582日目・・・古本屋で・・・最近、老いぼれてきたのか「死」とタイトルが付く本が目に着いてパラパラと捲ってしまう。生きている間に僅か半年しか働いたことのない親父、小樽ー香港往復経由の商船の主計をやっただけ。その親父が30半ばで「結核」を患って死んだので、自分自身20代半ばか、30代半ばくらいでこの世とオサラバかと、過剰に思っていたら結構毛だらけで、「クローン」や「万能細胞」の研究解明の時代に長生きしている。「歴史紀行・死の風景・立川 昭二 著・朝日新聞・1982年10月9日発行」を200円で買って読んだ

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 死のかたちは時代や社会により異なる。歴史にみる飢餓やペストによる死は集団的・瞬時的であり、現代のガン死や交通事故死は個別的・散発的な死因構造を持っている。人類の歴史の中で、死の諸相は文明や風土とどうかかわってきたのか。近代医学誕生の契機となった大疫病の爪痕の残る古都を歴訪、ひたすら健康を希求して死を忘れようとする現代人が見失った〈生と死の尊厳〉を感銘深く説いた名著。
 目次

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 ・死のかたち──機内で
 ・生と死の境い──カイロ
 ・飢えと肥満と──ルクソール
 ・悲しみの女神──アテネ
 ・のこされた病歴(カルテ)──テーベ
 ・蛇の夢──エピダウロス
 ・少女の墓──アテネ
 ・血と骨──ローマ
 ・「汚れた者」──アッシジ
 ・死の勝利──フィレンツェ
 ・『往生術』──ピサ
 ・塔あるいは舞踏──シュタイア
 ・奢侈(しゃし)そして毒──ザルツブルク
 ・「死を想え(メメント・モリ)」──ライデン
 ・解剖学とオルガン──パドヴァ  ほか
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 と、あった。
 1970年代前半のボクはヒッピーまがいの目的ナシの無銭旅行で、まったくアメリカやヨーロッパの現地知識の情報も持たなく、先ずはアメリカ、ロスアンゼルス、そこでは大地震にも遭遇したけれど、その渡米滞在していたアメリカからドイツへ。ケルンに留学していた友人の友人、「K」さんを訪ね、そのケルンから行き当たりばったり、ただただフラフラとヒッチハイクでヨーロッパ各地を風邪をひきながら南へ南へと徘徊・・・8月ころだったとは思うけれど、その時期のヨーロッパは寒かった・・・この本の著者である「立川 昭二」氏が鋭い歴史観、文学、絵画、造詣芸術観などとはまったく無縁だったが、この著書の「目次にある場所」を廻ってきた。その後、ケルンに戻って「S・W」さんと合流し、中古のフォルクスワーゲンベルリンの壁を越えて当時の「東欧」を廻ってトルコに出て、ギリシャからユーゴスラビア、そして再度イタリアへ入っていった。フランスのシャトルで車をぶつけられ、車は滅茶苦茶につぶされたが、オデコにかすり傷程度の軽症。その後はヒッチハイクでスペインへ入った・・・
 「死の風景」、先ず、「立川 昭二」氏の「文章」が抜群に旨い・・・それに歴代の西洋絵画に抜群の教養と知識と、その観賞眼と深い歴史的洞察・・・「名著」だから今更、古本読みのボクがとやかく言う筋合いはないのだが・・・鈍感な「ボクのヨーロッパ・エジプト・インド旅行」では「死の風景」をマッタク感じなかった。地中海、自然の風景にもコレと言った感動はなかった。ハルカに北海道の自然が勝っていた感じ。エジプトのピラミッドの巨大さにも・・・「死」、確かに「交通事故」には遭遇したし、他人の交通事故も目撃した。ひもじさも無かった。食料はフランスパンと胡瓜とソーセージ。夕方にはユースホステルの食堂で。「死の風景」などを自覚しようもなかったが、ヒッチハイクに乗せてくれる車が現れるのをひたすら待つ時間の長さ。そして、多分、「立川 昭二」氏と「同じ絵」を見たハズだけれども絵の内容や、写実的な描写に感動したコトはなかった。ただ、描かれている「キャンバスの巨大」さには「スゴクでっかい、デカすぎる」と驚いた記憶が蘇る。美術本で観る絵とは大違いのダビンチの「モナリザ」はマジカで視たが、逆にチッポケで色彩と輪郭がくすんでいた・・・その年頃のボクには「死の風景」の臭いなど嗅ぎ当てる感覚などは毛頭、そなわってはいなかったのだ・・・とにかく、ボクとしては「印象派の絵画」が「大好き」だったから・・・だが、ナポリ滞在のユースホステルで太ったイタリア人(?)がテルアビブの事件をグラビア写真を見せて教えてくれた。その後はポンペイへ・・・火山、火山灰で埋もれてしまった古代都市・・・「死の風景」を嗅ぎつけるよりも当時の都市生活の機能性とモザイク絵画のリアルチックな「エロ」に視線がいった・・・ピサのユースホステルではパレスチナの青年が「議長」から貰った「短剣」だと言うことは判ったが・・・チンプンカンプン・・・一生懸命にボクに説明してくれてはいたのが・・・当時も今(?)も、ヨーロッパでは「ニホンジン」は奇妙な存在のようであるらしい。
 危機的状況が襲う時には「人間社会の階級意識」は気薄になるらしい、とは、当然である。「自然」と「疫病・伝染病・病気」は「階級性」には無頓着に襲い掛かってくるから・・・インフルエンザは「シの風景」になるカモ・・・