87日目です・・・国家間にも相性があるとは思うけれど、「国家の支配権力者同士の相性」って、とこかな・・・トンでもない指導者が旅客機、旅客船の機長、船長ならばダレもそれらの乗り物には乗らんだろうけれど・・・トンでもない人物をドウ判断するかの「基準はナニ」かを考えたコトありますカネ?

 適齢期であってもなくても、異性、同性を問わず、「相性」はアナタの関心ゴト(?)であるには違いないでしょう。
 家族、同僚、上司、部下、同僚、嫁、婿、舅、姑・・・コレ、すべてが「相性」・・・
 イイこともワルイことも「問題」が起こるのは常に「相手」があってのコト。
 「問題=トラブル」とは「相手」との「利害関係」・・・「気のゆがみ」です。

 単純にいえば、「利害」とは相手あっての「物質的な損得」であり、
 「精神・感情的」な「快=不快」です。

 二者間、あるいは、アナタが対する複数の人々との関係。
 ココでは、アナタとダレかの関係に的をしぼって「相性」を考えてみましょう。

 感性的に魅惑され、精神、感情がリラックスでき、苦楽をともにしていく相手として「気が合う相性」は確かにあります。しかし、相手との「本質的」な「生年月日時の相性」ばかりを重要視しすぎると、アナタは「相手」に嘆いてばかりになることになる。
 「相性」・・・現実的には「本質的な双方の利害関係のユガミ」は、そう単純なモノではないからです。

 一番大切なのは

 相手との関わる時期=双方のサイクルの時期

 の「相性」だからです。

 本質は相手との「喜び、悲しみ、苦しみ、痛み、思いやり」・・・喜怒哀楽の関係性、時には貸借関係の「義理人情」にからむ「共同性=同一性」です。相手とのすべての面での「共有性的」な、現実的にして「精神・感情の一致」。
 しかしながら「相性が良い」とはそのような双方の「利害の一致する関係」でありながら、現実的にはアナタを中心にした「物質・精神」的な

 
 
 相手を助ける=相手から助けられる
 相手を犠牲にする=相手から犠牲にされる
 相手と全てのことに同等に比和する
 相手と対等に反発する

 関係なのです。占い上では「気」の「助けと抑え」、「均衡と反発」です。
 本質的はこのような関係であり、現実にもたとえ、自分と相手が「特殊な関係枠内(恋人、愛人、夫婦、親子、組織、国家)」にあっても「利害」が一致しなくなったら、

 気が合う
 気が合わない
 協力、和合
 妥協
 抑圧、反発

 する「関係」なのです。
 占い的には「運」は「あなた自身の運」であり、「相手自身の運」です。「生年月日時を基軸に宿命(固定的)」に相性がイイ、と言ってもアナタと相手の「重なる双方の個別的な周り来る運」を無視してはげんじつてきな「利害(気)の問題」は対等に解決されるわけではありません。
 すなわち、「占い」でいわれる「相性の吉凶」はその「生年月日時の固定的」な関係性であり、それ以上でも以下でもありません。どんな相手であっても「相性がイイ時」と「相性がワルイ時」があるのは当たり前。
 「相性」も「流動的」であり、「気が合う時期」、「気が合わない時期」の流れに影響左右されているのは自明でしょう。スナワチ、単純、かつ複雑なサイクルの流れの中で、イイ時もあれば、ワルイ時もある。
 相手を得て実際的な問題が起こったときの解決が出来るかどうかは、

 自分の運
 と
 相手の運

 のある時点でのカラミの「相性」でしかないからです。
 アナタにとって有利に問題を解決してくれるヒトは「その時点」で相性がイイのである。
 単に「気が合う」だけでは意味がないのも自明でしょう。
 問題は今のアナタにとって「相手の今現在の運」がドウナノカ?、と言う事に尽きるでしょう。
 「相性の良し悪し」はあるが「配偶者」は「良い相性」では決まるとは限らない。
 占い上で「完全な相性のイイ人」と結ばれるのは稀であるし、結ばれても「相性サイクル」が「相性のよさ」を保障しないのである。
 世間一般、「ベターハーフ」であって、「ベストハーフ」は嫌われる。
 双方の生年月日時での占い上、結果的に「イイ相性」であれ、「ワルイ相性」であれ、「男女の関係」はアナタがドコまで相手との「共同利害」を防るために協力、妥協、そして自己犠牲できるかの「許容範囲」でつながっていく。
 「本質的な相性」よりも現実的な「相手の運」と「自分の運」のサイクルを基盤とした「ベターハーフ」であることが賢明なのだ。
 どんな相手を選んでも「トラブル」はある。そのトラブルを怖れるよりも、ソレを覚悟して乗り越えていく努力が「相性」を考える時には必要でしょう。

 相性関係も自分の「命式」を軸にした相手の「命式」の関係です。つまり、自分の「命式」にとって「相手の生年月日時のサイクル」が「運勢的にイイのかワルイのか」に尽きます。
 単純には「生年月日時の月日の干支」の関係で、双方の

 「日干同士」の「干合」、
 「日支同士」の「支合・三合」
 「自分の日支」と「相手の月支」の「支合・三合・沖」の関係
 「相手の日支」と「自分の月支」の「支合・三合・沖」の関係

 ですが、これは前述したモノの範囲を超えるものではありません。
 「占い上」では「相性のイイヒト」は自分自身の「命式」に
 バランスを与えてくれる「五行の気」を有している人物です。
 要はその人物の生年月日時の「命式干支」が
 自分自身の生年月日時の「命式干支」に「吉」になっているかどうかで
 判断します。

 すなわち、判断の要はその人物の「生年月日時」が自分に取って
 「運勢的にイイ時期」なのか、どうかデス。
 自分の「サイクル運」の「吉凶判断」と同じです。

 「相性」での結びつきは「結婚を保障しない」とは、
 「占い」では「相性のイイ、ワルイ」では無く、
 配偶者になる人物は
 自分自身の「生まれ日の支=蔵干」の「変通」として
 「決定」されているからです。
 配偶者の「変通」とは
 比肩・劫財、食神・傷官、偏財・正財、偏官・正官、偏印・印綬
 の「星」を相手の「生月」の「天干」か、「格式蔵干」になっている
 と、言うことです。

 結果的に戸籍、結婚式を経て配偶者になった人ばかりではなく、
 「配偶者の星」を有する人には魅かれやすい、と言うことです
 相性のイイ人もいればワルイ人も、その「変通」を有する。
 そして、「相性」のイイ時期と、ワルイ時期がある。

 「占い」が「決定論」であることを胆に命じましょう。
 「開運」とはその「枠内のコト」ですから
 占って良くなるとか、悪くなるとかはありません。

 世の中は「イイ相性」だけでは動いてイカナイんだ・・・あたりまえダヨネッ。
 「特別な関係」の人をタイセツにしてね。