942日目・・・旧暦の壬辰年、八月(葉月・はづき・己酉月)、十六日(乙未)。西暦2012年10月1日では「満月の一日」・・・コレを旧暦のコトバで重ねると「神無月(十月)」で、「一日」は「ついたち=新月=朔日」である。「満月=望月=望日=白」が「新月=朔日=黒」、コレじゃぁ、混乱するのはアタリマエだが、「白黒をつけない」、「灰色(鈍色(にびいろ、にぶいろ=濃い灰色・平安時代には灰色一般の名称・のちに灰色、鼠=ネズミ=子色にその座を取って代わられた。鈍とは刃物などが切れなくなる事、「鈍る=にぶる」が語源。古
機序(きじょ)・・・名詞
ものごとが
動いたり
成り立っていたりすることの
背景にある仕組み
mechanism・・・・メカニズム→眼科而事(図)務
めかに づむ
・・・・女家邇(似)通務
↓
音名化(掛・歌)似通務
しくみ、機構
「機序」の
同義、同類の漢字は
「機構」
薬品の「作用機序」などとして使用
薬理学における
作用機序(さようきじょ)
英訳
mechanism of action
mode of action
mode・・・名詞・可算名詞
方法、様式、流儀 〔of〕
用例
a mode of life 生活様式、風俗
a (new) mode of expression (新しい)表現方法
(機能上の)形態、様式、モード
用例
the receiving [transmitting] mode
(通信機器の)受信[送信]モード
the mode (服装・芸術などの)流行(の型)
fashion よりも気取った表現で高級をほのめかす
用例
It's all the mode. それは大流行だ
文法・・・(動詞の)法
音楽・・・ 旋法・音階
用例
the major [minor] mode 長[短]音階.
ラテン語
modus・・・(測定の)方法・尺度
形容詞・・・modal
作用機序=作用機構とは、
薬剤がその薬理学的効果を発揮するための
特異的な
生化学的相互作用を意味する。
作用機序では大抵、
薬剤が
結合する酵素あるいは受容体といった
特定の分子標的について言及される。
「機序」キジョの同音異字漢字
【鬼女】キジョ・・・卑弥呼
【貴女】キジョ・・・女帝・女王・尊女
たかきオンナ=高キ、オン、ナ
とうといオンナ=問う問い音名
【機女】キジョ・・・機織り女・七夕津女
【機序】の後の言葉
【記序】キジョ・・・古事記序文
【機杼】キジョ・・・機織りの棒
【偽書】キシ(ジ)ョ・・・古事記・日本書紀
【義疏】キシ(ジ)ョ・・・仏教経典
である・・・
満月とは、月と太陽の黄経差が180度となること、あるいはその瞬間。これを望(ぼう)ともいう。またこの時に見られる月の形をも指す。これを
望月(ボウゲツ・もちづき)、
盈月(エイゲツ)
盈(エイ・みちる・あまる)
夃(エイ=乃+又)+皿(ベイ)→贏
↓
盈盈一水(エイエイイッスイ)の間
川に隔てられ、男女が遇うことの出来ない様子
天の川で隔てられた牽牛、織女の想い
七夕伝説に由来
朝盈夕虚・・・栄枯盛衰と同義
朝盈夕滅 ↓
諸行無常
ともいう。
「月齢」15日目の十五夜(満月・望月)は、ほぼ日没とともに東の空に昇り、明け方には西の空に沈むが、これ以降は月の出がおよそ50分ずつ遅くなる(即ち新月では、太陽と同じく朝に出てきて夕方には沈む)。
満月の月相は「14」である。「月齢」は月と太陽の角速度が変動するため一定しないが、平均すれば14.8日(±1.0日、13.8日〜15.8日)である。
したがって、
月齢0を1日とする暦(大部分の太陰太陽暦と太陰暦)では、満月は平均して
16日の朝7時ごろになる
(この時刻はどちらかといえば16日の夜より15日の夜に近い)。
このため中国暦では伝統的に
15日の夜の月が「満月」とされ、また15日を「望日」と呼んだ。
地球を周回する月の公転軌道が楕円のため地球と月の距離は変化しているが、中でも地球に最も近づいたとき(近地点)に満月または新月を迎えることを
スーパームーン (Supermoon) と呼ぶ。
2011年のスーパームーン(地球から月までの距離:35万6577km)では、地球から最も遠い距離(遠地点・同約41万km)にあるときの満月と比較して14%大きく見え、30%程明るく観測された (NASA)。
1950年以降では1955年、1974年、1992年、2005年などに観測され、近年では2011年3月19日〜20日、2012年5月5日〜6日と2年連続で観測されることから注目を集めている。
また、特に最接近して近地点から前後1時間以内に満月を迎えることを
エクストリーム・スーパームーン(Extreme Supermoon) と呼ぶ場合があり、およそ18年に1度の割合で観測できる(上記のうち1955年、1974年、1992年、2011年が該当する)[2][3][4]。
元々は
「占星術の概念」ということもあり、
スーパームーンの時には大規模な自然災害や社会的な暴動など不吉なことが起こると一部で騒がれているが、実際には潮位の干満差が少し大きくなる程度で、これらの関連付けは科学的根拠がないものである。
ただし、深さ40km以内の比較的浅い地点で起こる地震については、月の引力により断層にかかる力が大きくなればなるほど地震が発生しやすくなるという学説が過去に発表されている。
1日=朔(さく)/新月(しんげつ)
2日=既朔(きさく)
3日=三日月(みかづき)
7/8日=上弦(じょうげん)
13日=十三夜(じゅうさんや)
14日=小望月(こもちづき)/幾望(きぼう)
15日=望(ぼう)/満月(まんげつ)/望月(もちづき)
16日=十六夜(いざよい)/既望(きぼう)
17日=立待月(たちまちづき)
18日=居待月(いまちづき)
19日=寝待月(ねまちづき)/臥待月(ふしまちづき)
20日=更待月(ふけまちづき)
22/23日=下弦(かげん)
29/30日=晦(つごもり)
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能楽、四番目物
芸尽物(花月、自然居士など)
清水寺に辿り着いたワキは元筑紫国英彦山の人、左衛門である。彼は7歳になったわが子が失踪したことに世をはかなみ出家し、諸国を巡っている。清水寺に参詣した際近所に面白いものはないかと寺男にきくと、門前に面白い遊芸をする少年(花月)がいるとのことである。寺男の勧めでその少年の舞を見ると、まさに我が子であることに気付く。聞けば花月は天狗に攫われ諸国の山を巡ったという。再会を喜んだ父子は一緒に修行の道を歩むのであった。
芸尽くし・・・花月の名乗り=自分の名前にある「花」と「月」を様々なもの(花、瓜、菓、火、果)にかけ、我こそは天下の名僧だという。
「自然居士(じねんこじ)」は、観阿弥作の能の一曲である。世阿弥の手も入っていると考えられる。仏教の説教者の自然居士が芸尽しによって幼い者を人買いから救う。観阿弥らしい劇的構成が光る能である。
能という語は、
元々固有名詞ではなく
物真似や滑稽芸でない芸能でストーリーのあるもののことを指す一般名詞
猿楽以外にもこれが用いられていたが、猿楽が盛んになるとともにほとんど猿楽の能の略称となった
能(のう)は、日本の伝統芸能である能楽の一分野。
江戸時代までは猿楽と呼ばれ、
狂言とともに能楽と総称されるようになったのは
明治維新後のことである。
「望月」氏
出自
公卿正四位参議・滋野貞主の弟である従四位上摂津守・滋野朝臣貞雄の嫡流、滋野氏の流れを汲み、滋野為道(為通)の子・滋野則重(則広)、あるいは則広の孫・滋野広重に始まるとさる。
滋野氏を出自とする諸族の中でも、海野氏、禰津氏と並び、滋野三家と呼ばれる。
「望月」の姓の起こり
平安時代初期、貞観7年(865年)に、それまで
8月29日に行っていた
信濃国の貢馬の「駒牽」の儀式を、
満月(望月)の日8月15日に改めた。
この日に駒牽された貢馬を
「望月の駒」と呼び、朝廷への貢馬の数が最も多かったのが、信濃御牧の牧監とも伝えられる滋野氏であり、信濃十六牧の筆頭「望月の駒」を継承した一族にて望月の姓が与えられた。
甲賀望月氏(近江国)
望月の由来ともなった「望月の牧」を始めとする御牧は、古く奈良時代から産する馬を朝廷に送られており、これらの産駒は途中の近江国甲賀付近で休養や調教(飼養牧)を行っていた。
そこから望月氏と甲賀の地は古より関係があり、平安時代には平将門の乱で武功があったとされる望月三郎兼家(諏訪氏の出自との説もあり。
尚、三郎は
望月家嫡男に多い幼名であり、三男を意味しない。が朝命により赴任し、
近江国甲賀郡主となり
十六ヶ村を贈った。
これが
甲賀望月の祖である。
恩賞として その後、信濃の望月氏の支流が甲賀の地で独自に武士団へと発展し、戦国時代には、後に
甲賀忍者と呼ばれる
甲賀五十三家の筆頭格に数えられ、
伊賀の「服部氏」、
甲賀の「望月」と称されるようになる。
望月「出雲守」が
望月城(現:甲賀市 旧:甲賀郡甲南町)を築城するなどの記録が残されており、
望月出雲守屋敷跡は
現在
甲賀流忍術屋敷となっている。
なお一族の
望月千代女(もちづきちよめ)が、
信濃の望月氏当主・望月盛時に嫁入りし、
武田家専属の
くノ一として
女遊行者を養成して情報収集活動を行うなど、
交流は長きにわたり続いたと考えられる。
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