707日目・・・昨夜は「池上彰」氏の某TV番組「教えてMr.ニュース 池上彰のそうなんだニッポン 」・・・「世界を動かした写真のエピソード」で「スーダン内戦」の「うずくまる女の子の後ろにハゲタカ(禿げ鷹)」の一枚の報道写真・・・一体全体、地球上の人間はドウなっているんだ!!・・・「ハゲタカ」は生きた動物の肉は喰わない(?)。肉食獣の狩りし、殺された動物のオコボレの屍の肉を喰う・・・アンデスの「コンドル」は「屍の肉」のみを喰うんだ・・・以下「ウィッキピデア百科事典」からの抜粋です・・・

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 ケビン・カーター(英語: Kevin Carter、1960年9月13日 - 1994年7月27日)は、南アフリカ共和国の報道写真家。
 1994年、ハゲワシが餓死寸前の少女を狙っている『ハゲワシと少女』という写真でピューリッツァー賞を受賞。写真はスーダンの飢餓を訴えたものだったが、1993年3月26日付のニューヨーク・タイムズに掲載されると同紙には絶賛と共に多くの批判が寄せられた。そのほとんどは「なぜ少女を助けなかったのか」というものであり、やがてタイム誌などを中心に「報道か人命か」というメディアの姿勢を問う論争に発展した。
 授賞式から約1ヶ月後、カーターはヨハネスブルグ郊外に停めた車の中に排気ガスを引きこみ自殺。 彼はマンドラクス[1]を常用する薬物依存症であっただけでなく、20代の頃に躁鬱病を患っており二度も自殺未遂を起こすなど精神的に不安定な側面があった。また、死の数年前から衝撃的な写真を撮ることと、そうした写真ばかりが喜ばれることに疑問を抱いていた。
ハゲワシと少女 [編集]
1983年から続く内戦と干ばつのためにスーダンでは子供たちを中心に深刻な飢餓が起こっていた。しかし、スーダン政府は取材を締め出し国外に伝わらないようにしていた。そんな中カーターは、内戦の状況を伝えようとスーダンに潜入した。
 カーターが訪れた国連などの食料配給センタ−があるアヨドという村では、飢えや伝染病で1日に10人から15人の子供たちが死んでゆく有様だった。やりきれなさから、その村から離れようとして村を出たところで、ハゲワシがうずくまった少女を狙うという場面に遭遇したのである。現場にいたカーターの友人でありフォトジャーナリストのジョアォン・シルバの証言などによると、写真の構図は母親が食糧を手に入れようと子どもを地面に置いた短い時間にできたものであったという。カーターは写真を撮った後、ハゲワシを追い払い、少女は立ち上がり、国連の食糧配給センタ−の方へよろよろと歩きだした。それを見た後は、すさんだ気持ちになり、木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けたと手記に記している。
 この写真が、ニューヨーク・タイムズ紙に1993年3月26日付けで掲載されると強い批判がニューヨーク・タイムズ紙に寄せられた。大部分が写真を撮る以前に少女を助けるべきではないかという人道上からのものであった。この写真は「報道か人命か」という問題として、その後何度かメディアで取り上げられ、論争に発展した。
 なお、日本では中学校の英語教科書『NEW CROWN』(2006、2008年度版)がこの写真を取り上げている。
 ・・・おかぁ〜さァ〜んッ・・・ママァ〜ッ・・・
 ・・・そうなんだョ、ニッポンもッ!




 ・・・そぅなんだョ、ニッポンもッ!