256日目・・・「リンゴ」に関しては「旧約創世記のアダムとイヴ」に関連させて前回、若干触れたが・・・「リンゴ」って、本当に「アダム」が食ったクダモノだったんだろうか?・・・

 リンゴの原産地は「フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』」によれば、
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 カザフスタン南部、キルギスタンタジキスタン、中国の新疆ウイグル自治区など中央アジアの山岳地帯、カフカスから西アジアにかけての寒冷地だといわれている。現在日本で栽培されているものは、明治時代以降に導入されたもの。病害抵抗性、食味、収量などの点から品種改良が加えられ、現在7500以上の品種が栽培されている。亜寒帯、亜熱帯及び温帯で栽培可能だが、暑さに弱いため熱帯での栽培は難しい。

 と記されている。日本では明治時代に注目される「クダモノ」となったのだ。
 前回、記したように「桃」と「蜜柑」は「古事記」には記されているが「林檎」は無い。「禁断の林檎」は「旧約聖書」伝来以後にPopularになった、のだ。「モモ」も「トキジクの実」も在り難いクダモノであった。だが・・・「蜜柑=トキジク」ならば、同音異字は「解き字句」ではある。「オヤジGag」なんって思わないで欲しいのだが・・・「ゴトバ」の謎解きだから・・・「垂仁(推認)天皇」の「三宅(纂拓)連等の祖」である「多遅摩毛理(多字真模理)」がもたらしたのは、「非時の香の木」で「橘=タチバナ=蜜柑」であり、三月三日のお雛様にに添えられるのも「タチバナ」である。「林檎」ではないのは事実である。だが、
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 「トルコで約8000年前(2007年から見て以後同じ)の炭化したリンゴが発見されている。スイスでは遺跡から約4000年前のリンゴの化石が見つかっており、その時点で既にリンゴは栽培されていたとする研究がある。16 - 17世紀頃になるとヨーロッパでリンゴの栽培が盛んになり、17世紀前半にはヨーロッパからアメリカへ持ち込まれ、現在では世界中の寒冷地でリンゴが栽培されている。
 日本へは中国から最初に持ち込まれ「和りんご」などと呼ばれていたが、現在、和リンゴは長野県上水内郡飯綱町で一軒の農家が栽培してその姿を伝えている。熟すると赤くなり、収穫適期はお盆前である。
 また2003年より「彦根りんごを復活する会」が、全国に残存するワリンゴや野生種を調査し数十種類の木(数百本)を育て、収穫した実はお盆に各地の寺社に奉納している。

 「彦根」って、あの万延元年、桜田門外で暗殺された「井伊直弼」・・・の根拠地・・・「花の生涯の直弼」は「西洋事情」には詳しかった。彦根藩の家宝には「地球儀」まであった・・・

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 中国の書物『本草綱目』に「林檎一名来禽,言味甘熟則来禽也。」(林檎(りんきん)の果は味が甘く能く多くの禽(鳥の意)をその林に来らしむ。故、来禽(らいきん)の別名がある)との記述がある。

 「アダムとイヴ」の「りんご」が「リンキン」なら「理夢記夢」、「ライキン」なら「礼記夢」かも・・・

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 平安時代中頃の書物『和名類聚抄』には「利宇古宇(りうこう、りうごう)」」としてリンゴが記述されており、これが訛って「りんご」になったと考えられている。

 「利宇古宇(りうこう、りうごう)」」・・・「利字古字」じゃぁないョなッ、老眼になったら同じような漢字に見えるんだけれど。
 序でに、追加、「ウィキペディア」より抜粋・・・
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 ニュートンのリンゴ
 木から落ちるリンゴを見てアイザック・ニュートン万有引力の法則に気づいたという話は有名だが、この話はヴォルテールが伝えたもので、史実である。このリンゴの木は枯れてしまったが、接木をして増やした2世代以降の木は世界各地で今も栽培されている。ニュートンのリンゴは「ケントの花(華)」といい、生食用ではなく料理用である。味は渋みと酸味が強いが、追熟させると甘く、酸の効いたいい味になるという。

 ボクにとっては、「1666年」の西暦年号に執着したい。
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 1964年3月、イギリス物理学研究所より日本学士院に対してニュートンのリンゴの苗が寄贈されたが、防疫検査により、この苗木はすでに高接病ウイルスに汚染されていることが発覚。一時は焼却処分が検討されたが、学術上貴重なものであること等から例外的に東京大学理学部附属小石川植物園に隔離され、ウイルス除去の研究対象となった。1980年、ようやくこの木からウイルスに汚染されていない接ぎ穂の切り出しに成功。これ以降、ニュートンのリンゴは国内各地に移植されている。
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 聖書におけるリンゴ
 旧約聖書に登場するアダムとイヴが、蛇にそそのかされて食べた善悪を知る果実がリンゴであるというのは、俗説である。なお、イチジクの実でもない。なお、あわてて飲み込もうとしたアダムが善悪を知る果実をのどにつかえさせ、これがのどぼとけの始まりであるとの故事から、男性ののどぼとけは「アダムのリンゴ」ともいわれる。

 ・・・「リンゴ」でもない、「イチジク」でもない、とするならナニ?・・・「楽園追放」の絵画に於いて、彼らの「裸体の前」を隠す「葉っぱ」・・・って?・・・「葉隠」、できないじゃん。
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 ギリシャ神話におけるリンゴ
 ギリシア神話には、「最も美しい女神に与えられる」と言われた黄金のリンゴを巡って3女神が争い、遂に「トロイア戦争に至るエピソードがある(パリスの審判)。また、ヘラクレスの12の冒険の中にも黄金の「リンゴをとってくる話がある。

 ・・・イヤァ〜、「リンゴ」って「フルイ」んだ・・・で、「ミカン」は「オレンジ」だから、江戸時代と重なるのは、「ウィリアム・アダムス」渡来の1600年〜オランダとイギリス「名誉革命」に関係した「オレンジ公(ウィリアムⅢ)」だよ・・・
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 ウィレムはオランダ独立の英雄ウィレム1世(沈黙公)の曾孫として生まれた。
 ウィレム1世に始まるオラニエ(Orange)=ナッサウ家は、南フランスのオランジュオランダ語でオラニエ、英語でオレンジ)とドイツ中西部のナッサウに領地を持ち、オランダでも最有力の貴族で、ウィレム沈黙公以来ネーデルラント連邦共和国(オランダ共和国)統領(総督とも言う)を務めていた。
 オランダ統領であった父ウィレム2世は1650年、ウィレムが生まれる8日前に天然痘で死去した。生まれた時に父が死んでいたため、ウィレムは出生と同時に家領のオラニエ、ナッサウを継承したが、オラニエ家がオランダ統領職を世襲することに反対する共和派が、成人後もしばらくはウィレムの統領就任を認めなかった。ウィレムの母はチャールズ1世の王女メアリー・ヘンリエッタ・ステュアートであったが、1660年には母も死去している。幼くして両親を亡くし、名門貴族の当主として育てられたウィレムは寡黙で慎重な性格を身に付けた。

 江戸長崎の「蘭学者」は当時の「西洋事情」をしっていたのさッツ・・・