六拾五日目・・・「判断力」・・・の無さ・・・「情報」が沢山あっても、自分自身の「分析能力の範疇を超えている場合」には「結果としての判断」を過ってしまう・・・そして「分析能力」があったとしても「最後の判断を狂わせてしまうモノ」がある。

 ジャァ、自分自身の「判断を狂わせてしまう最後のモノ」とは何であろうか・・・「常識」である。「常識では考えられない」と言う「常識」である。自分自身の「常識」では考えられないコトがこの世の中の「事件」のようなのだ。
 「信じたいモノ」は「自分の中に巣食う常識」で、「信じたくないモノ」は「非常識」である。「非常識」が頻繁に事件として起こると・・・「常識」になってしまう。
 心も精神も、気持ちも「麻痺=常識」になってしまう・・・
 「盗むな」、「騙すな」・・・お母さんが教えてくれた順番は「ウソつくな」、「盗むな」である。「盗むためにダマスな」である。「盗むために暴力を振るうな」である。「ヒトの命を盗む」なんてコト、お母さんもボクも範疇外で、考えもしなかったけれど、お母さん、ゴキブリやクモが大キライだった・・・虫とヒトの命がチガウなんてコトも教えてくれなかった・・・お肉が生きていた「牛」や「豚」や「鶏」や「魚」などの命がアッタものだってコトも・・・

 ボクはお母さんを信じてきたのに・・・
 でも、友達は違うみたい。大人の社会も違うんだ。
 世の中はお母さんが教えてくれたとおりでは無いんだ。

 青信号で手をあげて渡ったのに!
 赤信号で止まっていたのに!
 黄信号で左右を注意して観たのに!
 ドウシテ・・・!?
 おかぁさん、タスケテッ!
 おとうさん、タスケテッ!

 「常識」を「過信」したらダメッ!・・・「青」でも「赤の立場」、「黄」でも「もっと赤の立場」で行動しなさい。「赤」は「もっとモット赤の立場」で・・・

 「お母さん」も「青」じゃない時は・・・
 「お父さん」も「青」じゃない時は・・・

 「ウン」・・・シカナイノ・・・ダレもタスケテくれないノ、ッ!?
 カミさまッ・・・