670日目・・・日本代表サッカーの「栄光の日」をみたいと思うけれど・・・「韓国チーム」、残念、なんかいつもとは違ったカンジ、アメのせいじゃないとは思うけれど。「ウルグアイ」も天候条件は同じだったし・・・相手のエリアに粘着質に奪ったボールを素早く持ち込んで執拗に攻める作戦・・・日本の対戦相手の「パラグアイ」もそうらしい。今日は「ドイツ」と「イングランド」・・・「重い歯車の規律(?)の国家」と「紳士気取り(?)の国家」。サッカーは負けるか勝つか。だが双方どちらも「自滅的」に負けてほしいと思うのは、過去も現在

 「イギリスのロンドン塔」って・・・イングルッスの歴史的な表裏の象徴・・・タロットカードの「バヴェル・タワー(ⅩⅤⅠ=16=壱拾六)」だし・・・例のごとくウイッキペデア百科事典から参考抜粋改作して・・・
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 1066年ウィリアム1世
 イングランドを征服
 1078年ロンドンに要塞建設。約20年で完成。
 リチャード1世が城壁の周囲に濠を建設。ヘンリー3世が完成。
 1625年まで国王が居住する宮殿。
 14〜19世紀間、造幣所、天文台
 1640年までは銀行。
 13世紀から1834年までは、王立動物園。
 ロンドン塔に最後に居住した王はジェームズ1世
 1282年から政治犯を幽閉、処刑する監獄。
 14世紀以降、政敵や反逆者を処刑する処刑場。
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ロンドン塔のカラス
 ロンドン塔には、世界最大級の大きさであるワタリガラスRaven)が一定数飼育されている。ワタリガラスは大型で雑食の鳥であるが、1666年に発生したロンドン大火で出た大量の焼死者の腐肉を餌に大いに増えたといわれている。
 当然、ロンドン塔にも多数住み着いたが、チャールズ2世が駆除を考えていた所、占い師に「カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言され、それ以来、ロンドン塔では、一定数のワタリガラスを飼育する風習が始まったとされる。
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 日本語の「カラス・からす(枯らす・刈らす・駆らす・狩らす・刈らす・駈らす・借らす・涸らす・嗄らす・香良洲)」である。「禍・等・素」かも・・・「兎角亀毛」である。
 ”占い師に「(ワタリ)カラスがいなくなるとロンドン塔が崩れ、ロンドン塔を失った英国が滅びる」と予言”である。
 なんか「カラス」って「日本書紀古事記」の「神武天皇の東征・八咫烏(カラス)」・・・「八咫烏(やたがらす、やたのからす)」、「金色の鵄(とび)・金鵄=キンシ」は、「高木大神・高御産巣日・高皇産霊尊タカミムスビ)」によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をした。
 「三本足」のカラス(烏・鴉)と言われるが歴史的な文献はないらしいが中国の文献には「太・陽」の中に3本足が観える、とある。日本には「古事記」の「創作者」に「太安万侶」と、「陽侯」氏と言う宮廷での記録係に携わった「秦の始皇帝の末裔」がいた。
 ・・・「アレクサンガー大王の東征の絵(?)」にも「からす(?)・とび(?)・わし(?)」が描かれているらしい・・・

 「ウイリアム・アダムス=三浦按人」は1600年に日本にやってきた「三本帆船」の「エギリス人」だった。1600年とはイギリスでは「エリザベス1世」の時代である。「ウイリアム・アダムス」が乗ってきた帆船(はんせん)とは、
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 リーフデ号(リーフデごう、蘭:De Liefde=愛)で、1600年(慶長5年)3月16日に、豊後国大分県)に漂着したオランダの商船。300トン。
 船長はクワッケルナック。漂着地は「臼杵」湾の黒島近辺。元の船号は「エラスムス号」だったらしい。
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 「エラスムス」とは「ギリシア・ローマの古典」を学びさらに「聖書」、「キリスト教」に関する著作。
 1500年『格言集』(Adagiorum Collectanea) の初版。
 1504年には『キリスト教兵士提要』(エンキリディオン、Enchiridion militis Christiani) 出版。
 1506年イタリア、「トリノ」大学神学博士号取得。
 『痴愚神礼讃』の著書がある。
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 再度「からす」に関して追記
 「アーサー」王が魔法でワタリガラスに姿を変えられてしまったという伝説もあり、「ワタリガラス」を殺す事は、アーサー王への反逆行為とも言われ、古くから不吉な事が起こるとされている。
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ロンドン塔
政治犯・思想犯の牢獄、処刑場

1471年
 ヘンリー6世
ランカスター朝最後の王。薔薇戦争ヨーク朝エドワード4世に捕らえられ、暗殺される。
1483年
 エドワード5世とヨーク公リチャード
共にエドワード4世の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1624年に二人の子供の骸骨が発見されている。
1535年
 トマス・モア
ヘンリー8世に反抗してタワー・ヒルで処刑された。
1536年
 アン・ブーリン
ヘンリー8世の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。
1540年
 トマス・クロムウェル
ヘンリー8世を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリーが気に入らず(半年で離縁)、クロムウェル自身も王の不興を買い失脚。反逆罪に問われ、タワー・ヒルで処刑された。
1542年
 キャサリン・ハワード
ヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされるロッチフォード子爵未亡人ジェーンと共にタワー・グリーンで処刑された。
1554年
 ジェーン・グレイ
ヘンリー7世の曾孫。エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。
1601年
 エセックス伯ロバート・デヴルー
エリザベス1世の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。
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 「古事記」は「イギリス人、ウイリアム・アダムス」が日本に渡来した以後の「作品」かも・・・?・・・それとも「プロシャ人、シーボルト」渡来以後・・・?
 どちらも「オランダ」が関係しているのだが・・・
 さぁ、どうなる今日の「ドイツ」と「イングランド」のネット(網・羅)を狙った蹴りあい、ッ。