176日目・・・昨夜は「タケシのTV」番組」で「感覚器官」について見た・・・盲目のヒトが舌を鳴らしてその反響の「聴覚」で周りを見ている・・・コウモリ、「座頭市」だョ・・・オーケストラの指揮者の「耳」も凄い。テーブルの上に落とした5百円、百円、50円、十円、五円、一円のコインの音を聴き分けていた。オーケストラが奏でる楽器の変調も事細かに聴き分けていた。「文字」に色彩が施されて視える・・・「音」に色彩が施されて視える・・・2000人に一人の割合で存在するらしい。脳内で「聴覚細胞」と「視覚細胞」が連結して一緒

 で、「主観的」と言えばそれまでだが、「脳機能」がソウであるとすれば、「錯覚」ではない「幽霊」とか「お化け」が視える「理由」がなんとなくワカッタような気する。
 「立花隆のTV番組」でもコンピュータに接続された「脳チップス」で、マッタクの盲目のヒトに「視界」が視えたり、まったく難聴の子供達が音を感知できるようになり楽器を奏でたり、片腕を無くした女性にコンピュータのセンサーで「装着された義手」が自分自身の意志で動かされていた。「脳細胞」の「電気パルス情報」が「神経細胞」に流れる事によって末端の手足を動かす・・・アタリマエなんだけれど、「電気・電磁波」のパルス信号の脳から他の部分への伝達が「末端筋肉」を動かす・・・不思議ッ。
 動植物、人間って、それほど「神秘的」でも「複雑」でもない「単純な存在」みたいに思える。電球に電線、そして電池、コレラの接続で「+−の電流」が「電線」に流れて「電球」は灯る原理と同じ。
 でも、「考えている自分」って、ヤッパシ不思議だ・・・そして、自分以外の「考えている人間」って、サッ・・・不必要に、過度に考え出し始めた、とも思える「人間の存在」って、ナニ?・・・とにかく、喜怒哀楽に「生きている間」だけが「考えるコト」が出来、「知るコト」が出来るんだ・・・「コトバ」で、だとは思うんだけれど・・・

 今夜は「真央さん」と「高橋さん」の氷上の優雅で素晴らしい乱舞には魅了されてしまった・・・そして、ペァのカナダチームのスケートダンス・・・「いかないで」・・・
 ・・・「ことば」なんていらない時もある・・・けど・・・「いかないでッ」・・・