2554日目・・・東京湾にクジラ・・・ 雄の「鯨(くじら・ケイ)」なのか、雌を「鯢(くじら・ゲイ)」なのか?・・・サマヨウ、クジラさん・・・鯨鯢=ケイゲイ=軽藝・軽芸・・・「軽業(かるわざ)=綱渡り・はしご乗り・玉乗りなどの曲芸・それらの見世物・アクロバット=acrobat・アクロバットの語はギリシア語のakrobatos(爪先で歩く者)に由来)・身軽に演ずる業・危険を伴う事業や計画」・・・「悪路跋躓」・・・?

 「うまずきたおれる・跋躓(バッチ・バツチ)・つまずきころぶ・進退窮まる・跋胡・蹶躓(ケッチ・ケツチ)・つまずく、つまずきたおれる・跛躓(ハチ)・足がたかむき、つまずく・足がわるくてつまずく」・・・跳梁跋扈・・・
 ・・・?・・・「跋=書物や書画の巻物の末尾に記す文・後書き・跋文・おくがき」・・・「跋文・跋剌・跋胡・跋渉・跋扈・跋履」・・・「跋渉」・・・
 「躬ら甲冑を環き、山川を跋渉す(春秋左氏伝)」・・・「倭王武雄略天皇」・・・?・・・「順帝の昇明二年(478年)、倭王武、宋に遣使し上表文を奉り、順帝は倭王武を使持節都督倭・新羅任那加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王に除す」・・・
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 天武天皇の孫・・・
 軽=輕=かるい・かろやか・ケイ・キン
 「珂瑠=かる=軽・借る・狩る・刈る・穫る・田(かる)」・・・
 「珂瑠皇子=文武天皇(第42代)」
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 「軽皇子孝徳天皇(第36代)」
 「木梨-軽-皇子(きなしの-かる-のみこ)=允恭天皇の第一皇子
  皇太子・母は皇后の忍坂大中津比売命
  同母弟は穴穂皇子(あなほのみこ・安康天皇
      大泊瀬稚武皇子(雄略天皇)」
  は
 「同母の妹、
  軽大郎女(かるのおおいらつめ)との
  近親相姦が発覚し、
  伊予国へ流刑、
  穴穂皇子(安康天皇)によって討たれた」・・・
 「軽=車+又+十+一=輕=車+一+巛+工」
 は古代の「戦車・軽戦車=チャリオット(二輪戦車)」のコトであるが・・・
 輕=車+巠
    「巠」=縦糸を工具の上に張った様でまっすぐを意味
        まっすぐ
        軽やかに走る
        戦車が原義
 軽戦車=チャリオット(二輪戦車)に乗っている絵や壁画は
 「アポロン(Apollōn)=ヘーリオス
            =太陽神=ギリシア語で「太陽」を意味
象徴となる聖鳥は雄鶏」
 だが、
 現実的な人間社会で有名なのは
 「ツゥタンカメン
  (Tutankhamun・Tutenkh-amen-amon・Tut-ankh-amen)」と
 「秦の始皇帝の墳墓を守る兵馬俑」の
 戦車である・・・
 チャリオット(Chariot)二輪戦車)
 ヘブライ語では「メルカバ


 カデシュの戦いで戦車に乗る
 ラムセス2世
 アブ・シンベル神殿の壁画

 跋=ふむ・ふみつける
   こえる(越)
   跋扈
   あるく
   跋渉
   もとい・もと(本)
   あとがき・書物の最後に書き記す文
   序跋
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 6月22日午後3時ごろ
 富山県
 魚津市
 富山湾でクジラが目撃
 マッコウクジラとみられる・・・
 魚津市の海岸の
 水面に現れて
 何度も潮を吹き
 5分ほど姿を見せた後
 尾びれをふりながら
 海中へと潜水していった・・・
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 東京湾
 6月24日午後2時半ごろ
 大きな体を反らしながら
 ジャンプ、大きく水しぶきをあげ
 クジラが出現・・・
 東京湾では18日から
 クジラの目撃情報が相次ぎ
 第三管区海上保安本部
 衝突事故につながる恐れありと
 航行中の船に注意を呼びかけている
 (25日20:44)
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 クジラの歌
 コミュニケーションを目的とし
 クジラが発する一連の音
 特にザトウクジラが発し
 反復パターンで発声
 声の発生メカニズムは
 クジラの種類により異なる

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 雄を「鯨」
 雌を「鯢(ゲイ)」
 鯨波(とき・くじらなみ・ゲイハ)
   =鬨の声・勝利の雄叫び・鯨濤
   鯨波村=新潟県刈羽郡にあった村
       柏崎市鯨波に相当
       大波・巨濤(キョトウ)
   「wail=泣き叫ぶ等の意味がある」
      =(悲しみ・苦痛などで)
       泣き叫ぶ(with, in)
      (…を)激しく嘆き悲しむ
       (for, over, about ...)
    wail=啼く⇔スサノオの泣き方
    すさのを
    素戔男・素戔嗚・須佐之男
    須佐乃袁・神須佐能袁・須佐能乎
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 鯨(くじら・鯀・櫛羅・久次良・Whale)
 万葉集
 鯨(クジラ)は
 イサナ(鯨魚・鯨名・勇魚
     不知魚・伊佐魚)=イサ
 捕鯨=イサナトリ・イサナトル
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 「鯨鯢(ケイゲイ)」=雌雄のクジラ
 『大言海』では
 「クチビロ(口広)」が変化
 『日本捕鯨語彙考』では
 「クジンラ(九尋羅)」が変化
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 奈良時代(710〜794年)
 古事記では「区施羅(クヂラ)」
 日本書紀 では「久治良(くじら)」
 平安時代(794年〜1185年)
 新撰字鏡では
 オスは「鼇(大亀の意)」クチラ(久治良)
 メスは「鯢」メクチラ(女久治良)
 類聚名義抄では
 オスは「巨京(渠京を略した文字)」
     クヂラ、ヲクヂラ
 メスは「鯢」
     クヂラ、メクヂラ
 「鯨=魚+京」の漢字由来
      京=兆の万倍・10の16乗
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 鯨尺(くじらじゃく)=鯨差し
 和裁用の物差し
 元は
 鯨の髭から作られていた
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 ・・・
 「忍びの者」の源流・・・?・・・市川雷蔵
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 曲芸の一種
 奈良時代
 中国から渡来した
 散楽の
 蜘舞 (くもまい) に発し
    ・・・蜘蛛の巣状の編み縄はトランポリンか?
 江戸時代は主として
 綱渡りの芸をさした
 一本綱、一本竹、籠抜け、蓮 (れん) 飛び
 刃渡り、人馬 (ひとうま)、ぶらんこ
 など
 その技術は歌舞伎にも流れ
 大道芸、見世物芸として演じられた
 天明年間 (1781〜1788)
 劇的な内容をもつ軽業が生れ
 江戸時代末期に
 種々の趣向を凝らす座が出た
 明治以後
 馬術と結んだ曲馬団として
 各地の祭礼などに巡演
 1930年代以降はサーカスに吸収
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 軽業師
 綱渡りや竿(さお)のぼり
 倒立回転、籠(かご)抜け、輪抜け
 空中ぶらんこ
 など
 軽芸、軽技は日本の造語
 軽業
 江戸時代
 延宝年間(1673年〜1680年)
 から使用
 契機は,歌舞伎にも取り入れられていた
 蜘蛛舞(くもまい)
 蜘蛛舞は
 奈良時代に中国から伝えられた
 散楽(さんがく)を集成した
 綱渡り系の業
 これに
 籠抜けという跳技や
 剣の刃渡り
 梯子(はしご)乗り
 紙渡り
 など軽業の名で総称されるようになった
 軽業の源流である散楽は
 漢代以来
 百戯雑芸の一部とし
 そのルーツは
 インド(天竺)
 エジプトにさかのぼる・・・
 軽業系技能は
 エジプトや小アジアを経て
 ギリシアに伝播
 綱渡りを意味する
 アクロバットという近代語を生んだ
 西域を経て中国、日本へと伝えられた・・・
 奈良朝期
 綱渡りや弄玉(品玉)
 重立などの技芸の様子は
 「信西(しんぜい)古楽図」
 「正倉院御物の弾弓(だんぐう)添画)」
 からもうかがえる
 散楽は
 格式のある舞楽や伎楽と異なる世俗的芸
 「散楽戸」といわれる
 公の教習所が設立され
 技能も教えられた
 10世紀ころ
 朝廷の保護を失い
 楽戸の民は大部分
 賤民(せんみん)化
 大道芸人となった・・・
 寺社の祭礼の見世物
 散楽雑技から発展した
 日本の軽業は
 江戸時代末期に
 見世物として独立興行
 幕末期(1864年
 西洋からサーカスがやって来
 軽業師も海外巡業
 曲馬団やサーカスと
 軽業芸は一体となって発展
 ↓↑
 軽業(かるわざ)
 曲芸と同義語
 主として綱渡り
 奈良時代に渡来
 『洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)』
 などにも描かれた
 「蜘舞(くもまい)」
 から出て、
 綱渡り、乱杭(らんぐい)渡り、剣の刃渡り
 提灯(ちょうちん)渡り、籠(かご)抜け
 人馬(ひとうま)の術、梯子(はしご)乗り
 などは、古態を残して近世に伝えられた
 蓮飛(れんとび)、曲鞠(きょくまり)、
 綾織(あやおり)、品玉(しなだま)
 といった多くの芸種を含む
 いずれも、
 身の軽さを身上とする芸人による
 見せ物
 曲芸団
 による興行という形態をとった
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 享保(1716〜1736)
 座頭(ざとう)の軽業
 女軽業
 が流行
 天明・寛政((1781〜1801)ごろ
 小屋掛けも大々的なものになって
 劇的構成をとるようになった
 1866年(慶応二)
 日本の軽業師が
 海外公演を行い、人気を博した
 1864年(元治一)
 西洋から渡来した
 「中天竺(ちゅうてんじく)舶来之軽業」
 が横浜で興行
 明治以後
 西洋曲芸団の影響が大きなったが
 日本的なものも
 サーカスや寄席(よせ)芸に
 多くを残している
 ↓↑
 曲芸的技能
 曲芸師
 軽業師
 彼らの行う
 宙返り、玉乗り、ぶらんこ乗り
 などの
 曲芸、軽業といわれる
 巧技系の運動そのものを意味
 本来は
 ギリシア語の
 「先端を歩くこと」
 綱渡り芸を意味
 肉体の極端な柔軟性を見せる
 舞踊(アクロバティック・ダンス)
 をさす場合もある
 曲芸は
 体技的な熟練を見せる軽業的なもの
 手先の芸を見せる手品や奇術の類い
 に大別できる
 体技的なものは
 力わざ
 柔軟な芸
 平衡を保つ芸
 空中芸
 アクロバット
 平衡を保つ芸
 古代エジプトで有名であった
 綱渡り芸人の芸は
 小アジアへ伝えられ
 ギリシアやローマ、ペルシアを経て
 インド、西域、中国、
 日本へと伝えられた・・・
 1519年
 コルテスがメキシコに渡ったとき
 アステカ族により
 偶像の前で
 各種の競走、格闘などとともに
 バランス棒を用いない
 綱渡りが行われていた・・・
 古代のアクロバット
 女性主体であったが
 中世以降
 男性も表舞台に登場
 市民祭でのギルド単位の
 ピラミッドビルディングなどは
 芸人たちにも大きな刺激を与えた
 18世紀ルイ14世時代のフランス
 アクロバットの指導者組合が設立
 ゲーテ
 《ウィルヘルム・マイスターの徒弟時代》
 に市場における芸人集団の姿が活写
 現代のアクロバット
 綱の高さや傾斜の度合
 綱渡りの継続時間など記録への挑戦
 サーカスや
 ミュージック・ホールなどでの見世物芸
 競技として
 一定の条件下で技のできばえを
 競うスポーツアクロバット・・・
 スポーツアクロバットの競技内容は
 力わざ
 柔軟性の要素をもったもの
 床の上や空中の芸などであり
 ぶらんこや
 綱、棒、自転車、ローラー、弾力板
 などを用いる
 ↓↑ 
 acrobat
 軽業(かるわざ)
 語源はギリシア語の
 「つまさきで歩く」
 体の柔らかさとスピードが要求され
 バレエの
 トゥール・アン・レール
 (跳躍しながらの回転)
 エジプトの奴隷の舞踊から
 生まれたといわれる
 ブリッジ、コメディア・デラルテ
 にみられる盆にコップを
 のせたままのでんぐり返し
 などが代表的なもの・・・
 日本では
 高足駄を履いて綱渡りをする
 蜘蛛舞(くもまい)
 空中を跳躍する
 蓮飛(れんとび)
 肩の上に人を乗せて疾駆する
 人馬(ひとうま)
 空中回転の
 「とんぼ」などの
 雑芸(ぞうげい)として発達
 歌舞伎の宙乗り
 綱に滑車をつけ
 俳優の背中から吊(つ)るすが
 アクロバット的な要素が強い
 同種の宙吊りは19世紀の
 ロマンチック・バレエで
 妖精の登退場に用いられた
 「天狗(てんぐ)の飛行」
 「蛙(かえる)の一足(いっそく)」
 などと動物の名がついている
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 曲芸
 曲芸、軽業
 アクロバットacrobat)は
 ギリシア語の
 アクロスakros(先端)
 と
 バトスbatos(行く)
 からきた言葉
 「つまさきで歩くこと」を意味
 「綱渡り」のことをいっていた
 ギリシアには
 綱渡りを教える学校が設けられ
 ホメロスの詩も曲芸師に言及・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「忍びの者」・・・百地三太夫百地丹波)・石川五右衛門・藤林長戸守・・・
 市川雷蔵
 1931年(昭和6年)8月29日〜1969年(昭和44年)7月17日)
 辛未(丁・乙・己)⇔己酉(庚・ ・辛)
 丙申(己・壬・庚)⇔辛未(丁・乙・己)
 丙辰(乙・癸・戊)⇔癸巳(戊・庚・丙)
 子丑=空亡    ⇔
        大運 癸巳(戊・庚・丙)38
 藤村志保
 1939年1月3日〜)
 戊寅(己・丙・甲)⇔戊戌(辛・丁・戊)
 甲子(壬・ ・癸)⇔戊午(丙・ ・丁)
 庚子(壬・ ・癸)⇔己丑(癸・辛・己)
 辰巳=空亡    ⇔
        大運 丁巳(戊・庚・丙)
ーーーーー
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