481日目・・・「ミーァキャット」の家族生活に於ける大人達のサソリ狩の段階を踏まえた子供教育、賢いなぁ〜ッ。動物の子供の教育は、南米コンドルの子供達が養育係りのコンドルおじいちゃんに飛び方をコーチされているのを、これもNHK番組の「ダーゥインがきた」で観たコトがある・・・「ミーアキャット」の生態は以前にもTV番組で見たことがあったけれど、ちょっとした油断でキツネだったか、オオカミだったかにフェントをかけられ襲われてしまう場面があった。自然界で生きるって・・・大変。

 九時からはNHKスペシャル番組の「トルコ共和国イスタンブール」の現状がドキュメンタリーとして紹介されていた。
 ボクは1972年ごろだったか、イスタンブールの岸壁でボスボラス海峡の東岸のアジア側をみながらシシカバブを食っていた。トロヤに行きたいな、って。今現在、その海峡の海底に日本人企業スタッフがトンネルを造っていたなんて・・・来年開通・・・スゴイ。
 「政教分離」のトルコ共和国イスラムファッション、それに、東西融和のイスラムミュジュック、世界を席捲するんじゃなかろうか。女性のスカーフも、男性のトルコ帽もどこで「カブロウ」が、まさに「政教分離」だからこそ、政治とは関係なく、法の下での「信仰の自由・表現の自由」だとは思うのだが、違うんだろうな。
 習俗、習慣は「地域住民の文化的、歴史的」な伝統だが・・・旧植民地の「回教徒フランス人」の多い「おフランス共和国」の地域では「禁止」されたらしい・・・キモノや浴衣、お祭りハッピを日本人が着て学校の授業に出席したら、ヤッパ禁止されるんだろうか?・・・「日本国住民」はまさに「政教分離」だが、ご利益があるならば、あらゆる「神様オッケイ!」・・・これ、「祭政一致」だ。
 そもそも「政治」と「宗教」の分離って何?・・・分離の原因はカネモウケ・・・「宗教(カミ)」は分離したが、「経済(カネ)」がガッチリくっついたんだ。なるほど、「政治経済=政経」って不可分だョなッ・・・「セイケイ(生計・整形・成型・成形・成蹊・西経・世契・正系・聖経)」にもイロイロあるわけだ・・・「経済=拝金」・・・
 「宗教」は「信仰の哲学」であり、「信仰の思想」でもあるワケだけれど、「非合理的=不思議=超自然=奇蹟=超理解=証明不可能=カミ」と言うところが「合理的=科学的思想=証明可能」と違う。いずれも人間が「階級社会生活」で考え出してきたモノとは思うけれど・・・社会生活の「手段=利用価値=効用価値=使用価値→価値」として考え出された・・・ほとんどが「時代の支配階級」に利用されてきた。
 先週は「バングラデッシュ・ダッカ」で、「沸騰都市・第3回・ダッカ・奇跡を呼ぶ融資」だった。首都ダッカ貧困層の人ビトが、「無担保・少額融資システム・マイクロクレジット」でわずかなお金を借りて若い縫製業者や、貧民街の女性が雑貨屋で自立していく記録だった。政府が「無力」らしいので「民間事業家」が「マイクロクレジット」でカネを貸して自立商売家、自立事業家を育てているのだ。そして農村地域にインターネット配信事業としてのコンピュータを学校に設置して「情報」を提供している。もちろん、子供達の「教育学習手段」である。同時にお百姓さんにとっては生産物を「市場商品」として売る時の「都会の相場情報」が役にたっているらしい。
 縫製業者は事業でカネが儲かれば、更なる事業拡大のタメに儲かったカネを工場拡張と従業員増員に投資するらしい。ビルの中の縫製工場拡張だが、レンガビル・・・鉄筋無し(?)のレンガを積んでフロァーを屋上に増やしていくだけ・・・いずれはあのビルは重量で崩壊するんじゃないのか?もちろん、地震に耐えられそうもない・・・だが当面は雇用拡大で、失業率には貢献しているに違いない。
 「仕事のアル」ところには「生活がデキル」・・・みんな「飢えないで生活」をするためには「カネ」が必要だ。
 雑貨屋の女性も「カネ」を借りるコトで「生活」が「よく」なり、仕入れの品物も増え、お手伝いの従業員も必要になってくるに違いない。「細腕繁盛記」だろう・・・
 カネをモウケなくチャァ・・・それでも「エンゲル係数100%の生活」しかできない「社会人」がゴロゴロいるって・・・ナゼ?・・・「市場=経済学の究極」は「ネズミ講」・・・で、ダレが得するの・・・