925日目・・・朝からアメ、今現在はショボショボ・・・家の周りや庭からカエルの声が聴こえる・・・家の敷地は結構、電線に寄り添っていっている高い松の木で囲まれているのに、セミの声を今年も聴いていない。森林でもない路地に間隔を置いて植林されている銀杏の木にへばりついて大合唱をする名古屋とは時期が異なると思うが、この辺にはセミがいない(?)のかも・・・季節感として大粒の汗と、蝉の聲の一セットはボクの記憶にしまい込まれてしまったみたい。虫ムシの種類には驚くけれど、名古屋で毎日、台所で遭遇していたあのデッカイ「ゴ

 この辺のネズミは小さくて、モモとブブの狩りの獲ものだが、相変わらず家の中に連れ込んでは生け獲ったまま目の前で披露してくれる。
 ご近所のネコを飼っているオバサンの話しだと、この辺はキツネが出没するらしく、飼い猫が襲われて傷だらけにされたとか、ネコ族の天敵になっているらしい。時たまカラスもネコを襲うらしい、とかも・・・
 寒くなってきたこの時期、モモは椅子に座るボクの膝の上を占領して居座るようになった。時たまブブが膝の上にのっていても母親のモモが来るとその場所をあけわたす。母親の権威はたいしたモンだ・・・
 人間が利害的な「怨恨」で「敵対関係」になったらその「修復」は難しい。天敵として存在する「自然界の動物」では、「修復以前」の問題である。TVの「ダーウインがきた」を観れば、生態系循環の死活である「弱肉強食」は当たり前である。
 だが、異種族間でも人間に子供の時から飼育され、充分な「食糧」さえ与えられれば、「トラとブタ」でも、「イヌとネコ」でも、「ネコとネズミ」、「ライオンとシカ」でも共棲できるのは実証づみである。「タラフクが保障」されれば、「天敵問題」は解消されるようである・・・
 かっては「オオカミ」に数年間、育てられた人間の少年少女がいた・・・生きていた、と云うことは「喰えた」と云うことだ。だが人間社会に戻され、「喰えても」、彼らは「人間」としては生きられなかった・・・
 すべてとは云わないが、「弱肉強食」は「食糧獲得の問題」である・・・「食料の多寡の問題」である・・・
 「人間社会」はどうか?・・・供給される「食料の多寡の問題」である。食糧が不足して喰えなくなった時にダレかが倉庫に「私的に所有、隠蔽保管、保存」するらしい・・・みんなが喰える時にも「私的に所有、隠蔽保管、保存」するらしい・・・「倉庫満杯」になったら捨てるらしい。そして、「貨幣価値、証券価値」が上がったり、下がったりする。
 ・・・国境、境界線で敵対する「半島の国家間」では「援助合意」がなされたらしい・・・その「援助」のほとんどが「食糧」だろう・・・
 領土問題・・・食料問題ではないな、ッ・・・「食料問題」のテコにする人間が存在する・・・
 原発問題・・・スベテが「食糧問題」であるが・・・
 腹が減っては、衰弱する前に、あらゆる動物が強暴になるのは当然である・・・
 ・・・人間だけが例外・・・?・・・