352日目・・・一昨日は「バットマン・ビギン」を観た・・・「ヒトの心の中は解からない」、でも「ヒトの行動なら事実として判る」・・・なるほど、「事件・事故・事実は判るが、真実は解カラン」と言うわけか・・・昨夜はTV映画番組の「フラダンス(フラガール・ふらぼーい?)」を観た。ヒトビトが状況的に相互に理解してイクってのはワカるけれど。フラダンスの手の振り付け表現は「手話」なんだ・・・今日の午後にはNHKスペシャルで「日本国憲法誕生」の再放送、その後の夕暮れにブログ記事で「うそつき」のニュースを読んだ・・・核密

naie2007-10-07

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 【ワシントン6日時事】1972年の沖縄返還後に米軍が核兵器を再び持ち込むことを認めた日米間の密約締結を示す公文書が6日までに発見された。この問題を担当した当時のキッシンジャー大統領補佐官ニクソン大統領あてに書いたメモなどで、核密約を明示した交渉当事者の公文書が発見されたのは初めて。密約の存在について否定を続ける日本政府に対して決定的な証拠が突き付けられた格好だ。
 見つかったのは、最近機密指定を解除された69年11月12、13日付のメモなど。日本大学の信夫隆司教授(日米外交史)が今年8月に米国立公文書館で発見した。
 佐藤栄作首相の密使として派遣された若泉敬氏(当時京都産業大学教授、故人)が94年に出版した「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋刊)によると、69年11月19日からの日米首脳会談を前に、若泉氏と同補佐官は沖縄から撤去される米国の核兵器を再び持ち込むための方策と摩擦になっていた繊維問題について交渉を続けていた。両日のメモは若泉氏との話し合いを踏まえた大統領への報告になっている。
 メモの表題は「沖縄返還後の米国の核持ち込みと繊維問題に関する日本との秘密交渉」。この中で、キッシンジャー補佐官は首脳会談の進め方を記した日米間の「申し合わせ」について、「沖縄への核兵器持ち込みに関する秘密の日米合意に伴う佐藤首相とあなた(大統領)の台本となるべきゲームプランだ」と説明している。密約を意味する「共同声明の秘密議事録」という表現も使用された。 
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 ・・・「非核三原則」で「ノーベル平和賞」をもらったのは「自民党佐藤栄作」だったけれど・・・「沖縄返還」は当時「本土なみ(非核)沖縄返還」と言っていたが、「沖縄(有核)なみ本土」であったらしい・・・日本外務省は「秘密条約・秘密条項」は無かった、と言っている。
 敗戦直後から七年間、いや、それ以後も「言論の自由としての立場」は「アメリカ合衆国」にあっても「日本のジャーナリスト業界」には無いらしい。「おわらい」にはあるようだけれど・・・「たかがコトバだし」、「単なるコトバだし」、「ただの記録文言だし」なッ。確かに「日本人」は「日本語」を「信じ(神事)ちゃぁイナイ」みたいだ・・・
 「事実としての出来事」は「信じないわけにはイカナイ」だろうが、「日本人」って、「コトバのウラ」とか、「文字行間のイミ」とかが好きな「心理分析大好きフロイト民族」なんだ・・・「ウラナイ」が流行るワケだな・・・確かに「訃賂意図(異図)民族」カモ・・・