変相の名人・・・「変装・変奏」の名の人・・・編想・・・編纂の奇矯な妄想

 2927日目・文字霊日記
 怪人二十面相vs明智小五郎+小林(芳雄)少年
 1936年(昭和11年
 変相の名人・・・「変装・変奏」の名の人・・・?
 ↓↑
 1936年(昭和11年)1月~12月
 『少年倶楽部』に
 『怪人二十面相』登場・・・
  本名 遠藤平吉(えんどう へいきち)
  ・・・「元々は『グランド・サーカス団』というサーカス団の曲芸師」
  VS
 明智小五郎
ー↓↑ー
 明智 十兵衛 光秀
  VS
 織田 信長
 天文三年五月十二日
 1534年6月23日
 ~
 天正十年六月二日
 1582年6月21日
               大運 甲 戌 偏官
                   三合丙火偏印
               年運 壬 午 ↓↑
 ┏甲┏午(丙 丁)偏官・印綬・帝旺⇔壬┏午 偏財
 ┗己┣巳(戊庚丙)劫財・偏印・建禄⇔乙┣巳 正官
  戊┣寅(戊丙甲)  ・偏官・長生⇔戊┏子 比肩
  戊┗午(丙 丁)比肩・印綬・帝旺⇔戊┗午 比肩
    申酉空亡
 ↓↑
 大運
 1575年12月(41歳)
  甲戌・偏官・墓
  ~
 1585年12月(51歳)
  乙亥・正官・絶
 ↓↑
 本能寺の変
  本能寺の変(ほんのうじのへん)
  天正十年六月二日
 (1582年6月21日早朝)
 ↓↑
 壬┏午(丙 丁)偏財・印綬・帝旺
 乙 巳(戊庚丙)正官・偏印・建禄
 戊┏子(壬 癸)  ・正財・ 胎
 戊┗午(丙 丁)比肩・印綬・帝旺
 ↓↑
 から
 十一日後・・・?         十日後・・・?
 明智 十兵衛 光秀 死亡?
 ↓↑                ↓↑
 壬┏午(丙 丁)偏財・印綬帝旺   壬┏午
 乙 巳(戊庚丙)正官・偏印建禄   乙┏巳
 戊┗戌(辛丁戊)  ・比肩 墓   丁┗酉
 ↓↑
 山崎合戦(摂津国山城国の境)
 天正十年六月十三日
 1582年7月2日
 ↓↑
 壬午(丙 丁)正財・印綬・建禄
 丙午(丙 丁)印綬印綬・建禄
 己亥(戊甲壬)  ・劫財  胎
 庚午(丙 丁)傷官・印綬・建禄
 ↓↑
 京都市右京区
 京北
 周山町
 慈眼寺
 くろみつ 慈眼寺
 明智光秀 像・・・黒塗りの「明智光秀」・・・「やすけ=弥助」カモ?
 「烏帽子(えぼし)姿」
 「桔梗の紋」=「キキョウの意図の文」?
 ↓↑
 桔梗
 キキョウ目キキョウ科
 多年性草本植物
 秋の七草の一つ
 「朝貌=あさがお=朝顔
 は本種
 ↓↑
 「組合い角に桔梗」の
 「坂本龍馬
 龍馬ら坂本家は
 明智光秀の娘婿であった
 明智光春の子
 明智太郎五郎を先祖・・・
 ↓↑
 明智 左馬助 光春
 天文五年(1536年)?
 ~
 天正十年六月十四日(1582年7月4日)
 幼名 岩千代
 改名 光俊・光遠・・・?
 改名 三宅弥平次→明智秀満
 別名 光春・光遠・秀俊・光俊・光昌
 通称:左馬助
 主君 明智光秀
 氏族 三宅氏(異説あり)→明智氏
 父母 複数説あり
 妻 正室 明智光秀の娘
 子 三宅重利
 ↓↑
 濃姫=鷺山殿(さぎやまどの)=於濃の方
 安土殿
 帰蝶=歸蝶=胡蝶=濃姫
 ↓↑
 帰蝶=キチョウ=記帳・基調・帰朝・・・几帳面
 ↓↑
 斎藤道三の娘(母は正室・小見の方)
 明智光秀とは姻戚関係
 織田信長正室
 ↓↑
 濃姫(帰蝶)
 美濃の大名
 斎藤道三
 の3女で1535年生まれ
 母は明智光継の娘、小見の方
 兄弟に斎藤利治
 斎藤義龍(斉藤義竜)とは異母兄妹
 明智 光秀とは従兄妹同士という説・・・
 ↓↑
 母 道三の正室「小見の方」
   「小見の方」は
   明智光秀の父光綱の妹・・・
   この説を採るならば、光秀と濃姫は従兄妹
 ↓↑
 明智煕子(ひろこ)
 ↓↑
 信長の妻 濃姫
 ↓↑
 光秀の妻 熈子
 ↓↑
 父は妻 木勘解由 左衛門 範 熙
  (つまきかげゆ ざえもんのりひろ)
 or
 妻木広忠
 ↓↑
 妻木氏
 『妻木氏系図
 美濃国土岐郡
 妻木城主
 土岐頼照が祖
 煕子も光秀も
 美濃
 「土岐」氏一族
 ↓↑
 光秀の三女
 珠(ガラシャ)=細川忠興

f:id:naie:20200712105934j:plain

  ・・・桔梗=キキョウ=基教・葵郷・姫鏡
        気胸・記今日・奇矯・希京・希叶
       =漢方で鎮咳、去痰、排膿作用
        処方に
        桔梗湯(キキョウ+カンゾウ
        炎症が強い場合には
        石膏と桔梗の組み合わせ
        処方例
        小柴胡湯加桔梗石膏
        鎮咳去痰の漢方処方
        清肺湯、竹茹温胆湯、参蘇飲
       =桔梗紋
        美濃の
        山県氏=山目L亅八・・・県=懸
        土岐氏=十一(拾壱)山十又
               足壹=足位置
        一族は桔梗紋
        明智光秀土岐氏一族
        安倍晴明=五芒星=桔梗印
        晴明神社では神紋
        朝鮮民謡の「トラジ」
  の
 「あけつさま」=黒塗りの像
 「黒塗りの像」=「弥助」カモ・・・?

f:id:naie:20200712105929j:plain

 元々
 慈眼寺の川向いの
 観音山
 密厳寺(みつごんじ)
 という寺にあった
 光秀 像
 福井の明智神社に
 13cmほどの小さな木像
 岸和田
 本徳寺
 にある
 肖像画

f:id:naie:20200712105925j:plain

 幼名 彦太郎
    明智光秀→惟任光秀
 通称 十兵衛・惟任日向守
 号  咲庵
 渾名 キンカ頭=金柑頭
        ・・・頭=豆(肉刺)+頁
    キンク天顋=禁句天顋?
        顋=サイ・えら・あご
        顋=あぎと
          あご=顎・頥・頤・頷
             顊=阜+頁
        顋=思+頁=えら・腮の正字
          頁(おおがい
            いちのかい)
            一(壹)ノ貝
          腭門・顎・顋・鰓・顊
          上あごと下あごとの間
          顎(あご)
          あぎ・あぎと
          おとがい=阜+頁=顊
          ヲトカヒ=顊
          おとがい(頤)を鳴らす
          よくしゃべる
          へらず口をきく(叩く)
          寒くて震え上がるさま
          美味しいモノ例え
          頬っぺたが落ちる
          多弁・・・喧々諤々
          虎寛本狂言・附子
         (室町末‐近世初)
         『扨も扨も
          うまい事ではないか』
         『おとがいが落るやうな』
    三日天下様
 戒名 秀岳院宗光禅定門
    前日洲条鉄光秀居士
    長存寺殿明窓玄智大禅定門
 墓所 谷性寺(京都府亀岡市
 西教寺滋賀県大津市
 高野山奥の院和歌山県伊都郡高野町
 官位 従五位下 日向守
 主君 斎藤道三朝倉義景足利義昭織田信長
    or
    足利義輝足利義昭織田信長
 氏族 源姓土岐氏明智氏(惟任賜姓)
 父  明智光綱
 母  お牧の方
 養父 明智光安 又は 明智頼明
 兄弟 光秀・信教・進士貞連(作左衛門)
    康秀・定明・定衡
    御ツマキ=織田信長の側室=御妻木
 妻  煕子(妻木範煕の女)
 子  光慶・玉(細川忠興正室)・自然
 ↓↑
 ・・・何故、「江戸川乱歩」が生んだ
    名探偵は
   「明智小五郎」なのか・・・?
 ↓↑
 江戸川 乱歩(えどがわ らんぽ)
 旧字体
 江戶川 亂步・・・本名 平井 太郎(ひらい たろう)
 1894年(明治二十七年)10月21日
 ~
 1965年(昭和四十年)7月28日)
        大運1960年7月(65歳)~1970年
                辛巳正財
 甲┏午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔庚戌偏財
 三合丙
 甲┗戌(辛丁戊)偏印・食神 墓⇔癸未正官
 丙 申(戊壬庚)  ・偏官 病⇔己酉傷官
 甲 午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔庚午偏財
   辰巳空亡
ーー↓↑ーー
  エドガー・アラン・ポー
 (Edgar   Allan  Poe)
  エドガー・A  ・ポー
  エドガー    ・ポー
 1809年1月19日
 ~
 1849年10月7日
      1844年6月(35歳) 己巳偏財
 戊 辰(乙癸戊)正財・正財冠帯⇔己酉偏財
 乙┏丑(癸辛己)比肩・偏財 衰⇔癸酉偏印
  冲己
 乙┣未(丁乙己)  ・偏財 養⇔丙戌傷官
  合丙
 壬┗午(丙 丁)印綬・偏財長生⇔甲午印綬
   辰巳空亡
ーー↓↑ーー
 1809年1月20日
       1844年2月(35歳) 己巳傷官
 戊辰(乙癸戊)食神・食神冠帯⇔己酉傷官
 乙丑(癸辛己)印綬・傷官 養⇔癸酉正官
 丙申(戊壬庚)  ・偏財 病⇔丙戌比肩
 甲午(丙 丁)偏印・傷官帝旺⇔甲午偏印
  辰巳空亡
ーー↓↑ーー
 1809年1月18日?
      1844年10月(35歳) 己巳正財
 戊 辰(乙癸戊)偏財・偏財冠帯⇔己酉正財
 乙┏丑(癸辛己)劫財・正財 衰⇔癸酉印綬
  冲己
 甲┣午未(丁乙己) ・正財 養⇔丙戌食神
  自刑丙
 壬┗午(丙 丁)偏印・食神  ⇔甲午偏印
   辰巳空亡
ーー↓↑ーー
 黒猫 (The Black Cat, 1843年)
 大鴉(The Raven, 詩・1845年)
 ↓↑
 黒猫 (The Black Cat, 1843年)
 日本で
 1887年(明治二十年)
 「饗庭篁村
 によって翻訳=意訳
 正訳は
 1893年(明治二十六年)
 『鳥留好語(とりとめこうご)』
 に収録された
 「内田魯庵」訳の「黒猫」が初
 1911年(明治四十四年)
 「平塚らいてう」訳が
 『青鞜』に掲載

f:id:naie:20200714151533j:plain

 ↓↑
 大鴉(The Raven, 詩・1845年)
 「大鴉はパラス(アテーナー)の
  胸像の上に止まり
  Nevermore(二度とない)
  という言葉を繰り返す・・・」
 ↓↑
 カラス(烏、鴉、鵶、雅)
ーーーーー
 加羅州=カラス=華羅州=唐州=韓州
     烏=如何(いかん・なに)
    =烏=戸+丂+灬
       ノ+尸+一+ㄣ+灬
       ノ+尸+一+𠃑+灬
       ㇀+尸+一+𠃌+灬
       亏・亐・于=二+亅・・・迂回
             丁+一
  烏・・・「白」-「一」=黒
       白い「鳥」を
      「一」を除いて
       黒い「トリ」にした
  ウ・ク
  ここに・ああ・おいて・に・より・を
  ああ・わあ・ああという嘆息の声
  ここに=語気をあらわすことば
      詩のリズムを整える間拍子
  に・…において・…に対しての意
 ↓↑
 舃=臼+丂+灬
    一+𠃑
  =シャク・サク・セキ・タク
   かささぎ
 汚=水+亐(丂一)
 丂
 ↓↑
 からす(皆素)
 からす(烏/鴉)
 カラス(Maria Callas
 からす(枯らす)
 からす(涸らす)
 からす(嗄らす)
 からすあげは(烏揚羽)
 からすいし(烏石)
 からすうり(烏瓜)
 からすおうぎ(烏扇)
 からすおどし(烏威し)
 ↓↑
 から一す(皆素)
 花札勝負で
 初めに配られた7枚の札が
 すべて点にならない
 素札(すふだ)であること
 ↓↑
 からす(烏・鴉)
 カラス属の鳥の総称
 全体に黒色か灰色
 ↓↑
 カラス
 1923~1977
 米国生まれの
 ギリシャ系ソプラノ歌手
 ↓↑
 涸らす
 声をかすれさせる

 からす一あげは(烏揚羽)
 アゲハチョウ科のチョウ
 羽は黒色の地に金緑色の
 鱗粉
 ↓↑
 からすいし(烏石)
 漆石(うるしいし)とよぶ黒曜石
 石炭の異称
 ↓↑
 からす一うり(烏瓜)
 ウリ科の蔓性(つるせい)の多年草
 巻きひげで他に絡みつき
 葉は手のひら状に浅く裂ける
 雌雄異株
 ↓↑
 からす一おうぎ(烏扇)
 烏扇(ウセン)
 アヤメ科の植物ヒオウギの古名
 ↓↑
 からす一おどし(烏威し)
 烏の止まるのを防ぐために
 屋根に仕掛けたおどし縄
 ↓↑
 ・・・「案山子(かかし)」=久延毘古
              (くえびこ)
 大国主神の元に海の向こうから
 小さな神がやって来たが
 名を尋ねても答えず
 誰もこの神の名を知らなかった
 ヒキガエル
 「多邇具久」が
 「久延毘古なら、きっと知っているだろう」
 と言い
 「久延毘古」に尋ねると
 「神産巣日神の子の
  少名毘古那神である」
 と答えた・・・
 「久延毘古とは・・・句延(縁)諺故?
  山田の曾富騰(そほど・そほづ)=scarecrow
  のことである」
 scare=突然怖がらせる・おびえさせる・驚かす
 crow=からす
    おんどりの鳴き声・鬨の声
    悦に入る・勝誇る・勝鬨(かちどき)
 カラスに似た鳥
 (raven・magpie・jay・rook・jackdaw
  chough・carrion crowなど)

 「そほど=曾富騰」の「そほ」
 「赭=そほ」=塗料などに使った赤い土
        赤い色「丹」
        案山子(かかし)の
       「かか」=赤い色を表す
       「ソホド」=「カカシ」
        両方ともに「赤い色」・・・
  赭=赤+者
    シャ
    あかつち・あか・あかい
    赤土の色
   「赭顔・赭 髯(シャゼン)」
    はげ山
   「真赭(まそお)=真朱(しんじゅ)」
    の別名
 ↓↑
 からす一かんざえもん(烏勘左衛門)
 色の黒い人をあざけっていう語
 ↓↑
 からす一がい(烏貝)
 イシガイ科の二枚貝
 湖沼にすみ、貝殻は楕円形で殻長約20センチ
 殻表は黒く光沢
 内面は真珠光沢が強い
 ↓↑
 烏(からす)が
 鵜(う)の真似(まね)
 「鵜の真似をする烏」
 ↓↑
 からす一がしら(烏頭)
 「烏頭(ウトウ)」の訓読み
 馬の後脚の外に向いてとがった関節
 くわゆき
 ↓↑
 からす一がね(烏金)
 翌朝
 烏が鳴くまでに返さなければならない金
 日歩で借りて、借りた翌日にすぐ返す
 高利の金
 ↓↑
 からす一がみ(烏紙)
 畳の縁布の下敷きに用いる
 紺黒色の和紙
 ↓↑
 からす一がわ(烏川)
 群馬県西南部を流れる川
 鼻曲山に源を発し、途中
 鏑(かぶら)川・神流(かんな)川
 などと合流
 ↓↑
 から一すき(唐鋤=犂)
 柄が曲がっていて刃の広いすき
 牛馬に引かせて田畑を耕すのに用いる
 牛ぐわ
 「唐鋤星」
 ↓↑
 からすき一ぼし(唐鋤星)
 二十八宿の一
 参宿(シンシュク)の和名
 星座の配置を唐鋤に見立てた名
 ↓↑
 からす一ぐち(烏口)
 製図用具の一
 2枚のくちばし状の部分の間に
 墨汁を含ませて線を引くもの
 ↓↑
 からす一ざ(烏座)
 南天の小星座
 4個の星が小さい四角形を作る
 5月下旬の午後8時ごろ南中
 四つ星
 学名 (ラテン)Corvus
 ↓↑
 からす一ざんしょう(烏山椒)
 ミカン科の落葉高木
 暖地に自生・枝に短いとげが多い
 葉は山椒(サンショウ)に似て大きい
 雌雄異株。夏、淡黄色の小花を円錐状に咲く
 ↓↑
 から一すし(から鮨)
 卯の花
 ↓↑
 からす一だな(烏棚)
 床の間・書院などのわきに設ける
 上下二組みの違い棚のある棚
 ↓↑
 からす一てんぐ(烏天狗
 烏のくちばしのような口つきをしている小天狗
 ↓↑
 からす一とび(烏飛び)
 能「翁」で
 三番叟(さんばそう)によって演じられる舞の型
 声を掛けて横にとびはねる
 江戸時代の防火装置
 ↓↑
 からす一とんび(烏鳶)
 タコ・イカの口にある
 上下あごに相当する顎板(ガクバン)
 黒褐色、これで食物を咀嚼(ソシャク)
 ↓↑
 からす一なき(烏鳴き)
 烏がやかましく鳴くこと
 鳴き声から吉凶が占う
 凶事の起きる前兆
 ↓↑
 烏(からす)に反哺(ハンポ)の孝あり
 烏は成長し親鳥の口にえさを含ませて
 養育の恩に報いる
 「烏さえ親の恩に報いる」
 ↓↑
 からす一ねこ(烏猫)
 黒色の毛の猫
 江戸時代
 労咳(ろうがい・肺結核)の者が飼うと
 病気が治る・・・ 
 ↓↑
 からす一の一あしあと(烏の足跡)
 目じりにできる小じわ
 ↓↑
 からす一のえんどう(烏野豌豆)
 マメ科の越年草
 高さ60センチくらい
 葉は羽状複葉で先端は巻きひげ
 春、淡紅紫色の蝶形
 ↓↑
 「からす」の頭(かしら)が白(しろ)くなる
 人質になっている
 「燕の太子
  丹に
  秦王が烏の頭が白くなり
  馬に角が生えたら帰国を許す」
 と言った「史記・刺客伝賛注」
 「烏(からす)の頭(かしら)白(しろ)く
  馬(うま)角(つの)を生(しょう)ず」
 ↓↑
 烏(からす)の髪(かみ)
 黒くてつやのある髪
 ↓↑
 からす一の一きゅう(烏の灸)
 子供などの口のわきにできる白いただれ
 ↓↑
 烏(からす)の行水(ぎょうずい)
 入浴時間が短いことのたとえ
 ↓↑
 からす一の一ごま(烏の胡麻
 シナノキ科の一年草
 山野や荒れ地に生え
 高さ約60センチ
 葉は卵形で先がとがる
 秋、黄色い5弁花が咲く
 実は細長い角状
 ↓↑
 烏(からす)の雌雄(しゆう)
 「詩経」小雅・正月から
 二つのものが似ていて
 区別しにくいこと
 ↓↑
 からすのぬれば一いろ(烏の濡れ羽色
 水にぬれた烏の羽のように
 黒くてつやつやした色
 「髪は烏の濡れ羽色
 ↓↑
 からす一ば(烏羽)
 烏の羽・黒い羽
 敏達天皇の代に
 高麗(こま)から来た
 烏の羽に墨書きした手紙を
 湯気で蒸し、帛(ねりきぬ)に押し写し解読
 ↓↑
 からすば一いろ(烏羽色)
 烏の羽の色
 黒く青みのあるつややかな色
 黒い色
 ↓↑
 からす一ばと(烏鳩)
 ハト科の鳥・全長約40センチ
 全身黒色で緑色の光沢がある
 日本特産
 伊豆諸島・小笠原諸島琉球諸島などに棲む
 ↓↑
 からす一びしゃく(烏柄杓)
 サトイモ科の多年草・畑などに生え
 高さ約20センチ
 葉は3枚の小葉
 長い柄の中ごろと上端とに1個ず
 つむかご
 ↓↑
 からす一ぶえ(烏笛)
 歌舞伎で
 烏の鳴き声の効果音を出す笛
 竹筒の内部に
 太さの異なる竹筒を三重に入れ
 リードをつけたもの
 ↓↑
 からす一へび(烏蛇)
 シマヘビの黒化型
 うろこに黒の色素細胞が異常に多く
 全身黒色
 ↓↑
 からすま一どおり(烏丸通り)
 京都市中央部を南北に走る幹線道路
 北の今宮通りから京都御所前を通り
 南の久世橋通りに至る
 全長約6.6キロ
 ↓↑
 からすまる(烏丸)
 平安京の南北の小路
 烏丸(からすま)通り
 ↓↑
 からすまる一どの(烏丸殿)
 京都市上京区烏丸(からすま)
 今出川の北の
 相国寺門前にあった
 足利義政(あしかがよしまさ)の邸宅
 烏丸御所
 ↓↑
 からす(烏・鴉)
 黒いところから
 くろうと=玄人
 ↓↑
 口うるさい人・お喋り
 よく物忘れをする人
 意地のきたない人
 その辺りをうろつく人
 旅がらす
 ↓↑
 色の黒いこと
 からす猫・からす蛇・からす石
 ↓↑
 からすまる一まきえ(烏丸蒔絵)
 桃山初期から、烏丸で製造された漆器
 ↓↑
 からすまる一みつひろ(烏丸光広
 1579~1638
 江戸初期の歌人
 ↓↑
 から一すみ(唐墨)
 中国製の墨・とうぼく
 ↓↑
 から一すみ(鱲子)
 ボラの卵巣を塩漬けにし
 塩抜きして圧搾・乾燥した食品
 形が唐墨(からすみ)に似る
 サワラ・タラからも作る
 ↓↑
 からすみ一ず(鱲子酢)
 からすみを
 おろし金ですり
 合わせ酢を加えた料理
 からすみを薄く切り
 大根おろしと酢であえた料理
 ↓↑
 からす一むぎ(烏麦)
 イネ科の越年草
 高さ約1メートル
 葉は細長い
 夏、小穂を円錐状につける
 ヨーロッパ・北アフリカの原産
 エンバク...
 ↓↑
 烏(からす)を鵜(う)に使(つか)う
 無能な人を
 能力を必要とする地位に
 据えること
 ↓↑

f:id:naie:20200712105937j:plain

 明智光秀
 ↓↑
 生地は明智荘の明智城
 岐阜県
 可児市・・・可児=かご・かこ
 ↓↑カジ=嘉字=佳字(けいじ)
      好字・佳字・嘉字
     (かじ・けいじ)
      漢字の
      字面が良くない場合
      同じ読みで
      字面の良い漢字をあてる
     「嘉字」とも書く
      佳字・佳名
      和銅六年(713年)
      元明天皇
     「諸国郡郷名著好字令」
      諸国の国名を
      佳名とせよと勅令
 ↓↑   ↓↑
      冷泉天皇
      967年(康保四年)
     「諸国の郡・里などの名は
      二字を用い
      必(カナら)ず
      嘉名とせよ」
      の令
 ↓↑   ↓↑
      在位期間
      967年7月5日
      康保四年五月二十五日
      ~
      969年9月27日
      安和二年八月十三日
    第63代
    冷泉天皇(れいぜいてんのう)
    天暦四年五月二十四日
    950年6月12日
    ~
    寛弘八年十月二十四日
    1011年11月21日
 ↓↑ ↓↑
    在位
    康保四年五月二十五日
    967年7月5日
    ~
    安和二年八月十三日
    969年9月27日
 ↓↑ ↓↑
    諱 憲平(のりひら)
    父 村上天皇(第二皇子)
    母 藤原師輔の娘・中宮安子
      円融天皇の同母兄
 ↓↑ ↓↑
    容姿端麗だが
    奇行多
    十八歳で即位
    ↓↑
    安和の変(安和二年969年)
   (藤原氏による
    左大臣
    源高明の失脚)
    ↓↑
    二年間で退位
    同母弟の
    円融天皇
    譲位の後
    冷泉院に
    十一年間住み
    冷泉院と呼ばれ
    上皇生活を42年過ごし
    東三条南院にて
   「赤痢」で62歳で崩御
 ↓↑  
ーーーーー
 967年
 干支    丁卯
 日本
 康保    四  年
 皇紀  1627  年
 中国
 北宋  乾徳五 年
 十国
 南唐  乾徳五 年(北宋元号
 呉越  乾徳五 年(北宋元号
 南漢  大宝十 年
 北漢  天会十一年
 遼   応暦十七年
 大理国 広徳 末年
 于闐  天尊 元年
ーーーーー
 ↓↑     ↓↑
        カジ・カヂ・カチ
        華字・加地・可知
 ↓↑     ↓↑
        楫(かじ)
        楫取美和子
      (かとりみわこ)
        吉田松陰の妹
        杉 文
          文=久坂 文
            久坂玄瑞の妻
        後
       「楫取素彦」の後妻
       「楫取美和子
 ↓↑       ↓↑
     楫取素彦=小田村 伊之助
             (いのすけ)
          後に文助・素太郎
     慶応三年(1867年)九月
     藩命により
    「楫取素彦」と改名
     諱 希哲(ひさよし)
     字 士毅
     号 耕堂彜堂・晩稼・棋山
 ↓↑   不如帰耕堂
     弘化元年(1844年)明倫館に入り
     弘化四年(1847年)19歳で
     司典助役兼助講
     22歳 大番役として江戸藩邸に勤め
     安積艮斎・佐藤一斎に教えを受ける
     安政二年(1855年)四月
     明倫館舎長書記兼講師見習
     安政三年(1856年)二月
     相模出衛を命ぜられ
     安政四年(1857年)四月帰国
     明倫館都講役兼助講
     五年(1858年)十一月
     松下村塾閉鎖まで
     吉田松陰
     松下村塾計画に参与
 ↓↑     ↓↑
     文政十二年三月十五日(1829年4月18日)
     長門国
     萩
     魚棚沖町(山口県萩市
     藩医
     松島瑞蟠の次男として誕生
     天保十一年(1840年
     小田村家の養子となる
 ↓↑
 明智十兵衛光秀の生地
 ↓↑
 明智荘の明智城
 岐阜県
 可児市
 岐阜県
 可児市
 広見・瀬田
 あたり
ーーーーー
 ・・・???・・・柳生十兵衛・・・
 柳生 三厳(やぎゅう みつよし)=柳生十兵衛
 武士、剣豪、旗本
 初名 七郎
 諱  三厳
 通称 十兵衞
ーーーーー
 ・・・???・・・