365日目・・・昨日の「国家」組織の中で「国防費を掠め取る官僚屋・政治屋」と、「市民社会で強盗する人間」はドコが違うのか?・・・「法治国家」の「法の下」では「法律」をまもる人間が「善人(市民・Inlaw?)」で、「法律」をまもらない人間が「悪人(犯罪人・Outlaw)」なのだが、「法律まもれない人間が存在」するのはナゼだろう?・・・「法律をまもれる人間」が「存在」するのではなく、「まもれない人間」・・・「法律をまもれと言う当人」が「存在」しても、「まもろうとしない当人」、「まもれ」と言いながら「まもるコ

アオ

 「善民」とは何か?「近代国家支配階級」の「諸外国国家(植民地主義者)」からの「自国自衛・自国防衛」と「対外支配権(植民地)の拡大」に「役立つ人間」が「善民」であった。
 「税金の収奪=地租改正」、「規律規則の厳守=徴兵」、「知識のレベルアップ、規律と時間厳守の習慣化=学校教育」は「近代(産業資本)国家支配階級」が「被支配階級」に「強要」する絶対必要条件である。みんなを「日本民族=損得諸関係を公平に共有するココロ」に「洗脳」すればイイのだから。
 「国民」を支配するモノには「権力」が必要である。この「権力の源泉」は単純に言えば「富」であり、「財産」であり、「余剰生産物の管理・分配権利」である。そして、コレラの「富」は暴力によってマモルことができると同時に他から奪うこともできる。「暴力」を担う者は「兵隊・軍隊」である。「近代国家支配階級」は「富国」であると同時に「強兵」であらねば「国家支配維持」が国内外ともに不安定で不利になるのは必然である。
 「国有地=天皇の土地」が「個人の私有地(所有地)」にならなければ「国家資本」の形成は不可能だった。「天皇の国民」は実質「資本家の国民」へと脱皮しなければならなかった。もちろん、「天皇」は実質的に「大資本家」に脱皮しなければならなかった。そして「資本形成」は、従来の「土地支配形態」を壊し、「富農」と「貧農」に分化させ「土地」からはみ出さるを得ない「貧農の子弟」を「兵隊」と「産業労働者」に吸収していった結果である。
 「資本形成」には「階級格差」が条件である・・・「格差」の無いところには「利益・利潤」も産み出さないのだから。
 そりゃぁ、そうだよな、何時の時代でも「貧困」が問題である・・・昨夜は昭和30年代の「夜間中学教師(人生)」をNHK教育TVで紹介、インタビューをやっていた。その教育態度は「情熱」的で「感動」的で「立派」であるが、「夜間中学」は当時の社会的貧困層の子供達に必要であったが、彼等は「昼間中学」で「義務教育」として学ぶべき存在だったのだ。社会的環境が「日本国憲法」の「法の精神」を無視して彼等を「夜間中学」に行かさせしめたのである。「夜間中学の存在」が素晴らしかったワケではない。
 「自衛隊」も「夜間中学」も「日本国憲法の枠内」では「憲法違反」である。
 「憲法」も、「法律」も、「公務員倫理規定」も、「政治献金規制法」も、「倫理」も「社会道徳」も、「まもれ」と言いながらまもらなくてもイイ人間が存在する。
 「バンソウ膏」を着けていた奴よりも遵法精神デタラメの「フクちゃん(ヤッちゃん)」なんだけれど・・・日本国総理大臣?・・・野党の党首が「汚騒」で同じ穴のムジナ・・・
 「アルカイダ」の友人の友人であるらしい「疱瘡面」の人間が「事実を言って何が悪い」だと。「事実」が問題でないのは自明だ。問題なのは「政治家」としての立場もフッ跳ばし、「爆弾テロ情報」を知りながら自分自身は危険な「チョウチョウ採集」の場所を避け、自己安全、自己保身として「テロ情報」を公にせず、助かったかもしれない人の命も助けず、「情報包装」する「倫理・道徳」の欠如・・・確かに「死刑執行命令」を「法務大臣」抜きのオートマッチクにしたい、と言っていた無責任放送なヤツだよな、アイツは・・・

 写真は自然界の法則性に晒されている無防備な「アオムシ」だけれど・・・