602日目・・・NHK教育番組から・・・なんか、くだらなく「面白かった」デス・・・以下無断で「抜粋」しながら・・・

ーーーーーーーーーーーー
 「アメリカの名門ハーバード大学で最も人気のある授業を初公開。政治哲学を教えるサンデル教授の「JUSTICE(正義)」。今回取り上げるのは「費用便益分析」。
 この理論によると、
 「国民の喫煙により、政府が得をする」
 という結果になるというが…?
 そもそも人間の命に値段をつけることは可能なのか?
 高級な喜びと低級な喜びを区別することは可能なのか?
 授業ではシェイクスピアアメリカで人気のテレビ番組を見比べる。
ーーーーーーーーーーーー
  ↑
 日常性に関係ないような至極「くだらない」論議を「エリ−ト」達は大学で勉強しているらしいのだが、ボクもこの「クダラナイ論議」が好きな人間らしいのだ・・・テーマの設定が「高級な喜び」と「低級な喜び」だって?「喜び」に「高級な喜び」と「低級な喜び」があるなんて、この「高級・低級」は「喜びの修飾語」にするのがどぅかと思うんだけれど・・・「高級な喜び」は「ある程度の教養が無い」とダメらしいって、か?・・・「シエクスピア」のドコが「高級」なんだか・・・これって、「高級=社会的な喜び」、「低級=個人的な喜び」のコトなんだか、どうなんだか?・・・その「シエクスピアの作品」を知っているから「高級な喜び」があるワケがないだろう。「社会的」=「個人的=社会的」が重なる場合もあるよな・・・どっちにしても「総体=部分→関係←部分=総体」でしかないんじゃないかね・・・神も仏も独裁者も民主主義者もエゴイストも現実的には孤独じゃ生きていけないだろうに・・・ボクの伯母は生前「バカもいなきゃ、この世の中は成り立っていかない」ってのが口癖だったけれど・・・「痛くないのは他人の痛み」だから・・・「喜び」もねッ・・・「坂本竜馬」はある時までは「バカ」だったんだろう。そして「無防備に暗殺される」までも「バカ」だったんだろう。「人切り」の「岡田以蔵」の「喜び」はナンだったんだろう?・・・「武士」として同列に遇してくれた「武市」への「人義理」だったのかも・・・国民とか一族郎党とか家族とか「運命共同体(?)」として意味も解からず「全体」の喜び、痛みとしても「煽られ」て感じる時があるョな。サッカーも野球も、オリンピックの競技も「同胞の勝敗」として。でも「命を賭ける戦争状況」にも一喜一憂する「運命共同体・同胞の中身」はナンなんだろう・・・「自分自身以外にも護るべきモノはアル」・・・だが、問題の設定には「主体である主語」と「何の為に・ダレのタメに」が抜けているからではないかな・・・やっぱ「第三者的な立場」でしか考えていないんじゃないのか・・・「功利主義」は一体、ダレの「コウリ」なんだかねッ・・・「数の力」は今現在やっているNHKTVの「ダーゥインがきた」の「ヌウ」とか「アリ」や「渡り鳥」の総体としての生き残りは「弱者固体の犠牲」を前提にしているのだけれど、生き残った総体も、死んだ部分も「ゥン?」・・・「人間社会」は「弱者を切り捨てないで生きていきたい」と「社会的共同体」として願ってきたと思うが、自然災害は諦めるとしても、人間同士の争いでの悲惨な犠牲になった人間をも観念的救済の「天国」まで考えだしてきた。最近は「観念的救済」の行き場もなくなってきたようだけれど、生活を賭けた商売人の「おくりびと」も、もちろん、将来は「天国へ」って、コレって「功利主義」・・・?
 「八プル宇宙天文台」が観たものは「131億光年の宇宙天体」・・・きっとアルんだろうけれど、「天国」、タマシイになって「天国」にいくのにもタマシイが擦り切れてしまうんじゃないのか・・・今現在、地球から視た「宇宙の端」は日本人科学者がコンピュータで数年も掛けて計算した数字で「131億光年」らしけれど、そして宇宙が「膨張」している根拠が「赤色偏光」であると言っているが、131億年にはその天体は「青白く輝いていた宇宙の2段階目」で「宇宙の始まり」だと言っていた。「赤色偏光」は「地球からの距離の問題」であるなら「宇宙の膨張」は関係ないだろう・・・なぜなら逆にその「宇宙天体」から観た「地球=銀河系の位置」は131億光年で「宇宙の始まりの原点」だろうに・・・星の誕生、死滅は宇宙の「変化の循環」って説明しているんだから「宇宙始原」の「ビッグバン」は誤りだ、ということだ。「宇宙」は「絶対基準」を有しない「相対論」としての変化の「総体資源」なのさ。宇宙には「始り」も「終り」もない、とイウコトだ。「宇宙始原」を「天体生成始原」と同列に考えるところに問題があるんだろう、「ホーキンス」君・・・あるのは「存在の変化」だけである。

 次も抜粋だけれど・・・
ーーーーーーーーーーーーーー
 「課税に「正義」はあるか」
   ↑
 「正義」があるワケがないけれど、「税金の意味内容」をはっきりさせるべきだし、「正義」と言うコトバの意味内容もね。

 「アメリカでは、所得層の上位10%が富の70%を所有している。アメリカは、民主主義国の中で、富の分配については、もっとも不平等な社会の一つである。
 さあ、これは公正か不公正か?サンデル教授の質問から議論が始まる。その中でリバタリアンの哲学者、ロバート・ノージックを紹介する。
 リバタリアンの理論によれば、政府の介入が最低限に抑えられた最小国家のみが正当化され、
 政府は
 (1)人間を自分たちから守るような法律(シートベルトを強制する法律など)、
 (2)社会に道徳的価値観を押し付ける法律、
 (3)富める者から貧しい者への所得を再分配する法律、
 を制定する力を持つべきではない。
 サンデル教授はビル・ゲイツマイケル・ジョーダンの例を挙げ、税金による再分配は強制労働と同じであるというノージックの理論を説明していく。
  Lecture6 「私」を所有しているのは誰?
 アメリカには私立の消防会社がある。消防会社に登録し、年間の会費を払うと、家が火事になったら、やってきて消火してくれる。しかし、彼らは誰の火事でも消してくれるわけではない。
 このビジネスから始まり、リバタリアンの哲学者、ロバート・ノージックの論を紹介する。
 彼は貧困層の住宅、ヘルスケア、教育のために、富裕層に税金を課すのは一種の強制だと主張する。
 学生たちは大反論する。再分配のための課税は必要だ。貧しい人の多くが暮らすためには、社会福祉が必要なのではないのだろうか?
 しかし、累進課税システムの社会に生きていたら、税金を払う義務を感じなくなるのだろうか?
 多くの場合、お金持ちの多くは、富をまったくの幸運か、一族の財産として獲得しているのではないか?
 この授業では、学生からなる「リバタリアン・チーム」が、これらの反論に応え、リバタリアンの哲学を弁護する。
ーーーーーーーーーーーーーーー
 だって・・・