434〜5〜6日目、の連番・・・古本屋で300円で買ったのは、去年だった、かな・・・面白かったデス・・・「知の冒険者たち・「蘭学事始」を読む・杉本つとむ訳著・(株)八坂書房・1994年9月15日発行」・・・ボクが江戸時代の「蘭学者」に興味を持つようになったのは、「現存・古事記」を読み出し、「新井白石」の著書、そして「高野長英」に関するする書物を読みはじめてからであった。今回、「知の冒険者たち」を読んで、益々「現存・古事記」と「蘭学者」達の関係に「妄想的確信」が・・・とにかく、ボクにとっては「蘭学」は「コ

naie2008-03-19

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 以下「ウイッキペデア」からの抜粋参考・・・
 『蘭学事始』(らんがくことはじめ)は、文化12年(1815年)、83歳の杉田玄白蘭学草創の当時を回想して記し、大槻玄沢に送った手記。 上下2編。
 蘭学の開拓者である杉田玄白は、自分の死によって草創期のことを知るものがいなくなることを惜しみ、当時のことを書き残そうとする。
  文化11年(1814年)にいちおう書き終わり、高弟の大槻玄沢に校訂させる。 文化12年完成。このとき玄白83歳。 完成2年後の文化14年(1817年)に85歳で死去。
 当初は
 『蘭東事始』(らんとうことはじめ)という題名であった。
 その他にも
 『和蘭事始』(わらんことはじめ)
 『蘭学事始
 とする記録がある。 江戸時代中は写本でのみ伝わった。
 幕末のころ、神田孝平がたまたま露店で写本を見つけ、 明治2年(1869年)、福沢諭吉が、『蘭学事始』(上下二巻)の題名で刊行(その後、明治23年4月1日に記した「蘭学事始再販の序」の中で、感動に涙したとしている)、一般に読まれるようになる。
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 げんざい、「ドル(DOLLAR・$・弗)」に対する「エン(円・\=羊)高(99円=1ドル)」・・・「$」VS「¥」・・・
の壱万円札の「ゆきち」さん・・・ボクは「聖徳太子」の方が好きだったけれど・・・相場ばっかし気にスルんだったらいっさい「中国産の農産物」を輸入禁止して、安い(?)ハズの「アメリカの農産物」を買ってやればイイジャン・・・
 とにかく、「ラン学者」がやった「乱闘事始」で、
 「倭乱事始(西暦57年・後漢光武帝ー中元二年ー丁巳年)」
 の
 「倭欄事始(西暦146年・後漢ー質帝ー本初一年ー丙戌年)」
 だな・・・この翌年
 「西暦147年」は、
 「桓帝ー建和一年ー丁亥年・・・月支国の僧、支識、洛陽に至る」
 とある・・・翌年
 「西暦148年」は、
 「桓帝ー建和二年ー戊子年・・・安息(パルティア)国の僧、安世高、洛陽に至る」
 である。コレラの漢字のヨミカタに注目して欲しい。
 「パルティア国」とはカスピ海南岸に接し、西にシリア王国、アラビア、ペルシャ湾に接し、BC250〜AD226年まで継続した国家である。西暦2年には「王妃ムサ」が国内権力闘争に登場し、この王国は「ローマ帝国」と戦いながら、最後には「ササン朝ペルシャ」に滅ぼされた。
 AD105年に「パルチア王国」に西隣するシリアに「パルミラ王国」が興り、沙漠のオアシスの「通商・交易・貿易」の国家としてあったが、114〜117年のローマ「トラヤヌス」帝の第五パルチア遠征戦争以来のあおりを食って属国になっていた。だが268年には女王「ゼノビア」が小アジア、エジプトを占領し271年に独立したが翌年の272年にはローマ皇帝アウレリアスの捕虜となって「パルミラ」も滅びた。
 中国の魏志倭人伝に記録されている「倭国の女王」である「卑弥呼」は西暦「146年〜239年」の女性で、その後「266年」には女王となった「壱与(壱與)」の「晋王朝への朝貢」が記されている。
 これらの「146年・147年・148年・・・226年・268年・266年・271年・272年」の重なりは・・・?
 「ゼノビア」はギリシャ神話に出てくる風の精「ゼフィルス女神」にも例えられた勇敢果敢な女性であったらしい・・・「ゼフィルス」は美しい光沢の羽を有する蝶々の種類ともなっている・・・「ムベ(宣)」ナルかな・・・「ムベ」は同音異字漢字で「椰子(やし)」の漢字がアテられている。「アケビに似た実がなる」、「うべ」とも言う、とも。「ヤシ」は「香具師(かぐし)」でもあるな・・・「テキヤ」とも・・・とにかく、同音異字は「野史」で、濁音がつけば「野次・彌次」で、ヤジウマの「馬・宇摩・午」である。「彌次」の「彌(弥)」は「卑弥(彌)呼」の「彌」で、そのヨミは、
 「ビ・ミ・ひさしい・あまねし・わたる・経る・覆っている・みなぎる・はびこる・ひろい・深い・大きい・窮める・究める・終わる・弛む・繕う・いよいよ・ますます」
 で、「彌栄(いやさか)」、万歳である・・・カトリックキリスト教徒の儀式のラテン語の「ミサ(彌撒)」の当て字である。そして「彌(弥)勒菩薩」の「彌」で、「慈尊(ジソン)」である。
 「三月」は「弥(彌)生=やよい=卯月(うつき)=三日は、ヒナ祭り」だけれど、対中する月は「長月(ながつき)=九日は、重陽(チョウヨウ)のキク祭り」である・・・雛型(彌生)を徴用、重用して聴く(長=おさ=訳語)・・・ヤゴ(陽侯)がアキ(安芸)に赤とんぼ(蜻蛉)になって飛んでいるのカナ・・・「陽侯氏」は隋王朝の末裔で宮中の「記録、書記係り」であった。「揚名の介」は「平安時代の職務も俸禄も無い名目だけの官職。国司の次官以下の者」である。