2548日目・・・TVで声量の凄い「天童よしみ」の「カルメン・ハバネラ(Habanera)=恋は野の鳥」が歌われていた・・・「ハバネラ(habanera)とは、キューバの民俗舞曲およびその様式のこと・1791年のハイチ革命における避難民によってハイチからキューバにもたらされた・フランスのコントルダンスが源流・・・その後ハバネラのリズムは、船乗りによってスペインに輸入され19世紀末までに人気の舞曲となり、スペイン舞曲として定着・・・」・・・

 ・・・序(ついで)に「マリア・カラスカルメン」の「オペラ対訳プロジェクトよりビゼーカルメン・第1幕・ハバネラ・フランス語日本語歌詞対訳字幕付き」を
https://www.youtube.com/watch?v=cqbuPbCpOdo
 で聴いてみた・・・なるほどの「日本語翻訳(ホンヤク)」・・・でもナゼ、「ホンヤク」なんだか?・・・
 「翻=番+羽=飜=番+飛=ひるがえる・ひるがえす・ホン・ハン」・・・
 翻=ひらりと裏がえる・旗などが高く上がってひらひらと動く
   今までの態度や言動が急に変わる
  =こぼし(零し・翻し)・こぼす・こぼれる
   翻本(ハンポン)
   ひるがえす・ひるがえる
   翻案=ある作品に手を加え、新しい作品として発表すること
      改作・・・改竄・・・
      adaptation・・・
       ↓ ↑
      abduction・kidnapping; abduction=拉致、誘拐
       ↓ ↑
      前に書いた小説を改作する
      古典を現代語の話に翻案する
   翻訳・翻弄(ホンロウ)
 「本訳」・・・「本厄」・・・
 「本厄=男性は、数え年で25歳、42歳、61歳・・・大厄42歳?
     女性は、数え年で19歳、33歳、37歳・・・大厄33歳?
 ↓ ↑
 「マリア・カラス」・・・「歌劇『カルメン(Carmen)』は、フランスの作曲家ジョルジュ・ビゼーによる全4幕のオペラ・プロスペル・メリメの小説『カルメン』をベースとし、オペラ・コミック様式で書かれている」・・・
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 最近の面白いTVドラマは日曜日の
  「獄中花・オクニョ
  (獄女・玉女・玉儿・玉児)」
 陳世娫(金允貞=キム・ユンジョン)
 94生年甲戌(辛・丁・戊)
 02生月丙寅(己・丙・甲)
 15生日壬申(己・壬・庚)
     戌亥=空亡
 朝の9時30分(6/14)〜のTVドラマは
 「魔女宝鑑〜ホジュン、若き日の恋〜第3話「幽霊の家」
 だったけれど・・・若い男女がなんかミンナ同じ顔に見えるけれども・・・「大トラ」が出てきて面白かった・・・
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 ・・・新幹線の列車が人間と衝突って?・・・・・・ボンネットが破損・・・
 ・・・サッカー(米: soccer, 英: football)は「戦争」じゃあ無いから・・・
 手は使えない・・・足と全身でゴールを果たす・・・
 ロシア11都市12会場で開催
 ロシアW杯のグループリーグ
 決勝トーナメント、全64試合・・・
 ↓ ↑
 ・・・前回の追記・・・
 ・・・以上も、以下も・・・文中の歴史的な内容もコトバもホトンドが「ウイキペデア百科辞典+検索ツール(tool)」からの思いつくまま、参考、参照として索引、引用したモノ・・・ボク的に少々改作・・・
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 「オイディプース(腫れた足)」
  甥 出意附碓(ぅす)・・・小碓命
      (タイ=替・帯・胎・臺
       多以・・・太安万侶
       他意⇔対・太・帯・鯛)
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 磐 余=神武天皇八咫烏(鴉・カラス)
 ↓ ↑   金鵄  葉知尺口捌唐素=牙+鳥
       鵄=至+鳥=ワシタカ(鷲鷹)科の鳥=鳶=とんび=鴟
         とび=鳥見・登美・富雄・・・登美彦
         長髄彦(ながすねひこ)
         那賀須泥毘古(古事記
         登美-能-那賀須泥-毘古
        (トミノながすねひこ
         古事記日本書紀風土記古語拾遺
         今、鳥見(とみ)と云ふは
 ↓ ↑      是(これ)訛(よこなば)れるなり
 ↓ ↑      ↓ ↑
         登美-能-那賀須泥-毘古
         は
         妹の 
登美夜毘売(トミヤヒメ)
         or
         三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)
         を
         天の磐舟で
         斑鳩の峰白庭山に降臨した
         饒速日命ニギハヤヒノミコト)の妻として
 ↓ ↑     嫁がせていた・・・
 翼 虎=翼 禽=天武天皇大海人皇子
 虎に翼をつける大海人皇子・・・?
ーー↓ ↑ーー
 石 虎(セキ コ・いしとら・いわとら)
           ・・・磐+虎=大海人皇子
              磐余=神武天皇
          「神日本磐余彦天皇日本書紀)」
          「神倭伊波礼毘古命古事記)」
           幼名は
          「狭野尊(さののみこと)」
           諱は
          「彦火火出見(ひこほほでみ)」
ーー↓ ↑ーー
 石 虎=石季龍
 ↓ ↑
 五胡十六国時代
 後趙
 第三代皇帝
 唐代に編纂された
 『晋書』で
 唐の高祖
 李淵
 祖父である
 「李虎」
 の諱を避け
 字(あざな・ジ)の
 「季龍」を用いて
 「石季龍」と記録
 ↓ ↑
 「石 虎=石季龍」は
 「石勒(後趙の初代皇帝・明帝)」の
 従子(甥もしくは1世代下の親族)で
 「石勒」の没後、
 「石弘」から
 帝位を奪って皇帝になった・・・
 ↓ ↑
 石虎は将として有能で
 石勒に信頼され
 後趙
 華北周辺の平定に
 多大な貢献したが
 同時に
 暴虐さでも知られ
 後趙
 「天王」を称した際には・・・「天王」⇔「天皇」?
 非道な法律
 重い税金と労働を課し
 大宮殿を建てたり
 妾を集めることに費やした
 没後
 子の
 「石祗」らと
 養孫の
 「冉閔」が
 後継争いを繰り広げ
 後趙の崩壊を早めた・・・
 ↓ ↑
 石虎 
 父の
 「石寇覓」は
 「石勒」の父の
 「周曷朱」の
 従兄弟の子
 ↓ ↑
 早くに両親を失った
 石虎は
 石勒の両親の
 周曷朱
 と
 王氏
 に養育され
 石勒の弟ともされた
 ↓ ↑
 太安二年(303年)・・・「太安」似撚⇔「太安萬侶」
 并州の大飢饉のため・・・「并州=ヘイシュウ=並集」
           ・・・弊習=悪習
                 好ましくない仕来たり
                 弊風・悪いならわし
 「羯族」は部落離散し・・・「羯」⇔ギャテイ(羯諦⇔般若心経)
 石虎は
 石勒から離れたが
 のちに
 石勒が
 前趙の有望な将となると
 并州刺史の
 劉琨が
 石虎と石勒の母を見つけ
 東晋に来るよう
 説得の使者とともに
 石勒は
 礼品を送ったが
 石虎は
 誘いを受けなかった
 ↓ ↑
 武帝=石虎・・・天武天皇=翼の虎=石(磐・岩)の虎・・・違和?
 後趙
 第三代天王(皇帝)
 王朝  後趙
 在位期間
 334年〜349年
 都城  襄国→鄴
  ・・・襄 =のぼる・はらう・ジョウ・ショウ
        のぼる・あげる・はらう・のぞく・高い
        たすける
 姓・諱 石虎
 字  季龍
 諡号  武皇帝
 廟号  太祖
 生年  元康五年(295年)
 没年  太寧元年(349年)
 父  石寇覓
 母  張氏・・・張政?
 皇后  鄭皇后
     杜皇后
     劉皇后
 陵墓  顕原陵
 年号  建武=335年〜348年・・・建=たける=武
        1334年=建武の中興・後醍醐天皇⇔後対語転向
        1335年=建武二年・足利尊氏が新政から離反
     太寧=349年
        真福寺文庫(大須文庫)
        大須観音にある文庫
        醍醐寺根来寺と共に日本三経蔵の1
        仁和寺根来寺と共に本朝三文庫の1
        15,000冊もの古典籍所蔵
        書誌学界では
        真福寺本、大須本と言う
        1371年、1372年
        真福寺の僧
       「賢瑜(ケンユ)・28・29歳」の時に書写した
        国宝『古事記』は
       「真福寺古事記」で
        現存最古の写本
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 1334年=建武の中興〜
 ↓ ↑
 1371年-1334年=37年後・・・三十七・参拾七・参足漆
 1371年
 干支 辛亥
 日本
 南朝 建徳二年
 北朝 応安四年
 皇紀2031年
 中国
  明 洪武四年
  夏 開熙五年(旧六月まで)
 ↓ ↑
 1372年
 干支 壬子
 日本
 南朝 建徳三年、文中元年四月〜
 北朝 応安五年
 皇紀2032年
 中国
  明 洪武五年
 ↓ ↑
 古事記写本、三冊
 冊ごとに
 末の綴り糸の下に
 上冊に
 執筆
 賢瑜
 俗老、廿八歳・・・古事記序文の稗田阿礼の年齢
          時に、姓は稗田、名は阿礼という
          二十八歳になる舎人あり
          和銅五年(西暦712年)
          正月二十八日
          正五位上勲五等 太朝臣安万侶
 中冊に
 執筆
 金剛資
 賢瑜
 俗老、廿八歳・・・古事記序文の稗田阿礼の年齢
 下冊に
 執筆、賢瑜
 俗老、廿九歳
 と小字で記録
 ↓ ↑
 この賢瑜は
 同じ真福寺に伝へたる
 秘蔵宝鑰(ヒゾウホウヤク)
 といへる書の奥に
 応安
 第三天
 十二月廿七日
 於
 尾州
 大須
 北野
 真福寺
 宝坊書写畢
 金剛資
 賢瑜、廿七歳
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 予言・預言・序文・矛盾
 ↓  ↑
 令=亼+刀(マ)・・・マ≒ム≒ワ・ク≒7=漆・・・
           「マ=乛+丶⇔フ+丶」?
           「ム=𠃋+丶⇔∠+丶」?・・・「ノ+」」
           「ム=𠂉+丶」?
 ↓ ↑
 嘉辰令月 (カシンレイゲツ)・・・過信例解付?
 目出度い・芽出度い・愛でたい・・・めでたい日と月
 ↓ ↑
 外交辞令 (ガイコウジレイ)・・・外項事例(字例)?
 相手に好感を抱かせるように、表面を繕っていう言葉
    お世辞・・・お誠意辞・御所為示?
 ↓ ↑
 巧言令色 (コウゲンレイショク)・公言例諸句?
 口先だけでうまいことを言ったり
 うわべだけ愛想よくとりつくること
 人に媚(こ)びへつらうさま
 「巧言」は巧みに飾られた言葉
 「令色」は愛想よくとりつくろった顔色
 「鮮(すくな)し仁」・・・朝+鮮・・・朝廷、鮮(すくな)し仁?
 「論語・学而から」
 巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって
 人に気に入られようとする者は、仁の心が欠けている
 「鮮」=めったにないという意
 真の人格者はむしろ口が重く、愛想がない
 子曰、巧言令色、鮮矣仁
 子(し)曰(いわ)く、
 巧言令色、
 鮮(すく)なし仁(ジン・ジム)
 「巧言令色、足恭(スウキョウ)なるは
  左丘明(サキュウメイ)これを恥ず
  丘も亦(ま)たこれを恥ず」
 左丘明は、孔子より前の賢人
 丘は孔子の名
 「足恭」=ばか丁寧
 「足恭=足は度が過ぎること
     過度にうやうやしいこと・おもねること
     便辟(ベンペキ)の貌(さま)
     便辟とは、こびへつらうこと」
 鮮=魚+羊=あざやか・あたらしい・すくない・セン
       はっきりしている
       鮮紅・鮮明
       あたらしい・生きがいい
       鮮魚・新鮮
       すくない
 ↓ ↑
 三令五申 (サンレイゴシン)・・・纂例誤審?
 何度も言い聞かすこと
 三度命じ、五度重ねて言いきかす意
 「申」は繰り返すこと・説明し敷衍(フエン)すること
 三令は三度命令、五申は五度重ねて言う
 史記
 孫子呉起列伝・孫武
 孫武は婦人達を兵として兵法の実践を試され
 命令を三令五申して徹底したが
 婦人達は従わない
 そこで再び三令五申して伝達するも従わなかった
 それで隊長として任じた者二人を斬った
 その後
 命令を下すと婦人達は整然として従った
 ↓ ↑
 朝改暮令 (チョウカイボレイ)・・聴解模例?
 朝令暮改(チョウレイボカイ)・・聴例模改?
 朝令夕改・朝令暮改・朝令而暮改・朝改暮変・朝令夕改)
 法令等がすぐに変更されて一定しないこと
 ↓ ↑
 命令一下 (メイレイイッカ)・・・名例壱価?
 人が目上の人の指揮や命令に基づいて行動するさま
 号令一下・号令の下・指揮の下・命令に従って
 ↓ ↑
 令聞令望 (レイブンレイボウ)・・例文例暴?
 よい評判・名声・他人を敬い、その人望をいう
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 ・・・???・・・???