426日目・・・最近やっと、去年古本屋で買った本、「地図の歴史(織田武雄著・講談社・昭和48年発行)」を読み終えた・・・ボクが買う古本は古本屋の店頭に置いてある100円から300円までの値段のモノばかり・・・興味を引く本があれば、財布の中に1000円以上あれば、五、六冊、衝動的に買うのだが、目次をジックリ見た後は、ほとんどがツンドク(積読)になってしまう。もちろん興味のある本が古本屋に陳列されていない時は、ガッカリするが、思い出したように読む本は腐るほどあるョな、部屋には、と帰ってくる。それにボクの日常

naie2008-02-16


 で、興味を引いた「地図の歴史(織田武雄著・講談社・昭和48年発行)」は本の中に沢山の歴史的な地図としての絵図が貼り付けられていたからである。それでも継続が中途半端になっていたのは縮尺された絵図も観ずらかったけれど、その絵図に記されている文字が細かくて、老眼+近眼の目が耐えられず、頭も痛くなって、手にしたまま眠ってしまうといったコトから・・・
 で、この本を著作した織田武雄氏の研究はスゴイなぁ〜とは思う。世界史としての「地図の形成」は、まさにコトバどおり、確実に「未知(みち=)の世界を知る」と言う知識であった(?)。
 そして、特にボクが興味があったのは第二部の「日本の地図とその発達(211ページ〜)」のところである。日本では八世紀の「風土記」編纂時には「田図」が、大化の改新の翌年646年には地方地図の作成が命じられて、具体的に地図なるモノが作図され、残されているモノは「行基」が作ったモノとされているらしい。「行基」は奈良の大仏造営に参画した坊主である。ボクには、この名前の漢字「行基」にも興味を感じる・・・「行+基」・・・
 黄金のジパングに憧れた西洋人にも、日本人自身にも幕末まで「未知」だったのは北方の「蝦夷」と「樺太」である。それを明らかにしたのが「伊能忠敬」の弟子であった「間宮林蔵」であった。
 ボクはこの時代の「蘭学者」や、その周辺の人物と歴史に興味があるのだけれど・・・そして、「地図」と切り離すことできないのが天空に見える太陽、月、星々とその動きの「天空図=天文図」である。そして「地図」は「旅人」の冒険の結果である。
 タロットの絵で、番号が「0=ゼロ」である「THE FOOL(バカ・愚者)=ザ フゥウル」は、

 天中に太陽が輝く下、
 旅人姿の若者で、
 右手で荷物をぶら下げた棒を握り、
 右肩に担ぎ、
 左手の指先で一輪の花をつまみ、
 目は遠方の天空にあり、
 足下は断崖の崖ぷっちにあり、
 犬がその後ろで、落下の危険を警告している

 ように吼えている。「愚者」とは「無知者・無垢者」であり、「勇者・一所懸命者・情熱者」でもある。「知らない」と言うことは「こわいもの知らず」と言うことでもある。「有知」とは「臆病」でもあるらしい。最後のタロット番号の「21」の絵が「世界」とは示唆深い。「世界」とは「人間の知るコトができる範囲」であるが、タロットの「世界」とは「0(FOOL)〜20(JUDEMENT)」までの枠の世界である。
 たいてい、幼稚園、小学生低学年ぐらいの子どもならば、「人物+家+大洋+花+動物」などのセットにされた絵を描くことからはじまって、マンガを描くコトが好きだったのに違いない。
 そして、このセットの絵は、自分自身の住んでいる周辺の「風景」や、「絵地図」を描くようにナって行ったのではないだろうか・・・具体的に「絵地図」が描かれるのは、確実に頭の中に描かれている自分の家から学校までの道筋とそのプロセスにある店舗、建物や、丘、川、橋、森、広場、公園等の「記憶の絵地図」である。興味の対象と、記憶の対象が広がって行った・・・自分自身の「認識世界」が広がって行った・・・
 ・・・「世界」を知らないでいた方がよかったカモ・・・だが、「世界を知った人間」はナニをなすべきか?・・・ヨも更けたし、寝るとスルか・・・