729日目・・・「モンテスキュー・世界の名著28・中央公論社昭和47年7月発行・ローマ盛衰原因論・第九章・ローマ滅亡の二つの原因(269ページ)」・・・なんか今現在の日本と日本を取り巻く状況分析に似ているよなぁ〜・・・以下、抜粋・・・

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 「政治体において統一と呼ばれるのは、きわめて曖昧なものである。真の統一というのは調和の統一であって、あらゆる部分がどんなに対立しているようにみえても、社会の全般的福祉に協力をはかることである。それは音楽において不協和(音)も全体の調和(音)に協力するのと同様である。動揺としか見られないと思われる国家にも統一は存在しうる。言葉をかえると、幸福のみが真の平和であるが、この幸福を招来する調和があるのである。国家はこの世界の部分のごときもので、部分は相互の作用と反作用によって永遠に結合されているわけである。
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 「国家」を前提にしたら「真の統一というのは調和の統一」って、この「調和」と言うのは「階級関係の妥協」ってことかな、それに「統一」って、利害関係上の「幻想観念(だまし)」のことだろうな・・・「支配階級」の・・・気持ち的、感情的に違和感をかもす崩れた「不協和音」もあるジャンルの「一音楽楽曲」には必要だとは思うけれど、音楽の「協和音」そのもの「音」とはチョッと違うだろうな・・・車のブレーキ音とか、ガラスを引っ掻いた音とかはイメージするだけでもカラダに寒気が走る・・・現在的に耳にする「音楽」は確かに「癒す」とか「快感」、「高揚」とかの「音楽」ばかりじゃないけれど・・・沈痛で暗いのも、五月蝿いのもは厭だね。それに耳が慣れてしまうのはおっソロしいね・・・最近、ある「音」が聴こえなくなった。お店に置いてある灯油ヒータの警告音が・・・
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 しかしアジア的専制、すなわち穏健でないあらゆる政体の協調には、実際にはいつも分裂がある。農民、軍人、商人、行政官、貴族の結合するのは、一方が他のものをなんの抵抗も受けずに抑圧しているからにほかならない。もしそこに統一が見られるとすれば、統一されるのは市民ではなく、次々に埋められてゆく死体なのである。
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 ・・・たしかに、シカバネだョ・・・でも、「政体の協調には、実際にはいつも分裂がある」なら「統一体」でもなく、「協調体」でもないだろう。現実的にはシカバネにならないように「妥協」しているんだョネ。「命あってのモノ」だもの「諸階級、諸階層関係」の「利害的妥協」の問題だ。
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 なるほど、ローマの法は共和国を統治することはできなくなったが、しかしそれはいつでも見られることである。すなわち、小国を大国たらしめたよい法は、共和国が拡大してくると負担になる。その理由というのは法の本来の作用は大国民をつくることで、これを統治することではないという点である。
 よい法と状況に適応した法、すなわち一民族を他民族の支配者たらしめる法と、権力を得たあかつきにはこれを維持する法との間には多くの差異がある。
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 「一民族」と「他民族」の「問題」じゃぁなく、「人間」、「人類」の問題だからね。「他人間」も「他民族」も「他人種」も「家族」をも「支配」する「法=一般的な利害幻想と装う法=アタリマエ・当然であるとミンナが思い込んでしまうルール」、これが「権力を得たあかつきにはこれを維持する法」で、「階級社会の法」の原点である。「権力」を握ったら「権力者」は「法的レベル」の強弱はあれ、他者に対する「生殺与奪権者」になるのさ・・・「支配階級」も権力を維持するためには「生産関係」と「生産配分」で「妥協」はするさ、でも、相互関係の「公平」とか「平等」とかではないからね。モチロン、みんなのタメなんかじゃないから、ね。
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 現在世界にはほとんどだれも知らないのに、ひそかに、黙々と日ごとに勢力をのばしている共和国がある。
 この共和国は賢明なのでいつの日か大国の域に達する運命にあるが、もしそうなったとすれば、必然的にその法を変えることになるだろう。しかもそれは立法家の事業ではなくて、腐敗そのもののしわざであろう。
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 そもそも、「共和国」って「腐敗」を元々「孕んでるん」だ。
 で、「共和国」の「共和」って、「協和」じゃないんだよね。「共和国」って「階級、階層」の「妥協の国」ってことだ。「妥協」はショウガナイカラ・・・
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 ローマは発展するためにつくられていた。その法は、このためには驚嘆すべきものであった。したがってローマが君主制、貴族制、大衆政治において、どんな統治をうけたとしても、ローマは指揮を必要とする事業の遂行をやめず、それに成功したのである。
 ローマにしても、ある時期には地上のあらゆる国よりも賢明ではなかったが、いつでもそういうわけではなかった。ローマは小さな幸運でも、取るに足りない幸運でも、大きな幸運でも、同じようにみごとにこれを維持し、繁栄がくれば必ず利用し、不運がくればまた必ずこれを役立たせた。
 ローマが自由を失ったのは、あまり早く自分の事業をやりとげたからである。」
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 ・・・フゥゥウ〜ンッ・・・そうですかね。「自由」は「選択の自由」しかないから・・・
 「モンテスキュー(1689〜1755)」って、活躍年代が「スウィフト(Jonathan Swift)」と重なっている・・・
 「ガリバー」って、「ウイリアム・アダムス」で「三浦按針」がモデルだった、みたいだし・・・「小人の国」は当時の「日本国」がモデルだったらしい・・・関が原の合戦(1600年)・・・
 「ガリバー旅行記(1726年スウィフト著作)」
 スウィフト(Jonathan Swift)1667年11月30日・アイルランド、ダブリン誕生。
 ガリバー旅行記