737日目・・・昨日書き込んだ「チコと鮫」・・・どうして、「サメ(シャーク・shark)=鮫=魚+交」は「イルカ(海豚)」じゃなかったんだろうね?・・・日本史では「入鹿(いるか)」で、「蘇我入鹿」だけれども、「鹿(しか)」は「鹿、中原で争う(史記)」で「鹿=帝=王=覇者」、「女郎の階級の一つ・囲い女郎」のことだけれど、「女郎」が囲われている所は「くるわ=廓・郭」である。「則天武后」の縁戚には「郭」の名前を有する人物も存在する。そして「郭務悰」は「日本書紀」の「壬申の乱」に登場する唐の人物である。銅を鋳っ

 ・・・ギリシャ神話では「イルカ(δελφινι・デルフィニ・海豚)」は海難にあった時に漁師や、船で海を航海し遭難、漂流した海士を救ってくれる海の友人、神様だけれど・・・この「イルカ」は英語で一般的には「ドルフィン(dolphn)」で、「ネズミイルカ」と言う種類は「porpoise(ポーポイス?)」・・・「蘇・我・入・鹿」は「我、蘇(よみが)える、史家(しか=史化・疵瑕・滋賀・志賀)に入って」・・・古語の「しか」には「疑問の語について疑問、否定、反語の意味を強める」、「過去の助動詞『き』の已然形=実現出来そうも無い自己の願望を表す」とある。
 「入鹿=いるか」が「入鹿=ニュウカ」ならば入荷、乳化・・・?・・・蘇我(ソガ)の「入鹿(ニュウロク)」ならば、「似有(結)録」かも・・・
 「古事記」に出てくる「ウサギ」はギリシャ語で「κουνελι(クネリ・兎)」・・・「舎人(とねり)」の「句練(クネリ)」だろうな・・・「句音理(くねり)」かな・・・
 イタリア映画では「海豚(イルカ)に乗った少年」で、日本語のタイトルで紹介されたのは「島の女」だった。
 イタリア女優の「ソフィア・ローレン」がグーダラで貧乏人な漁師の夫との島での生活が厭になってマネー、マネーの「海女・美女」さんを演じていたけれど・・・人間生活の幸も不幸もマネー、マネーのカネにあるらしいョ・・・確かに現実は厳しいけれど・・・明日は明日の風が吹くさ・・・海底で「海豚に乗った少年」の「金の像」をみつけるコトもあるから、さ・・・
 「ボ−イ・オン・ア・ドルフィン」


 「シー・シパード」は「海犬・海狗」だけれど・・・海の鯱(シャチ)は「魚の虎(とら)」だ。オワリ名古屋城天守閣にはどうして「金の鯱」なんだろう・・・英語では「golden dolphn」で、ギリシャ語でも「ドルフィン」なんだけれども、ボク的には「愛知(叡智・フィロソフィ)」の「名護埜(ナゴヤ)」の「写地(写値)」の「写智(シャチ)」で、名古屋の最後の殿様は「写真家」だった。
 それに「チコと鮫」を見たのは「ボクの少年時代」じゃぁなかった?みたい・・・「チコと鮫」は「1962年」に製作だから・・・青年時代?・・・どこでみたのかな・・・映画のストリーは覚えているのに、映画館の場所はボケで記憶にありません・・・以下は舞台がハワイではなく、主人公が物語をカタるタヒチ(?)が舞台のオリジナル版の映画?・・・


 ハワイ版では・・・彼女にプレゼントしたい「黒真珠」は海底の奥深くあり、「マ二(ル?)ヅゥ(彼の家族である鮫の名前。マニヅゥかマルヅゥかがボクの耳では聴き取れない)」以外の鮫が群れをなしている・・・人間が「自然界」に生きるも、「人間社会の枠内」に生きるも大変であるけれど・・・結局は「自然界の手のひらなの中」での生存であるかな・・・