250日目・・・「2007年3月16日の報道」である「初の英和辞書の草稿発見・幕末の通訳らが編さん」の記事、

naie2007-03-22

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 「1862(文久2)年に幕府の命で編さんされた日本初の本格的な英和辞書「英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書」の草稿や校正原稿が、古書市で発見されたことが15日、分かった。これまで存在が知られておらず、幕末のペリー来航時に通詞(通訳)を務めた「堀達之助」や英学者らによって日本の英和辞書が成立する過程を解明する貴重な資料。
 手書き原稿約20枚は、和紙の左側に横書きの英語、その右側に意味が対応する日本語が縦書きで書かれていた。朱で校正され、「森」など担当者とみられる名前が記されている。
(共同) 2007年03月15日 23時33分
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 に関連して、ボクは自分の「HP」

http://www42.tok2.com/home/nikorao/tokepe/cyouei1.htm

 に次のようなことを書きこんだの思い出したので、その部分をココにも貼り付けておこう・・・興味の有る人は上記の所にリンクして読んで欲しい・・・
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 「1999年七月七日・水曜日」の「中日新聞・夕刊・E版」の記事には「【ロンドン7日共同】幕末の鎌倉で(じょうい)浪人に殺された英国軍人の署名がある英和事典がこのほど、ロンドンの古書市場で見つかった。
 日英交渉史を研究している恒松郁生『ロンドン漱石記念館』館長が競売で入手した。」とある。
 この辞書の内側のページには「英国歩兵第二十連隊バード中尉、1864年8月13日」と書き込みがあるらしい。右から
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 「安政四年稟准」
 「井上修理校正」
 「英語箋」
 「一名 米語箋」
 「村上英俊閲」
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 と印刷されている。そして、英語で、
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・AN ・
 ・EINGLISH AND JAPANESE ・
 ・AND ・
 ・JAPANESE AND EINGLISH ・
 ・VOCABULARY ・
 ・COMPILED PROMANTIVE WORKS・
 ・BY ・
 ・W,H.MEDHCRST ・
 ・ ・
 ・BATAVIA ・
 ・PRINTED BY LITHOGRAPNY ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 と印刷されている。
 ちなみにこの「バード中尉」は「1864年(元治元年)」の「十一月二十一日」に「鶴岡八幡宮前」で事件にあって死亡したらしいのだ。
 外国人が絡んでくる事件は「1792年」の「北方の海」からであった。
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 「日本語」が「西洋の言語」と接点を持った順番は、「フランシスコ・ザビエル」が日本に「宣教師」として上陸してから、として、単純に図式化すれば、

 ①日本語→西班牙語→日本語としての外来語
  日本語→羅典語→日本語としての外来語
  (イエズス会などのカトリックの宣教師)
  ↓
 ②日本語→葡萄牙語→日本語としての外来語
  (イエズス会などのカトリックの宣教師)
  (バチカンへ派遣の天正十年少年使節
   九州、大友・大村・有馬の諸大名と
   ポルトガル人宣教師・ヴァリニャーニ) 
  ↓
 ③日本語→阿蘭陀語→日本語としての外来語
  (オランダ貿易商)
  ↓
 ④日本語→英語→日本語としての外来語
  (1600年ウィリアム・アダムスなどの漂着者)
  ↓
 ⑤日本語→伊太利亜語→日本語としての外来語
  日本語→羅典語→日本語としての外来語
  (イタリア人宣教師、シ・ドッチと新井白石
  ↓
 ⑥日本語→露西亜語→日本語としての外来語
  (ロシア領沿岸に漂着し、帰国した日本人
   大黒屋光太夫ラックスマン
  ↓
 ⑦日本語→亜米利加語→日本語としての外来語
  (漂流中濱万次郎と黒船ペリー提督)
  ↓
 ⑧日本語→仏蘭西語→日本語としての外来語
  (竹内保徳・榎本武揚・津田道夫・西周らと
   フランス政府要人)
  (幕府雇用フランス人らと小栗カンジョウ奉行)
  ↓
  日本語→「蘭学語=西洋学語」としての外来語

 であった。②のポルトガル人宣教師・ヴァリニャーニは「印刷機」を1590年、帰国少年使節と共に日本に持ち込んでいる。
 江戸時代の主流は「鎖国」による「長崎出島」の「ヒラト(平戸)」で、幕末まで「阿蘭陀語」であったのは言うまでもないが、江戸時代初期に徳川家康であるトップの顧問として活躍したのは「三浦按針」こと、英国人の「ウィリアム・アダムス」であった。
 「ヒラト(平戸)」とは、「比羅徒」か「比羅渡」、「比羅頭」で、古代海軍(水軍)の提督「阿倍比羅夫」とか「安曇比羅夫」にカカるコトバである。本来的には「羅」は「邏(巡回・見回る)」の漢字で、「邏卒(ラソツ)・「邏吏(ラリ)」の見廻りの役人である。
 「」は「羅列・羅針盤・羅城・羅刹・羅宇・羅漢」の熟語があり、女性の名前の「羅敷(ラフ)」は中国戦国時代の「趙の邯鄲の女で、姓は秦。趙王の家老王仁の妻(陌上桑)」である。日本で「王仁」とは「千字文」を伝えた人物である。
 そして、「羅甸・ラテン」語である。「比羅夫」とは「比べる羅(あみ・鳥網・連なり・かかる)の夫(フ・フウ・おとこ・兵=つわもの)」で、漢和辞典には「夫」は別意味で「句末に用いて感嘆の・・・かな。疑問の」を表す、とある。
 「A・B=(ア・ベ)」は英語では「二等水兵・二等海兵」を意味する「able bodied seaman」の略語である。しかも「片附・片譜(ヒラフ)」は同音異字で、両方、対になっているコトバの一方である。「比羅夫・平夫」とは「平な凡夫」で、「片付(ヒラフ)」、「比良夫(比較、良し、カナ)」で、「比良譜」で「比べて漁(リョウ)の譜」だな。「漁」とは「いざり・いさり=漁り」ともヨム。「イザリ」とは「黒田如水」や「ヤマトタケル」の最期の末路、足の不自由な「イザリ(躄)」であり、「コジキ(乞食)」の俗称であり、同音異字は「古事記」である。

 いずれにしても「日本語」と「外国語」を相互に媒介理解させるモノは、人間同士であれば「通訳」の「耳=聴覚」で理解した意味と「口=音声」でのヤリトリであり、人間と「異文字の書籍・記録文」であれば、その媒介翻訳は「字典・辞典・辞書」であり、記録された「異文字」に対する「目=視覚」で理解し、「手」でその意味を記録した「翻訳書記」である。
 とにかく、「和英辞典」か「英和辞典」が「三浦按針」には必要だった。そして、「英語」は「日本語」になちゃった、のさッ。

 「単語外来語」としてはモチロンのコト、「古代日本語」は「文法的」にも「中国大陸の南北」、「朝鮮の南北」、「満州樺太」から「影響」があったハズだが、その「文書記録」は存在しない。記録文書は「奈良、平安時代」からである。
 そして、この「奈良平安時代」は大陸中国では「隋・唐」の時代である。一般的には「正倉院の文物」が遺されて研究されているが、「天竺・印度(インド)」、「波斯(ペルシャ)」から「シルクロード」を経て日本にやって来た事は確実に判っている。当然にも日本語は、かの国々から影響を受けてた「外来語」が存在しているが、この「言語」の研究はあまり追及されていないようである。
 「弘法大師空海」は「唐」から膨大な「密教仏具」ばかりではなく、「文書記録・経典・巻物」をもたらし、「真言宗」を「高野山」に打ち立て、当時の朝廷、支配上流階級に膨大な影響を与えた。
 「密教真言」とは何を意味するのか?・・・「真言」を「密教」にする「真言」とは何か?・・・「真言」であるからには「真の言語(ことば)」である。ナゼ「秘密」の「教え」とするのか・・・「凡字・梵字」と記されている漢字の意味自体は何か?・・・ボクの愛用している「大修館・新漢和辞典」の「113頁(ページ)」に「」の意味説明が記されている・・・

 凡・・・113ページ・中段、【几部】きにょう
 ボン・ハン・およそ・おおむね・大体・大略・おしなべて・すべて・一般に・すべて・みな・ことごとく・合計・並・常・普通・おおし・おし・ちか・つね

 「平凡・凡夫・凡人」などの熟語があるが、ボクが切望する「あまねし」のコトバが端折られている・・・「解字」にも諸説があるらしいが、「几」は薄絹やカミなどの「袋」であるらしく、「ゝ」は「空気(気体)」らしく、浮き上がって飛んでいく様、とある。ならば、風船か、気球船である。「Bonn」ならドイツの都市だが、「Bomb」なら「爆弾・手榴弾・爆撃」であるな・・・「風船」も「気球」も爆発するけれど、「ツエルッツペリン」。

 梵・・・460ページ
 ハン・ボン・清らか・清浄・梵語(プラーマの音訳字)・梵天王・サンスクリット(Sanskrit)語・バラモン(婆羅門・Brahman)教徒

 「梵音」は「釈迦(仏)の声」、「梵天王の声」であり、「梵天」とは「昔の劇場でヤグラの左右に立てた招き」であるらしい。漢字分解では「梵」は「林(木+木)」と「凡」の合字である。「林は平凡、凡夫」か、「記紀は凡記」であるな、「平凡パンチ」。なるほど、週刊「プレーイボーイ」の「ヌード」には負けたな、クレヨン画の「わたる(渉)さん」・・・
 とにかく、「キキ」は「あまねし」である。

 しかも、その「真言密教」の心髄は「宿曜術」と言う「陰暦サイクル=月の朔望」を要とする「二十八宿占星術」であった。この「占星術」の原点は中東であるが、現在の「西洋占星術」とは東西に分岐し、東方にやったてきたモノである。

 ハナシが大分、反れちゃった・・・「英語=イングルス」であるかな、「日本語」が江戸初期の「三浦按針」からズゥ〜ッと「音愚留素」になったのは・・・もちろん、「蛙(かえる)・女(おんな)・理(ことわり)・化(ばける)」・・・のメリケンコ(小麦粉=込む戯拠)・・・だろう?