301日目・・・「老人達の冷水作戦」・・・老人達の「クーデター」は成功するのだろうか?・・・ところで、「クーデタ」と言ってもその意味がイマイチである。以下の説明は・・・「出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」から・・・

naie2007-06-16

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 クーデター(仏語・英語 coup d'état, 西語 golpe de Estado, 独語 Putsch)は、迅速な襲撃で政府の実権を握る行為で、特に

 「権力者内部の少数グループ(軍部など)が武力によって実権を握る行為」

 を指すことが多い。短期間での権力掌握に失敗し、武力衝突が長期化した場合は内乱、内戦と呼ぶのが一般的である。

 より大きなグループによる反乱や被支配者側から政治的意図から体制を変革する「革命」とは異なる。
 ただし、必ずしも排他的な概念ではなく、「革命的意図」を持ったクーデターもある。
 日本語では流血もなく平和裡に成功した場合は政変、武力衝突や流血をともなった場合は「武力政変」などと訳される。
 クーデターはフランス語で「国家への一撃」の意味がある。

 現代社会において「クーデター」は「非合法で超法規的武力による権力奪取」として否定的に見られる傾向が強い。
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 なるほど・・・コトバとしては「アイマイ」ではあるな・・・しかもここには「クーデタの目的」が「実権を握るコト」としか語られていない。おまけに、「革命(階級交替)」ではないとしながらも「革命的意図」を持ったモノもあるらしい、と記されている。
 「クーデタ」であろうが「革命」であろが、「反革命」であろうが、どんな時代でも「納税者」、特に「中産階級」と「軍隊」にその「公的利益」をアッピ−ルする「大義名分」が必要である。
 現実としては世界中、時代が要請する状況として「騒擾・騒乱」、「内乱・内戦」としての「事件」は数多くあったとは思うが、どこをドウ捜しても「階級的革命秩序形成」は無かったし、今現在も「階級交替としての政府」は存在せず、そして「市場経済・物流経済」で「資本蓄積」が成されるかぎり、将来もそんな「無階級・無階層」の「社会秩序」は存在しないだろう。
 「革命」も「反革命」も「クーデタ」も、その状況を担う実体の「スポンサー」が必ず存在する。人々の生活の場である社会諸関係は「利害諸関係の秩序バランス」である。この「損得」のバランスが偏重すると「既成秩序崩壊」の「混乱」、暴力による「騒擾・騒乱」、「内乱・内戦」が起るのだ。時には対外戦争にまで発展する。
 かっての戦国時代の「下剋上」、豊臣秀吉の朝鮮派遣、江戸時代初期の「浪人騒乱」、「百姓一揆」、大正時代の「米騒動」などは人々の最低限度の生活崩壊、「衣食住の秩序」が崩壊しつつあるプロセスで発生した。
 「市場経済」を前提とした「日本国憲法のコトバ」自体が一国内の人々の「最低限度の公平な生活の保障」と「戦争放棄」を謳っているのだから、誰の眼からみても「階級の利害」を超えて(?)「革命的秩序規範」であるのは「革命的」ではある。
 そして、いかなる現実的な「階級・階層」であろうが、この「階級的利害の国家システム」を生活で「切実に意識」するかどうかは、その時代の人々の「知識と意識レベルの問題」である。人々に生活と生命の「損得勘定」をさせ、「損得感情」を起こさせるモノはその時代の現実的な自分自身に対する「理不尽」と「不合理」を自覚した時である。
 「国民年金」、「国民健康保険」、「国民介護保険」は「国家が保障」する「強制徴収保険」であった・・・これらが「崩壊」しつつあるのは「保障」するモノが結果として無い、と、そのカラクリを国民が知ったからである。
 「日本国民」は「税金の徴収」とその「予算」と「使途」のカラクリの不合理さには、とにかく大目をつぶってきたが、「国家強制保険のデタラメ」を許せないのは当然である。個人と国家の「契約保険」だったのだから。そしてデタラメは同じだが「国家の予算・税金徴収・使途」を許してきた根拠は国民全体に還元されていると漠然と「他人事」として思ってきたからである。
 「自由な市場経済」で「法が保障」しているモノは、「ダレ」にでも「金持ちになれる自由な権利」と「貧乏人になれる自由」である。だが現実的には「ダレ」もが「金持ちにはなれない」が、「ダレ」もが「憲法で保障」される、と言う「最低限の生活貧乏人にはなれる」のである。そして「最低限で生きていくコト」も保障しているし、実際、最低限以下で生きてつつあるのカモ・・・「中流意識」は「如何なるレベル」の生活者にもシフトする「幻想」だから。ホームレスでも意識ダケは「中流」・・・
 だが前提にした「自由な市場経済」を「立法・行政・司法」でコントロールしなければ現実的な「最低限度の生活・生命」も「公平」には「保障」されないのである。そして、国民の意識は「国家保険」の「保障されない保険」のデタラメを知った・・・「クーデタ」を阻止するだろう任務を担う「自衛隊」と「公安警察」の「国家保険」は大丈夫なのか?
 この「見せ掛けのルール」での「国家行政システム」の「実質コントロール」は破綻しつつあり、国民の「信頼」を破壊しつつある・・・
 「反日本国憲法国家」は、「日本国民」、「日本国老人」の「日本国憲法維持、堅持」と言う「クーデタ」で転覆されるであろうか・・・「老人」のスポンサーが現今の「若者」であるならば、その企ては成就するカモ・・・