156日目です・・・またまた「耐震偽装・報道機関の三サルの見ない、聞かない、喋らない」・・・で、またまた「furu」さんのモノを貼り付けさせてもらいます。

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 またまた、「きっこの日記」に藤田さんのコメントが載りました。

 「きっこの日記

 http://www3.diary.ne.jp/user/338790/

 消されないうちに、みんなに見てもらいたいと思う。
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 (以下に「きっこの日記」の藤田社長の記録部分から一部分を抜粋させて貰いました。)

 ”経済効果より、「命」が大切だと僕は思います。隠蔽して、結果的に地震が来て、死ななくて良かった人命が失われたとき、親や兄弟や愛する人が死んだ時、どれほど嘆いていも、幾らお金を積んでも、失われた命は二度と戻りません。経済の問題より遥かに大きな問題ではないのでしょうか。武部幹事長は政治家として失格した発言を行なったと思います。

 また、僕がこの一年を通して体験してきただけでも、全く無駄な税金が使われています。無駄な政治家、無駄な記者クラブ、無駄な財団法人、本当にたくさんの無駄な税金使途があります。この無駄を排して、その代わりに、一斉に、安全で快適な建築物に変えてしまうことのほうが、安心できる快適な21世紀を生むのではないでしょうか。今、正にローンの二重払いに苦しんでいるマンション住民や、善意であった建築主の方などの救済にも繋がるし、その他の経済効果は、果てしなく大きいはずです。新潟や阪神の大震災で、今でも苦しんでいる方の救済に繋がるなら、役に立っていない政治家の人件費を削るだけでも、すぐに救済できるはずです。経済の乗数効果は想像を超えるはずです。地震国だからこそ、段階的に、計画を持って、八年程度の計画の中で、日本を美しく変える。経済効果も高く、無駄な税金を排して、自由闊達な日本を、世界にアピールできると僕は思います。

7.最後に 隠蔽体質という闇の意味

 僕は、公務員が、そして、おそらく多くの国民が、理念を失った。若しくは、理念を忘れてしまった。ということが、「隠蔽」を生み、そして、それを見て見ぬ振りをする価値観に日本が到っている原因だと思います。

 そして、これを直すには、憲法の前文、「主権在民」の意識を、もう一度取り戻せばいいだけの話だと思います。間違ったら謝る。修正できることは直す。隠し通してはいけない。憲法の前文と、第三章の「国民の義務と権利」を今一度読み直してください。戦争のない平和な未来を築くために、皆で努力しましょう。闇に閉ざされた心に光を差し込ますことが出来るのは、今をともに生きる我々一人一人の、不断の努力をもってしか出来ないのです。今こそ、憲法の理念に照らされて、枝葉の法律、省令、条令、準則、指導要綱など、複雑に入り組んだ手続き規定に人生を浪費しないように、徹底的に見直すことが大切だと思います。

 ありがとう御座いました。
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 (以下はボクの記述です)

 ・・・当然のように「主権在民」を基盤にした「国民の義務と権利」が・・・みんな、この「日本憲法」に護られ、「国民の義務と権利」がある、と思っているラシイ・・・
 戦争体験し、敗戦した時の殆どの日本人は「日本国憲法」を自分自身の、日本人の、人類の「たましい」と確信(?)したハズなのに・・・だが、今現在、飽食でダイエットに悩んでいる「一部の日本人」は、「クレた憲法」、「モラった憲法」、単に「記録された解釈文字」・・・自分自身の「たましい」にも、ましてや「信念・信条」にもなっていないらしい・・・
 確かに、ルールがあっても、現実的には、まもるか、まもらないかは個々人としての「生きている特殊な諸利害的立場」であるな・・・
 そして事件、事故を・・・他人事のように・・・自分自身に「問題」がフリかからないかぎりダレも「自分自身の問題」としては考えないらしい・・・
 だが「藤田社長」は気がついたのだ、自分自身の問題であると・・・逮捕されてから・・・そして、彼自身の問題はボクやアンタ自身の「タマシイ・信念・信条」の問題であると・・・さらには、「日本国憲法」があろうが無かろうが・・・?・・・「盗むな」、「騙すな」、「殺すな」、「差別するな」と・・・進化の兆をみせながら。
 「エゴな国家」は、エゴを容認する「大多数のエゴな国民」から成り立っている。そして「エゴな国家」は他国家に「エゴ」を通そうとする。「国家の犯罪」は「その国民の犯罪」である。「その国民の国家の犯罪」は「人類、人間としての犯罪」である。
 「万引き国民意識の国家」であるが、「犯罪国民」を育成せざるを得ないのは「国家組織」そのもの「意識・意志」である・・・ヌスム権利とその権利の拡大の意志。
 野生動物、家畜動物から区別され、同類の人間同士の諸関係として「盗むな」、「騙すな」、「殺すな」、「差別するな」と意識的に思考し、生きれる「動物」は「人間」だけである。しかも「生活に余裕」があり、「剰余生産物」を「確保維持」できた「人間」である。「盗まれるモノを有した人間」はその現状を維持、更には拡大しようとするであろう。コレに「無自覚」な人間、あるいは人間の集団は

 「盗め」、
 「騙せ」、
 「殺せ」、
 「差別すれ

 に加担する「エゴ人間、集団」、「非人間・非人類の群れ」とされるのだ。だが、「自覚」した人間、あるいは人間集団は「意識的」に「みんなのタメだ」と、「コトバのレトリック」を考え出し、コレを「法」に変えてヤルのだ。
 
 TV、新聞、その他のメデアで報じられる交通事故・・・現場では事実として必ず被害者、加害者が発生する。被害者にも加害者にもなって悲惨な交通事故はダレもが起こしたくない、と思っているだろう。そして自分自身には起こらないモノとして、被害者にも加害者にもならないだろう、と・・・いつも「事件・事故」はTVの箱の中で起きている、と・・・「事件、事故は現場で起きている」が自分自身は現場にはいない、と・・・見物人や野次馬・・・は「事件、事故の結果を今日の、昨日のニュースとして期待してニュースを知りたがっている」・・・まるで三流ハリウッド映画の「3S」としての「刺激」を・・・そして「何故?」って。

 ひき逃げ犯人でもないのに友人のウソによって逮捕され、長期間拘置された人がいた。自転車に乗る子供をダンプでハネて、加害者になって自分の人生は終わったとおののき、重傷の子供を山中の森の中に放置して隠れていたオジサンがいた。

 ニュースの鉄則、「5W」で説明される「事件・事故」の情報。「WHAT」、「WHY」が欠落するならば「HOW」も無い。もちろん、「WHAT」、「WHY」が歪曲、ウソなら、「HOW」もケモノの道へ誘い込み、踏み込んだ人間は遭難の憂き目をみるだろう。
 「情報」は「商品」である。「売れる商品」は「カネになる」。「カネは蓄財」となる。「蓄財された私的なカネ(資本)」は「私的権力」となる。「私的権力の維持」は「公的権利」を目指す・・・「公的権力」は「情報操作」して「私的権利を維持拡大」する・・・どこまで連鎖して行くんだろう・・・「風が吹けば桶屋が儲かる」のは偶然ではなく、必然だ・・・もう、ヤメタ、アホらしい・・・
 「カミ」になれそうもない現状の人間は自分自身の「安全確保」は先ずは「自分自身の判断と行動」だな。結果はドウであれ「責任」は自分にアル。
 みんなで「怖い赤信号」、「不安な黄信号」を渡るより、「青信号」で渡れば遥かに「安全」であるハズだが・・・停電の時にはどうする・・・「相互の信頼関係」で安全に交差点をわたるだろう。