283日目・・・「博士が愛した数式」は「π・i・e(π+i+e)=0」だったが、「ボクがアイしている数式」は「∞×0=0」である。そして、「1×0=0」であり、「0×0=0」で、この「0」は「パイ(√・ルート)」先生が説明した「無」ではなく「有」である、のだが・・・そして「1(一枚の枯れ葉)」は「全体」ではなく、「部分」であり、「0=宇宙=全存在=全有」と言う「全ての存在」に「包括されている部分」であり、その枠内での「特殊個別的に区別」されたモノである。もちろん「1〜2〜3〜4〜5〜6〜7〜8〜9〜10

 「宇宙(自然)」は「諸関係」に於いてのみ「諸存在の現象」を人間に「感知」させてくれる。そして「感知」とは、ソレ自体が「諸関係での反応」である・・・それを「コトバ」で「整理認識」し、しようとしているのが人間の「頭脳領域での思考活動」である・・・
 「虚数」が「自然界の実数」でないのは、人間の「頭脳領域内での産物」であるからだ。しかも「実数」を前提にしなければ「虚数」を「抽象化」できないのは当然である・・・抽象概念としての「虚心」とか「謙虚」とかの「虚」は、「虚数」としてのその意味に於いて「区別」されねばならない・・・「パイ(√・ルート)」先生の「おかぁさんの生き様」こそは、自然、人間諸関係での「実態」を垣間見せてくれるからこそ、鑑賞者(ボク)の「虚心」にリアリティを以って反応するのだろう・・・