433日目・・・今日は古本屋で「猫の言い分聞いてちょうだい・横尾清文・吉野信・2000年・ごま書房発行」を百円で買ってきて、その中の写真を覗いた・・・「モウ君」に似ている黒ネコが本棚に載ってボクを見ていた・・・危ないナァ〜歩道も車道も・・・塀に登ってジィ〜ッと睨んでいる・・・ネコパンチ・・・公園の道中で立ちどまって後姿をみせているのもカッコウいい・・・

naie2008-03-02

 NHK番組での「中国の農村」の生活をみて、あのクニの「指導者」とその「追従者」は、なんか何千年も変わっていないように思える。「日本国」もその本質は同じなんだろう、ナッ。
 「私を利用しようとしているのですか(姫)」、「そのとおり(藩主)」・・・「篤姫」は、「エライ藩主」に利用されて、「バカな将軍」のヨメになるんだろう、なっ・・・「日本階級国家の支配体制」を維持するために・・・戦争回避が諸外国列強と対抗できる「対等の軍事力保持」、「戦争抑止力」とは列強との「軍事力のバランス」であるらしいと、デレクターが「姫」に言わせるのは「自主独立国=民族国家」がその思想的な基盤となっているのだろうな。
 「民族国家」は「国家」である限り「階級国家」である。何時の時代でも「国家」とは「支配階級が被支配階級を統治する格差社会」である。
 「東西冷戦」は「パワァーバランス」で「国家間の戦争回避」があったわけでもない。それ以後の現代に於いても「国家間の戦争」はなくなってはいない。「国家間の対等な軍事力が均衡、拮抗」しても戦争は起こったし、起こされている。「核戦争」ではモト(支配層)もコ(被支配層)も無くなるから控えただけである。
 兵器産業と国家、兵器産業と国家間戦争、兵器産業と雇用失業、兵器産業と国家教育システム・・・兵器産業と金融システム・・・金融システムと諸国家の支配階級の連携・・・
 「諸国家」が地球上から失せた「民主主義(無階級共同体組織)」で「階級国家間戦争」はできないが、「自由主義(階級共同体組織)」では何時でも「国家間戦争」はオッケイだろう。
 世界に「階級諸国家」が無くなったとしても「世界的階級社会」は存在するに違いない。地球規模の「階級社会」が存在するのも当然である・・・多分、「惑星間戦争」なるモノが勃発するに違いない。
 「民主主義」とは「富の公平分配」が基本であり、「生活条件の均衡化」であるだろう。
 「自由主義」とは「富の不公平な分配」が基本であり、「生活条件の不均等化」であるだろう。
 そして「国家間の戦争勃発」は「利害関係の諸要因」がなんであれ、「人間の意識」が原因である。
 「ダーゥインが来た」では、人間以外の動物社会では厳然で現前とした「生殖関係=種の保存」に於ける「序列社会」としてのルールがある。
 ゾウにも、クジラにも、チンパンジーにも、ゴリラにも、海峡を渡るシカにも、生殖に於ける順位の優先権は「ケンカ」で体力的、暴力的に勝利したモノである。だが、その「ケンカ」にはキチンとした「ルール」が存在する。その「序列社会ルール」は、過酷な自然界の制約を受けた「同種の未来的維持保存」を前提としたモノである。
 古代、近代、現代の文化、文明の知恵で自然界をホンのチョッとをコントロールしてきた「人間種」はどうなのか?・・・個的人間としてはその寿命の長短はあれ、「限界」があるのに、渇望して来たのは「種の保存」では無く、「個的人間の保存」であったらしい・・・しかも「権力を握った支配者」である・・・「万能細胞」はダレのモノになるのか?
 「地球規模の人類」としての概念を獲得した「人間」の「種の保存・類の保存」は・・・「万能細胞人間」を創り出そうとし、既に「冷凍人間」を創り出した「個的人間の保存」は自然界の法則からかなり逸脱している・・・?