609日目・・・「ハーバード大学・白熱論議」・・・以下抜粋・・・

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 Lecture2
 サバイバルのための殺人 サンデル教授は、19世紀の有名な訴訟事件「ヨットのミニョネット号の遭難事件」から授業を始める。それは、19日間、海上を遭難の後、船長が、乗客が生き残ることができるように、一番弱い給仕の少年を殺害し、その人肉を食べて生存した事件だった。君たちが陪審員だと想像して欲しい。彼らがしたことは道徳的に許容できると考えるだろうか?この事例を元に、哲学者、ジェレミーベンサム功利主義「最大多数の最大幸福」についての議論を戦わせていく。
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  おバカなテーマを設定して「スコラ論議」をするなよなッ、「タワケ教授」がッ!・・・現実的な状況設定ならば第二次世界大戦の戦場や、太平洋戦争の南方諸島での「ジャングルから生き残ってきた日本兵士の行動」を観ればイイ・・・兵士にとって「生き残るための戦争」は「国家」によっては設定されないのさッ。「敵前逃亡」は「国家反逆罪」だから。「兵士」にとって「殺し、殺されるコト」が「国家規範」の前提である。「敵兵の肉・友軍の肉」を状況から食ったか食わなかったかは「軍法会議」ではどうなるのか?・・・「国家のタメ」に食ったらどうなるのか・・・一代目ブッシュ大統領は戦闘機が墜落し、危うく捕虜になりかけ「日本軍指揮官」に食われそうになったらしいけれど・・・実際、捕虜になった別な友軍のパイロットは食われてしまった・・・だが「ミニョネット号の遭難事件」は「(国家間)戦争」ではなかった。
 「最大多数の最大幸福」は「生き残れるカモ」と言うコトであれば「全員」が「死の覚悟」をするコトが「最大多数の最大幸福」であろう、なッ。「最大多数の最大幸福」とは遭難状況にあっては、「全員が自然死」する、と言うコトさッ。
 「結果論」からすれば、「生き残る可能性」のタメに「殺した者を食べる」のでは無く、「死んだ者を食べる」・・・直面した当人が「生き残るタメ」に食えるかどうかは知らんけれどね・・・「殺した肉」、「死んだ肉」を食ったとして、どちらにしても「生き残った奴」は「最大多数の最大不幸」を死ぬまで引きずる(?)だろう。その状況で「生き残るコト」が「幸福」と考える人間は「人間」ではなくなっているダケのハナシである。
 裁くのは同じ「人間」だが、現代的にいえば「人間」としての「精神鑑定」を参考にするさ、サバク前に「人間」だったのか、どうかの。だが、「ヨットのミニョネット号の遭難事件」の生き残ったは奴らは、「理性(理屈)」で「生き残る」と言う「目的意識」でヒトを殺して食ったのである。・・・「精神異常」ではなかった。「殺された奴」との「合意」があったならば「最大多数の最大幸福」であったかも・・・私の「幸福」としてのオネガイです。ワタシをドウゾ、食べてください、って。「喜捨」ってホトケのモノガタリにあったョ、な・・・
 現代でも生きている「人間の臓器」を盗む奴がいる。南米では「角膜窃盗事件」が多発しているコトが以前のニュースで報じられていたが・・・その他の「臓器」もらしいけれど・・・盗んだヤツは「医者(?)」・・・
 「沈黙の羊たち」の「レクター(?)博士」はカニバリストだったけれど、「理性的な目的意識」で人を食う「人間」だろう・・・「ハンニバル」・・・古代でもなくても、強そうな「敵兵の心臓を食うハナシ」はパールバックの小説「大地」にあったけれど・・・英雄の血肉と共に英雄の魂が食った奴に憑依する、と言うハナシ・・・「人間」としてありそうなコトだ・・・なッ・・・