377日目・・・「かがみ・かんがみ」・・・鏡・・・「大・今・水・増・吾妻」鑑(鏡)・・・「かがみ」・・・小泉八雲・・・むかしの英語の教科書に載っていた物語で、母親が死んだ後、成長した娘が母の形見であった手鏡を視てその鏡の中に「母親の顔」を発見したと言うハナシがあったけれど・・・「鏡」によって、人は自分自身の「客観性」を観れるのナ?・・・「主観性」をも発見してしまうのカナッ?・・・どっちにしても個人的には「光→対象物⇔電磁波長→眼→網膜→神経→頭脳の中での映像理解」で視ているモノは「マボロシ(視覚観念理解


 どうやらボクが視えているモノは他人が視えているモノとはチガウようなのだ・・・

 鏡を覗いて視ると映っているのは左右逆位置の「自分の顔」だけれど「黒目の縁が紫がかった灰色」になっていた・・・眼が濁っているみたい・・・

 鏡・・・祭器・祭祁・祭祀・祭祈

 鏡・・・化粧道具

 鏡・・・アリスの世界

 水鏡

 金属鏡

 銅鏡

 ガラス鏡

 ミラー(英語)

 シュピーゲル(ドイツ語)

 カスレフディス(ギリシャ語・καθρεψτηS)

 カガミは「鏡」、「鑑(かんがみる・かがみ)」、「加賀美・香我美・加々美・各務・鑑」、「屈み」とも書く。

 邪馬台国の女王卑弥呼が魏の王より銅鏡(神獣鏡、三角縁神獣鏡)を贈られた。「三種の神器」の一が「八咫鏡」である。

 十字架、キリスト、マリアなどが光を反射させた壁などに浮かび上がる「隠れ切支丹鏡」の「魔鏡」があった。

 閻魔さんの鏡は生前の悪事をビデオでみせるようなカガミである。

 鏡が割れるのは不吉であるらしいけれど正月が過ぎて

 鏡餅を割る、とか鏡開きとか言う・・・

 語源的に「鏡の語源はカゲミ(影見)、あるいはカカメ(カカとは蛇の古語。つまり蛇の目)である」との説があるらしいが、ボクの考えでは「水に映す時の姿勢のかがむ(屈む)」である。そして「カミ(神=髪)」を「トク(読く=解く・梳く)」である。

 古代人は夜の天体の星を水盤に水を漲って、背中を屈め、その星々を覗きみたであろうか?

 古代の「直弧紋の鏡(直弧紋=松本清張氏の説は鏡を割って配下の地方豪族に配布した形」が意図的に割られたモノだとするならば、「占いに鏡を使用し、その判じた結果の割る」で、「凶」を分散し、「ワル=悪」を封じ込め、「ワル=和を留める」の行為ではなかったのではないか、と思うのだが・・・

 鑑鏡・観凶・・・カン(諫・諌め)にキョウ(怯・おびえる)
 ・・・友人の「うさ子」さんの「一(壱)、二(弐)、三(参)・四(肆)・五(伍)」の一昨日の「猿」のハナシだけれど「三猿=みざる・いわざる・きかざる」、「しざる=セザル」、「ござる=悟ざる」・・・「六(6)ザルの隠すモノ」は「陸・陸奥」の「サル(去る・然る・沙流・笊・去る)」で「申(さる・もうす)」かも・・・

「69」は「♋(蟹座)」のマークだけれど「6・9」は上下逆位置の勾玉の形で、「オタマジャクシ(カエルのコ)」で「魂(たましい)」の形で御座るな・・・蟹=解+中+ム(ヨコシマ)=かに=可児=掛爾=仮字・・・

 「七(漆)ザル」は「ナナザル・シチザル」か、「メスザル」か「ウルシザル」で、「八(捌)ザル」は「サバクザル」で、キワマッタ「九(仇)ザル」は「アダざる・かたきざる」で、「十(拾・什・X)ザル」は「タル(足)ざる」で、「トウザル」で「アシザル・ペケ、バツ、メざる」かも・・・

 申(さる)→猿(エン)→媛→延→円→縁→轅(黄帝)→姫(足跡)→猿女→宇受(珍・軫)女・・・古事記・・・猿田彦(さるたびこ・エンデンゲン=遠伝言・燕伝諺)・・・溺死・・・船沈没・・・海難、遭難・・・