクが小説にしたら「ダビンチ・コード(code・体系だった符号、記号・暗号・信号)」の「日本版」であるが、コードとは「撚られた繊維あるいは糸で作られた線・ひも(紐・細帯)・縄(なわ)」である・・・ボクの小説のタイトルは「金メッキの頭文字(金箔の頭文字)・gilt-head bream」である。和英辞典は1867年(慶應三年)に横浜で出版された美国平文(アメリカのジェームス・カーティス・ヘボン)編集による『和英語林集成』であるが、最初の和英辞典編集者は「古賀謹一郎(こが きんいちろう・文化十三年十一月十一日(1816年12月29日)〜明治十七年(1884年)10月31日)」と「堀達之助」の日本最初の英和辞典『英和対訳袖珍辞書』編集者、二人の「緊迫頭・謹白頭」の「他意」です・・・既に「現存・古事記」そのものが、「コード=ナワ・ヒモ・オビ」で、「解(げ・わかる・カイ)」を提供してくれている「漢字コード」なのだ・・・二重人格を装う一人芝居は大変である・・・「殺人狂時代」・・・「殺人狂時代・Monsieur Verdoux」はアメリカ映画。製作・監督・ 脚本・主演チャールズ・チャップリン・原案オーソン・ウェルズ・撮影期間1946年5月〜1946年9月・封切り1947年4月11日にニューヨーク(紐育)でなされた・・・台詞の「One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify(一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する」・・・旧約聖書創世記「19章・第17節・・・「のがれて、自分の命を救いなさい。うしろをふりかえって見てはならない。低地にはどこにも立ち止まってはならない。山にのがれなさい。そうしなければ、あなたは滅びます」。
ーー
 「見返り美人」・・・ミカエル・・・ガブリエル・・・そして、「アブラハムの甥であるロト」、その「ロトの妻」は「振り返って塩の柱」になった。多分、「白い岩塩」になったのカモ・・・名前に拘る「旧約聖書」なのに「ロトの妻の名」は?・・・記されていなく、不明である・・・
 天使の「構図」で明らかになる・・・とにかく、「モウ、一度、ヨミかえす」・・・「スデに、二度、ヨミカエたのだが」・・・いや、その後、三度のメシも忘れて、性懲りも無く、何度でもサッ・・・何回も、何回も、毎度、毎度、同じ場所でネ、ッ・・・「噛み締めて、髪絞めて、カミしめて、加味占めて、神誌目れば」、「掛見詞め」が見えてくるダロぅッ・・・?
 ツイデに「歌視詩目例」は、
 「阿毎の名・太子・爲・利・歌彌・多弗利」・・・「隋書→随処」・・・
 その「歌」とは
 「利歌←歌の利」、
 「彌(ビ・ミ)」=(弓+爾)←給仕・給餌・給字・球児
               旧事→公事・句字
 「彌(ビ・ミ)」=おさめる・ひさしい・わたる・あまねし
          いよいよ・ますます・いやさか・つくろう
 「多(タ・おおい・おほい)」
  の
 「弗」=舎利(しゃりほつ)
     サンスクリット=Śāriputra シャーリプトラ、パーリ
             Sāriputta サーリー・プッタ
             釈迦の十大弟子の一人
     舎利=シャーリー(サーリー)は母親の名前で「鷺(サギ)」
       弗=プトラ(プッタ)は
         「(ホツ)」と音写し「」の意味
         漢訳では「舎利」とも表される。
         直訳は「鷺(サギ)の子」←「詐欺・詐偽」の子
     釈迦弟子の中、智慧第一
     舎利弗
     目連
     特に二大弟子と称す
     小乗仏教を代表する長老の仏弟子
     マガダ国の王舎城(ラージャガハ)の
     
     那羅陀(ナーラダ、現ナーランダー)村出身
     バラモンの家に生まれた
     幼名は優波帝沙(ウパティッサ)
     隣村の目連と親友の仲
     釈迦の弟子の
     「阿説示(アッサジ)比丘」と出会い、目連を連れて釈迦に弟子入り
     釈迦の
     実子である
     「」の後見人にもなった
 「多」
  の
 「弗=子」
  の
 「利」・・・「多の子の利→多(おおくの)のフリ→振り」
         ↓
       「太安万侶」の「子」の「利」
 「開皇二十年(600年)←邂逅・改稿」と「大業三年(607年)←大技・怠業・鯛漁得・他意行」に隋に使者(遣隋使)を送ったという「王妻・號・雞彌・後宮・有女・六七百人・名・太子・爲・利・歌彌・多弗利」・・・「俀王・姓・阿毎・字・多利思北孤・號・阿輩雞彌」、「姓は阿毎、字は多利思北孤、 号は阿輩雞彌」という・・・
 「隋書」を「改竄」出来た人物とは「安倍仲麻呂」である・・・?
ーー
 菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ)
            ↓
          「本居宣長(1730年6月21日・享保十五年五月七日〜
           1801年11月5日・享和元年九月二十九日)
           名は栄貞
           通称は弥四郎、
           健蔵
           号は芝蘭・瞬庵・春庵」の
           師を宣(宣言・宣伝・宣旨)?
 元和四年
 (1618年)月日不詳〜
 元禄七年六月四日
 (1694年7月25日)
 江戸初期に活動
 最初の
 元祖・鼻祖
 浮世絵師
 生年は、
 寛永七〜八年(1630年〜1631年)ともいわれる
 享年64〜65
 あるいは
 七十七
 初作
 寛文十一年(1671年)刊行の
 「私可多咄」(無款)
 寛文十二年(1672年)
 墨摺絵本
 「武家百人一首千葉市美術館所蔵)」に、
 名前(絵師 菱川吉兵衛)を明らかにした。
 墨摺絵入り本
 絵本を数多く手がけた
 「浮世百人美女」、
 天和二年(1682年)刊
 「浮世続(国立国会図書館所蔵)」
 天和三年(1683年)刊
 「美人絵づくし(ボストン美術館所蔵)」などに
 「市井の女たち」を描写
 生涯において
 百種以上の絵本や
 五十種以上の好色本に筆をとった
ーー
 祖父は
 藤原七右衛門(京都在住)
 父の
 吉左衛門は、
 菱川を称し、
 安房国平郡保田本郷(千葉県鋸南町)に移住
 道茂入道光竹と号した
 師宣は、ここで暮らす
 「縫箔師」の家に生まれた
 俗称は吉兵衛
 号は友竹
 明暦三年の大火の後の
 万治年間に
 江戸に出て
 狩野派、土佐派、長谷川派などの
 幕府や朝廷の
 御用絵師たちの技法を学ぶ
 始めは古版絵入り本の
 復刻の挿絵、
 名所絵
 初めは
 縫箔を職
 上絵を描く
 江戸では
 堺町、
 橘町、
 人形町などに転住
 寛文後期から延宝前期には、
 無署名本が殆どであったが
 仮名草子浄瑠璃本、吉原本、野郎評判記、俳書などの
 挿絵を中心に活動
 延宝中期、後期に
 絵入り本、絵本で吉原もの、歌舞伎もの、名所記などや風俗画
 絵本や
 枕絵本を刊行
 枕絵本は
 延宝三年(1675年)刊行の
 無署名
 『若衆遊伽羅之縁』
 同三、四年頃刊行の
 『伽羅枕
 延宝五年(1677年)刊行の
 『小むらさき』
 『伽羅枕』では
 「絵師 菱河吉兵衛」
 『小むらさき』では
 「大和絵 菱川吉兵衛」と
 署名
 延宝五年刊行の
 近行遠通撰の
 地誌絵本
 『江戸雀』
 十二巻十二冊などの
 挿絵を描き
 延宝六年(1678年)刊行の
 役者絵本
 『古今役者物語』一冊や、
 元禄四年(1691年)刊行の絵本
 『月次(つきなみ)のあそび 』一冊、
 師宣没後の
 元禄八年(1695年)刊行の絵本
 『和国百女』三巻一冊などを
 著している。
 天和元年(1681年)刊行の
 半井卜養の
 狂歌絵本
 『卜養狂歌集』二巻二冊の挿絵をした
 これらを通して
 上部に文章、
 中・下部に絵という
 師宣絵本の基本形式が整ってきた
 延宝八年(1680年)
 正月刊行の
 『人間不礼考』
 同年
 五月刊行の
 『大和絵つくし』に到って、
 上部
 3分の1乃至4分の1に文章、
 下部に絵という形式が確立
 『大和絵つくし』は、
 古代中世の故事、伝記、説話を
 大和絵で表現、
 「大和絵師 菱川吉兵衛尉」と署名する
 天和二年(1682年)に
 大坂で
 井原西鶴
 『好色一代男』が著されると、
 二年後の
 江戸刊行の際には
 師宣が挿絵を担当した
 明暦の大火直後の
 『吉原恋の道引』
 『岩木絵つくし』
 『美人絵つくし』
 絵図師・遠近道印(おちこち どういん)と
 組んで制作した
 『東海道分間絵図』は
 江戸時代前期を代表する道中図
 挿絵を観賞用として一枚絵として
 墨一色による大量印刷
 「吉原の躰」、「江戸物参躰」、「大江山物語(酒呑童子)」や、
 無題の
 春画組物など墨一色で、稀に筆彩された
 師宣は
 屏風、絵巻、掛幅と様々な肉筆浮世絵も描き
 江戸の
 二大悪所といわれた
 歌舞伎と
 遊里、隅田川や花見の名所に
 遊び集う人々や遊女であった
 「見返り美人図」は
 師宣による
 一人立ち美人図であるという点で珍しい作例で、
 歩みの途中で
 ふと
 足を止めて
 振返った
 印象的な美人画様式は、
 榎本其角の
 『虚栗』において
 「菱川やうの吾妻俤」と
 俳諧で謳われたそのものであるとみられる。
 師宣は
 肉筆浮世絵では
 「日本繪」と
 冠していることが多い。
 元禄七年(1694年)年
 六月四日
 江戸の村松町(東日本橋)の自宅で死去
 遺骨は
 房州保田の
 別願院に葬られた
 菩提寺
 府中市紅葉丘の
 誓願寺
 法名
 勝誉即友居士

 世界的に有名な
 肉筆浮世絵である
 『見返り美人図(みかえりびじん ず)』
 春画も数多
 『拾弐図』の内「衝立の陰」
 睦み合おうとしている場面。
 同時代で年下の
 絵師
 「英一蝶」は本作に刺激を受け
 構図等に類似点の多い『立美人図』を描く
 文化七年(1810年)山東京伝による箱書
 昭和二十三年(1948年)
 十一月二十九日発行の
 記念切手
 (額面5円)の図案に採用
ーーーー
 ガブリエル
 (英語: Gabriel (ガブリエル)
  ヘブライ語: גַברִיאֵל‎ (ガヴリーエール)
  アラビア語: جِبرِيل‎ (ジブリール
 旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使
 ユダヤ教からキリスト教イスラム教へと引き継がれ、
 キリスト教では
 ミカエル、
 ラファエルと共に
 三大天使の一人
 (ユダヤ教ではウリエルを入れて四大天使)
 西方キリスト教美術の主題の一つ
 「受胎告知」などの西洋美術において、
 彼は優美な青年、時には威厳のある表情で描かれる
ーー
 聖書において
 ガブリエルは
 「神のことばを伝える天使」であった
 ガヴリーエールという
 名前は
 「神の人」
 「神は力強い」という意味
 ガヴリーエールは、
 剣と盾を持って
 エデンの園の入り口を守る
 ケルビムと
 混同されることがある
ーー
 日本ハリストス正教会では
 スラブ語で
 ガウリイル
 ユダ王国の滅亡から
 バビロン捕囚時代を舞台に書かれた
 旧約聖書
 『ダニエル書』の中で、
 預言者ダニエルの幻の中に現れるのが
 ガブリエル(8章15節〜17節)
 ダニエルは
 雄山羊と雄羊が格闘する幻を見せられ、
 その意味について思い悩むが、そこへ
 ガブリエルが幻の意味を解き明かすために現れる
 ガブリエルは
 「終わりの日」に関する
 その幻の
 意味について
 ダニエルに説明する
 ガブリエルは
 キュロス王の出現
 ユダヤ人の解放
 エルサレム神殿
 再建について語る
ーー
 ガブリエルという
 名前や天使の思想は
 ユダヤ人が
 新バビロニア王国に捕囚されていた時代に
 バビロニアの宗教の影響によって取り込まれたもの
 という説がある
 ユダヤの伝承
 『タルムード』では、
 太祖ヨセフに道を示したのも、
 モーゼの遺体を運んだのも
 ガブリエルである
 『タルムード』に収録されている
 物語
 『アガーダ』に記された伝説では、
 地上であと一日しか生きられないと告げられた
 モーゼが
 十三巻の文書を
 一気に書き上げる。
 その際、
 神は太陽の動きを遅め、
 日が沈むまでに書き終えられるようにした。
 その時に
 ガブリエルが現われ、
 その文書を
 天界の裁判所へ持って行った
 そして
 ガブリエルは
 死の床にある
 モーゼを訪れ慰め
 ガブリエルは
 寝台を用意し、
 ミカエルが
 紫色の布をかけた

 ガブリエルは
 キリスト教の伝統の中で
 「神のメッセンジャー」という役割を担う
 『ルカによる福音書』では
 祭司
 ザカリアのもとにあらわれて
 洗礼者
 ヨハネの誕生をつげ、
 マリアのもとに現れて
 イエス・キリストの誕生を告げる
 聖書本文に
 名前は出ないが、
 伝統的に
 『ヨハネの黙示録』にあらわれ
 ヨハネに神のことばを告げる天使も
 ガブリエルであると考えられてきた。

 カトリック教会では
 ガブリエルは
 通信事業の守護者
 聖名祝日は
 ラファエル・ミカエルと共に
 9月29日である
 ガブリエルがマリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は
 「お告げ」
 「受胎告知」といわれ
 カトリック教会では
 3月25日に祝日記念
 「ロザリオの祈り」の
 喜びの玄義の
 第一玄義はこの「お告げ」の
 出来事になっている
ーー
 正教会でも
 「生神女聖母マリア)」のもとを訪れて
 「イイスス(イエスの中世ギリシャ語・教会スラヴ語読み)」の
 誕生を告げたのは
 ガウリイルであると伝承
 「生神女福音祭のイコン」にその情景が描かれている
 正教では通例
 「受胎告知」の用語を用いず、
 「生神女福音」の語彙が用いられる
 正教会の聖堂に設置される
 イコノスタシスでは
 天軍首ミハイルとともに
 南門・北門に
 ガブリエルの
 イコンが描かれ
 杖または
 百合をもっていることもある
ーー 
 イスラム教とガブリエル
 ムハンマドに天啓を授ける
 ジブリール
 アラビア語では
 「ガブリエル」は
 「ジブリール( جِبرِيل Jibrīl)」と呼ばれている
 イスラム教では、
 ジブリール
 預言者
 ムハンマドに神の言葉である
 『クルアーン』を伝えた存在(2章97節)
ーー
 610年頃、メッカ郊外の
 ヒラー山の
 洞窟で瞑想していた
 ムハンマドは突如金縛りに襲われ
 そのとき大天使ジブリールが現れ、
 「誦め(よめ)」と言った。
 ムハンマドが「何を誦めと言うのですか」と苦しみながら尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。この時よりクルアーンの啓示が始まる。
 それから
 二十三年の間、
 ジブリール
 ムハンマドの元を度々訪れては
 クルアーンの各章を啓示(クルアーン96章)
 「夜の旅」の逸話
 ある夜ジブリールに起こされたムハンマドは、翼を持つブラークと呼ばれる動物にまたがり、天使に導かれてエルサレムへ夜の空の旅に出る(クルアーン17章)。そこでムハンマドは天国と宇宙を訪れ、全ての預言者に出会い、彼らと共に礼拝を行い、その後再びブラークに乗り、メッカへと戻ってきたという。

 またハディースによると、
 ジブリール
 624年
 バドルの戦いにおいて、
 ムハンマドの率いる
 ムスリム軍と共に
 反イスラームの戦士たちと戦い、勝利
 ハガル(ハージャル)と
 イシュマエル(イスマーイール)が
 飢えと乾きによって死にかけていた時に、
 彼らのために決して枯れることのない
 井戸をメッカに掘ったという。(カアバに隣接しているザムザムの泉)

 イスラムの伝説では、
 ジブリール
 1600枚の翼と
 濃い
 黄色の
 髪を持ち、
 両目の間には
 太陽が埋め込まれているという。
 彼は毎日、
 光の大海に
 360回入り、
 前に進むとそれぞれの翼からしずくが落ち、アッラーフを讃える天使となる
 クルアーンを示すために現われた時、
 彼の翼は
 緑色で東から西への
 地平線ほどの長さもあり、
 足は黄色で、
 輝く顔の
 両目の間には
 「神(アッラーフ)のほかに神なし、ムハンマドは神の預言者なり」という言葉が刻み込まれていた。
ーー
 中世の叙事詩
 『ローランの歌』の中で
 ガブリエルは
 カール大帝に対し、
 ローランに
 デュランダルの剣を
 与えるよう指示し、
 命を落としたローランの魂を天国に運んでいる。
 ジョン・ミルトン
 『失楽園』では
 ガブリエルは天使の長として
 エデンの園を守る存在
 アブラハムの宗教と呼ばれる
 ユダヤ教キリスト教イスラム教において、
 ガブリエルは共通して大天使、
 神の言葉を伝える
 メッセンジャーである。
 儀式魔術において、
 ガブリエルには
 西の方角、青色、水の元素との象徴的対応関係が設定
ーーーー
 ミカエル(ヘブライ語:מִיכָאֵל [Mîḵā’ēl])は旧約聖書
 『ダニエル書』や
 旧約聖書外典
 『エノク書』などに名があらわれる天使
 日本正教会では
 教会スラヴ語・ロシア語から
 「ミハイル」と表記される。
ーー
 ミカエルという
 名前を
 直訳すれば
 「神に似たるものは誰か」
 (mî疑問詞「誰」+ kə「〜のような」+ hā ’ēl「神」)
 という意味になる
 『タルムード』では
 「誰が神のようになれようか」という
 反語と解される。
ーー
 カトリック教会などでは、
 ミカエルは
 大天使
 ミカエル
 あるいは
 聖ミカエルの
 称号で呼ばれる。
 日本ハリストス正教会では
 現代
 ギリシャ語と
 ロシア語読みから
 転写し
 神使ミハイルとよぶ
 英語の
 人名マイケル(Michael)
 フランス語ミシェル(Michel)
 などは
 この天使の名に由来する。
ーー
 グイド・レーニによる
 『大天使ミカエル 』
 図像
 甲冑を纏って
 天の軍団の先頭を行く
 孔雀の
 尾羽のような
 文様の
 翼を有した姿で
 描かれることが多い
 右手と
 左手に
 それぞれ
 剣と
 魂の公正さを
 測る
 秤を携えた姿
ーー 
 聖書の記述
 聖書でミカエルがあらわれるのは、
 ダニエル書10:13-21、12:1
 ユダ1:9、
 ヨハネの黙示録12:7
 旧約聖書外典エノク書
 新約聖書外典である『モーセの黙示録』では
 モーセ
 シナイ山
 十戒を受けたとき、
 十戒を記した石板を
 モーセに渡したのは
 ミカエルである
ーー
 旧約聖書の中で
 ミカエルの名前が出るのは
 『ダニエル書』
 第10章
 第12章のみ
 断食後の
 ダニエルの見た
 幻の中に
 ペルシアの天使たちと戦うためにつかわされた
 イスラエルの守り手として現れる
 聖書学者たちの中には
 『ヨシュア記』の中に
 すでに
 ミカエルの姿の
 原型があらわれていると
 考えている者もいる
ーー
 ラビ伝承によって
 ミカエルはさらに多くの役割を与えられる
 『ダニエル書』に描かれる
 イスラエルの守護者というイメージから、
 ミカエルと
 堕天使
 サマエルとの争いという伝承が生まれた
 サマエルは時として
 サタンと
 同一視される
 もともと
 天使であったが
 天国から追放されて堕天使となった
 サマエルが天国から突き落とされたとき、
 ミカエルの
 羽を押さえ込んで
 道づれにしようとしたが、
 ミカエルは
 神自身によって救い上げられた
 ロトを壊滅する
 ソドムから逃げ出させたのも、
 イサクが生け贄にされるのをとめたのも、
 モーセを教え諭して導びいたのも、
 イスラエルに侵攻する
 センナケリブの軍勢を打ち破ったのも
 ミカエルである
 旧約聖書外典モーセの昇天』に描かれた
 ミカエルとサマエルの死闘は、
 竜(悪魔の象徴)と争う
 ミカエルというイメージを生み出した
ーー
 ミカエルは
 「イスラエルの守り手」
 ユダヤ教では
 ミカエルへの祈りが盛んにつくられて
 天上のエルサレム
 ユダヤ教徒
 魂を迎え入れるのも
 終わりのときにラッパを吹き鳴らすのも
 ミカエルであるとされている
 中世以降、
 カバラ思想が発達していくと、
 イスラエル
 守りミカエルは、
 そのまま
 「ユダヤ人の守り手」となった
ーー
 キリスト教カトリック教会
 パリの聖ミカエル大通り(en)にある
 ミカエル像
 大天使ミカエルの
 大天使とは
 偽
 ディオニシウス・アレオパギタが
 定めた
 天使の
 九階級のうち
 下から
 二番目に属するものである
 中世初期の頃までは
 大天使が
 天使の最高階級と考えられていた
ーー
 ジャンヌ・ダルク
 神の啓示を与えたのは
 ミカエルとされている
 ミカエルは
 人ではないが
 聖人の一人とし
 てカトリック教徒の間で崇敬される
 キリスト教徒たちは
 ミカエルを
 ラファエル、
 ガブリエルと
 ならぶ
 三人の大天使の一人であるとみなした
 ミカエルは守護者というイメージから
 山頂や
 建物の頂上に
 その像がおかれた
 ルネサンス期に
 ミカエルは
 燃える剣を
 手にした姿で描かれる
 中世において
 ミカエルは
 兵士の守り手、
 キリスト教軍の
 保護者であった
 現代のカトリックでは、
 兵士ではなく
 警官や救急隊員の
 守護聖人になっており、
 地域では
 ドイツ
 ウクライナ
 フランスの
 守護聖人とされている
 ミカエルは、
 地上における
 カトリック教会全体の
 保護者とされている
ーー
 カトリック教会における
 日本の守護聖人
 かつては
 ミカエルであるとされた。
 フランシスコ・ザビエルによって
 定められたが、
 のちに
 フランシスコ・ザビエル自身が
 日本の守護聖人とされた
ーー
 カトリック教会では
 ミカエルは
 ラファエル、
 ガブリエルと
 共に
 9月29日が
 祝日
 かつて
 イギリスの大学では
 この日が
 始業日であった
 カトリック教会では
 ミカエルにささげられた
 教会や修道院
 492年に作られた
 カシノ山の聖堂(イタリア)をはじめ
 多数つくられ有名なものとして
 フランスの
 モン・サン・ミシェルがあげられる。
ーー
 モスクワの
 聖天使首大聖堂にある
 ミハイル(ミカエル)の
 イコン正教会では
 ガウリイル(ガブリエル)とともに
 イコノスタシスの門に
 描かれる
ーー
 エホバの証人では
 ミカエルは
 イエス
 同一視されている
ーー
 末日聖徒イエス・キリスト教会では
 人祖
 アダムの天上における姿が
 ミカエルであると考えられている
ーー
 イスラム教では
 ミカエルは
 ミーカーイール
 呼ばれる
 ミカエルは
 四人の
 大天使
 ミーカーイール
 ジブリール
 アズラーイール
 イスラーフィール
 一人であるとされ、
 『クルアーン』の中でも
 ミーカーイールについて言及されている

 ただしイスラムでは、
 ジブリール(ガブリエル)が
 神と
 預言者
 ムハンマドの仲立ちをし
 啓示をもたらしたとされるため、
 天使の首位を
 占めるのは
 ジブリールであり、
 ミーカーイール
 次点であるとされている
ーー
3世紀の
 ラビ・シメオン・ベン・ラキシュは、
 ミカエルという
 名前や天使の思想は
 ユダヤ人が
 新バビロニア王国
 捕囚されていた時代に
 バビロニアの宗教の
 影響によって
 その神が取り込まれたものだという説を唱えた
ーー
 ミカエルは
 ユダヤ教
 キリスト教
 イスラム教へと
 引き継がれ、
 カトリック教会では
 ラファエル
 ガブリエル
 ウリエルと共に
 四大天使の一人であると考えられてきた
 これらの宗教において
 もっとも
 偉大な天使の一人である
ーー
 西洋儀式魔術では
 四大天使に
 四大元素との
 象徴的対応関係が設定され
 ミカエルは
 火の元素、
 赤色
 南
 炎などに
 関連付けられている
ーーーーー
  原文添付
    ↓
ミカエル - Wikipedia
ーーーーー
 ユダヤ教の正典である
 『タナハ(旧約聖書)』には天使が登場するが、明確に「大天使」を表す語句は出てこない。だが、その天使のうちの何体かは、ラビ的ユダヤ教に於いてその役割や性格が強調・発展され、天使の中でも神意を体現する偉大な天使という意味で大天使と呼ばれるようになった。
 しかし、厳密な位階が定義されているわけではなく、例えば神の御前の特別な居場所を持つ天使は大抵は大天使と解釈され、
 数も文献によって
 四人、六人、七人と一定していない。
 ゾロアスター教のアムシャ・スプンタやキリスト教の四大天使と七大天使イスラム教の四大天使は、この伝統を受け継いでいる。
ーー
 中世初期には
 ベン・マイモーンと
 偽ディオニシウスがそれぞれに
 天使の位階を定めた。
 前者はユダヤ教に浸透した教説だが、
 位階としての大天使は定義されていない
 (近世に黄金の夜明け団が10の位階それぞれに統括者としての大天使を1体ずつ置いている)。
 後者は後にキリスト教社会に広く浸透した教説で、
 大天使は
 天使九位階の
 八位に当たる位階として取り入れられている。
 大天使は二枚の翼を持ち、
 神と人間を結ぶ連絡係
 天使軍の兵士
ーー
 ユダヤ教では、
 トーラーを始めとして多くの
 タルムードや
 メルカバーの
 テクストにおいて
 ミカエル、ガブリエル、ラファエルの三大天使、
 更に
 ウリエルを含めた
 四大天使を始めとした天使たちについて言及
 外典や偽典にも多くの天使が登場し、
 四大天使を筆頭にした
 七大天使が登場する。
 三天使については文献によって構成が異なる
 (サリエルラグエルレミエルザドキエルヨフィエルハニエルカマエルなど)
 ヘブライ語
 大天使(ハ=マルアハ 「the Angel」)は
 基本的には
 ミカエルのみを指している

 多くのキリスト教教派
 「ダニエル書」に於いて
 天使の長と言及され
 「黙示録」で天使の軍を率いる
 ミカエルと、
 「ダニエル書」で
 預言者
 ダニエルが見た幻視を説明し
 『新約聖書』で
 洗礼者ヨハネの誕生を
 ザカリアに、
 イエスの受胎を
 マリアに知らせた
 ガブリエルの二大天使に崇敬が広く集まっている
 「トビト記」に登場する
 ラファエルを加えた
 三大天使
 さらに
 外典に登場する
 ウリエルを合わせた
 四大天使、
 その上に
 三体の天使を
 足した
 七大天使に言及
 多くの教派でミカエルを筆頭とした大天使らの
 祝祭日(Michaelmas)が設けられている。

 ローマ・カトリック - 三大天使ミカエル、ガブリエル、ラファエルを聖人にまで高め、中でもミカエルは卓越した存在である。ウリエル教皇グレゴリウス1世の時代(6世紀末)には大天使に加えられていたが、ザカリアス(8世紀中頃)の時代に見直しが行われ、正典外の天使として崇敬対象から外れている。
東方正教会 - ミハイル(ミカエル)、ガウリイル(ガブリエル)の二大天使を中心とした七大天使が広く崇敬を集めている
 イスラム教のコーランの中では、天啓の天使ジブリール(ガブリエル)と戦士の天使ミーカーイール(ミカエル)の名前が出てくる。
  特にジブリールは神の知恵と啓示を管理し、預言者ムハンマドマホメット)にコーランを口頭で伝えた天使として、突出した存在である。
 更にハディースに登場し
 最後の審判のラッパを吹く
 イスラーフィール(ラファエル)と、
 コーランには「死の天使」の名で登場する
 アズラーイールアズラエル)を含めて
 四大天使と称される。
 アラビア語
 大天使(ライース・ル=マラーイカ、アル=マラーイカティ 「(leader) of the angels」)は
 「ミーカーイール」を指す。

ーーーーー