184日目・・・前回はドイツ人ジャーナリストが当時、1930年代の「日本、日本人」をどのように観察していたを記したけれど、今回は当時のフランス人ジャーナリストが観察した「日本、日本人」に関している本、「日本人と戦争・ロベール・ギャラン著(1979年6月28日・朝日新聞社発行)」に関するコト・・・を・・・ドイツとフランスは隣国同士なのだが「考え方」が異なっている。さすが、「おフランス人」は「個人主義の国」とは思うのだけれど・・・ドイツにパリが占領された時期の文献を読むと、状況に流され、権力に迎合していく様

 とにかく、このロベールさんは戦争中の日本の東京に警察、憲兵などに監視されながらも「戦時中の日本人とその生活」を自分自身の眼で、耳で確認して来た人物らしい・・・イマ現在、ボクがこの「本」を読んでも「一般日本人」と言う人種は「理解できない」のではなく、摩訶不思議な存在の人々が多かった、と思う。
 ボクのオフクロは当時22、3歳、看護婦であったが、空襲に備えて病院の建物を爆弾の被害から防御するため、海岸の砂を袋に詰めて、運んでくる、と言う事があったらしい。その報酬が「絹の靴下一足」・・・でも皆にくれるわけでも無く、一番、目方の重い袋を持って還ったヒト一人に与えられるモノだった。彼女の袋には穴が開いてあったらしく、還ってきた時には、その殆どを道路にこぼして来し、砂の線がしばらくは続いていた、と。アナがどうして開いていたのかは教えてくれなかった。だが、「小柄なワタシは既に、体力、体格で他のヒトに負けていたし、爆弾で直撃されたら、こんなモノで病院の建物がまもられるハズがないから」、と言っていた。竹やり訓練の殆ども体調が悪いとか、ナンとか言ってサボったそうだ。「あんなモノを女性が持って、鬼畜米英」のデカイ兵隊をヤツケレルはずが無いから、とも・・・

 このロベールさんの本の276ページには「19万7000人」が「東京大空襲」で死亡した、とある。広島や長崎の原爆に匹敵する民間人の虐殺・・・この資料はアメリカ軍司令部が押収した「日本側公式文書」にあるらしい。フランス人の彼は、この大空襲の時に東京に存在しており、その日本人達が被っている破壊と火炎地獄の悲惨さを共同体験し、日本人の間抜けな精神状況と行動をつぶさに報告している。

 ボクも戦争体験の無い戦後生まれだが・・・「国防省」などと法案を通した昨今・・・今の若い人達に知って欲しい「日本の戦争の記録」である。