893日目・・・「お彼岸・お盆」・・・「銅鐸」・・・九州の阿蘇山・「阿蘇市乙姫」地方の大洪水、土砂崩れから「ヒメ=比賣(売)=比竎(口+羊)=姫=媛→秘め」から始まった「銅鐸の謎」に関するコトだけれど・・・2、3日前に楽器の「チェンバロ=ハープシコード」の元祖は「リュート(琵琶)」で、その「チェンバロの部品」が「リュート・ストップ」であるところから類推、推理、「妄想」をタケて同音から「龍(リュウ)の途(ト)・Stop(ストップ=止める)」と書いた。どうやら「現存・古事記」も「現存・日本書紀」も幕末、明治

 例の如く「ウイキペデア」などのブログ紹介によれば、
 「ジャン=フランソワ・ミレー Jean-Francois Millet:19世紀活躍した写実主義の農民画家。『種をまく人』『落穂拾い』『晩鐘』など農民を主人公にしたレアリスム絵画を描き、1867年のパリ万国博覧会で名声を得る」
 ・・・この「晩鐘」は、
 「1855-1857年頃の作品。バルビゾンの馬鈴薯畑で農作業をする夫婦が、教会から聞こえる夕刻のアンジェラスの鐘に合わせて祈りを捧げている。アンジェラスとは、ラテン語で「エンジェル、天使」の意」
 とあった。「晩鐘」の同音異字は
 万障→萬の障(害)→さわり
 万象→萬の(現)象(ショウ・ゾウ)→かたち・象徴
 番匠→番匠(ばんしょう/ばんじょう)→中世日本の木造建築の「建築工」。木工(もく)・大工(ダイク)

 蕃昌→千葉県野田市の「蕃昌」の地名
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 「番書調書」→「蕃書」とは「野蛮人の本=西洋人の書籍」である。
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 「ペリー来航後、蘭学に止まらない洋学研究の必要を痛感した江戸幕府は、従来の天文台蛮書和解御用掛を拡充し、1855年安政2年)、「洋学所」を開設した。しかしこれが開設直後の安政の大地震で全壊焼失したため、1856年3月17日(安政3年2月11日)、「蕃書調所」と改称し、古賀謹一郎を頭取、箕作阮甫・杉田成卿らを教授として、同年末(安政4年1月)に開講した。
 「幕臣の子弟を対象に(1858年(安政5年)以降は藩士の入学も認めた)、蘭学を中心に英学を加えた洋学教育を行うとともに、翻訳事業や欧米諸国との外交折衝も担当した。1862年文久2年)には学問所奉行および林大学頭の管轄下に入り昌平黌と同格の幕府官立学校となった。同年6月15日(5月18日)、「蕃書」の名称が実態に合わなくなったことを理由に「洋書調所」と改称、翌1863年10月11日(文久3年8月29日)、「開成所」と改称された」
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 ・・・「梵鐘」=「木+木+凡(あまねし)+金+童(立+里)」・・・「危機、天音示、筋は話(ワ=輪・環・倭・羽・琶・窪)羅邊(阿蘇の国のアタリ)」である、ナ、ッ・・・「龍」とは「水の龍=洪水」であり、「風の龍=竜巻、台風」、「火の龍=火山噴火」、「土の龍=地震・地走り」で、「木の龍=辰=大木=木星」である・・・「金の龍」とは「琴(キン)=筑(シツ)」、「キンのリュウのト=リュート」、「禽」の「禽獣」で、西方の「麒麟」で・・・キリンビールのラベルの絵である・・・

 ・・・百年ですか・・・

 ・・・ココでの生活・・・五年もモツカナ・・・