419日目・・・「白鯨」、「エイハブ船長」・・・イヨイヨ「世界の書物」は「白鯨(ハクゲイ)」にたどり着いた・・・この小説も面白かったが・・・「クジラ神」・・・「宇野鴻一郎(嵯峨島昭)」氏の「鯨神」も最高だった、と思う。大学院在学中の1961年(昭和36年)、第46回芥川賞を受賞した作品・・・中学生だったボクは映画館に見に行ったョ、「鯨神」を。1962年に大映で映画化され、主演は「本郷功次郎」と、「勝新太郎」だった。そして二人に挟まれる娘には「藤村志保」じゃぁなかった、「江波杏子」だった。「志保」さんには

くじら

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 ここに一巻の古い鯨絵巻がある。中央には背美鯨だと思われる巨鯨が血を噴いて荒れまわり、何隻かの赤・白・黒にぬりわけた鯨小舟がそれをとりまいて銛(もり)を投げつけている。
 鯨の頭には素っ裸の漁師が一人、またがって刀をふるい、鯨にからみついた三重の網の下にはもう一人の裸の男が、これは死んだように力なく横たわっている。海はいちめんに暴風のときのように荒れ、鯨のうえには無数の白色の鳥が舞い狂い、何隻かの小舟はすでにくつがえって黒い舟底をみせている。
 絵巻の筆法は、たとえば渡瀬凌雲の熊野太地浦捕鯨絵巻、生嶋仁左衛門の小川嶋捕鯨絵巻、勇魚取絵詞、鯨鱒図、小川鯨鯢合戦、などにくらべるとはるかに稚拙であり、彩色も簡単で、文章もたどたどしいものである。構図だけは一応洋画の図法をとり入れた遠近法にしたがっているが、それも司馬江漢の画図西遊旅譚の生月島捕鯨図説にくらべると、きわめて稚拙なものだといわないわけにはゆかない。ただ、ここで他の同種の絵巻とくらべてわたしの注意をひいたのは、鯨体に比してのセコ舟や人物のいちじるしい小ささ、逆にいえば、鯨体が類を絶して巨大に描かれていることである。簡単な説明文を読んで、わたしはそれが絵師の不注意ではなく、まさにその鯨の巨大さこそが絵師の表現しようとしたそのことであるのを知った。(小説・鯨神)
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 青森県縄文時代の丸山遺跡からは「クジラ」らしき骨も出土したらしい・・・
 テーマは「世界の書物」にあった「白鯨」だった。ここから抜粋していきたい。

 巨大かつ真正なるもの・「白鯨」(ハーマン・メルヴィル

 ・・・創世記いらいの”憤怒”・・・
 「人の心を狂わせ苦しめるすべてのもの、厭おしき事態をかき起こすすべてのもの、邪悪を体とするすべての真実、筋骨を砕き脳髄を圧しつぶすすべてのもの、命と思想とにまつわるすべての陰険な悪魔性、----これらのすべての悪は心狂ったエイハブにとってはモゥビ・ディクという明らかな肉体をもってあらわれ、これに向かって攻撃するすることも可能とおもわれたのである。彼はアダム以来全人類が感じた怒りと憎しみとの全量をことごとくその鯨の白瘤に積み重ね、おのれの胸は臼砲であるかのように、心中に焼けただれた弾丸のすべてをそこで破裂させた」
 ・・・モゥビ・ディクという象徴に”人類創世記いらいの”憤怒が叩きつけられる。(紀田順一郎

 ・・・30年間の埋没・・・
 ハーマン・メルヴィルは1819年ニューヨーク市の貿易商を父に生まれたが、13歳の時父親の没落とともに中学校を退き、銀行員を振り出しに転々と職をかえた。・・・32歳の時に書いた本書(白鯨)は不詳で・・・没後30年目の伝記出版とともに一躍脚光を浴びた。・・・
 「大きなもの、真正なものは、仕上げの笠石を後世に残す。神よ、私が何事も片付けてしまいませぬように」
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 ボクのコトバ・・・象徴、「クジラ」を何に見立てようとも、何と言おうとも、文句をつけようとも、アンタの勝手だけれどね・・・「白クジラの気持」も「黒クジラの気持」も「斑点クジラの気持」も、この大地を、この海原を荒らしまわって、喰い散らかしているオマエタチ、「エゴな人間の知ったコトか」・・・

 『白鯨』(はくげい、Moby-Dick・モビーディック)・・・「ハーマン・メルヴィル」が1851年に著作したものである。
 白いクジラに片足を食われたエイハブ船長と、多人種を集めた彼の部下、そして「白鯨=神=悪魔=怪物」とではなく、彼自身の、「自分自身=白鯨」の化身に対する、復讐と、その執念の戦いの・・・物語であった?
 一等航海士スターバック、イシュメル、銛打ち名人クイークェグ、船員や水夫たちが捕鯨船ピークォド号に乗り込み、白鯨のモビーディックを捜し求めるプロセスでの人間関係、そしてクライマックスである白鯨発見、その死闘・・・興奮するけれどネッ?
 子供向けのマンガもあったし、小説もあった。そしてエイハブ船長をグレゴリー・ペックが演じた映画もあった・・・