774日目・・・電源、電気が無くなったら・・・奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、安土桃山時代、そして、江戸時代の日常生活かな。それでも時代時代の日常生活は「階級、階層ごとの悲喜こもごもの日常生活」であったろうな・・・でも、時代の人間の生活は殆どが「軍事力を擁する支配階級」主導の「階級文化、階級文明」だから、生き死にの命をコントロールされ、搾取された被支配層は「衣食住の生活レベルの比較」では困窮しただろう。「民主主義の時代」と言われる・・・今現在も、このパターンだけはお変わりなしである・・

 ・・・とにかく、産業革命以前の電源知識の無かった時代の人間は「原子力」に頼らなくてもよかったし、電気で輝く電灯も、TVも、ラジヲも、家庭用電化製品も、パソコンも、携帯電話も、電気で動く「新幹線」も、ガソリンエンジンで動く自動車も、船も、飛行機もなかった。
 明かりと言えば「ロウソク」か「ランプ」、暖房、カマドと言えば「薪」か「炭」である。
 知識の吸収と、「情報伝達」と言えば、昔は文字で記録されたカミに記録されたモノで、学問、技術知識も、娯楽も、情報も「カミの本」や「手紙」であった。今現在もかなりは「本」からの知識、情報の吸収である。
 紙=カミ=神・・・本当=本に記録されたモノに当たる、である。
 日本語のスゴサは
 「紙(かみ)に記録されたモノ」=本
 「神(かみ)のコトバを記録したモノ」=バイブル=ブック=本
 「本当」=事実・真実=本に記録されたモノに当たる(調べる)
 「髪(かみ)」=黒い頭の毛髪=頭を護るモノ
 「加味(カミ)」=味を加える
 「噛み(かみ)」=噛み合せて砕くモノ=噛み合せるモノ
 「守(かみ)」=守るモノ
 「上(かみ)」=うえ=おかみ
 である。
 「かみ」の存在と、その「意味内容」が、かみ合っているかどうかは「記録された本の文字説明」である。「字典・辞典・事典・時点・自転」で、「次点」である。
 「カミの本当」とは、カミに記録された本の文字に当たる、である。そして、「カミの意味の関係連鎖」である。
 ・・・「総務省の大臣」とは「行政総務全般を指揮する大臣」である。しかしながら「総務」のコトバに当てはまらない「総務称の権力指揮者」では、あるな・・・どこから、この時期、「法律違反のコトバ」が出てくるのやら・・・躁務生・・・