2538日目・・・「たましぎ」?・・・「水蜜・蜜柑・蜂蜜・蜜蜂・蜜腺・花蜜・蜜蝋・蜜月・蜜豆・餡蜜(アンミツ)・糖蜜(トウミツ)」・・・「密柑」?・・・「三密≠三蜜・密教」・・・「機密・密閉・親密・疎密・密度・稠密・濃密・過密・疎密・密造」・・・スゴイね「カケ」も「カントク」も「コーチ」も・・・それに「メリケン王国のカケヤ、アキンド」も・・・「NK王朝のキンさん」も、「SK王国のトラさん」も・・・もちろん、「密(宀+必+山)」と「蜜(宀+必+虫)」がなければ、ボクも・・・「蜜語・密語」が無ければ生きられ

 「秘密・枢密・密閉・密談・密謀・密策・密命・密約・隠密・慎密・密契・密使・密栓・気密・機密・稠密・緻密・密詔・詳密・細密・密葬・密偵・密輸・密航・密行・密室・密告」・・・
 「密集・密生・密着・密度・密閉・密林・過密・気密・緊密・親密・稠密 (チュウミツ)・厳密・周密・精密・綿密」・・・
 「顕密(ケンミツ)・台密東密・舎密 (セイミ)」・・・
 「密=たかし(なのり)」・・・
 「前島密(ひそか)」・・・
 「天保六年一月七日(1835年2月4日)
  〜
  大正八年(1919年4月27日)」は、
 ↓↑        ↓↑
 甲午(丙・ ・丁)⇔己未(丁・乙・己)
 丁丑(癸・辛・己)⇔戊辰(乙・癸・戊)
 丁卯(甲・ ・乙)⇔己酉(庚・ ・辛)
  戌亥=空亡
 ↓↑        ↓↑
 官僚、政治家・号は鴻爪(コウソウ)」、1866年(慶応2年)に「漢字御廃止之議」の建議書を将軍徳川慶喜に提出」・・・
 三密瑜伽=サンミツユガ・・・「三密=身密、口密、意密」
 周密精到=シュウミツセイトウ・隅々まで行き届いていること
 人口稠密=ジンコウチュウミツ
      ジンコウチョウミツ
 旦暮周密=タンボシュウミツ・・常時警戒注意
 密雲不雨=ミツウンフウ・・・・雲、密集すれど、雨、降らず
             ・・・前触れ・前兆・予兆
             ・・・雲の秘密は雨にアラズ
                    アメには無い
                密(宀+必+山)
             ・・・密の雨が云うは雨に不(あらず)
             不=…でない・…しない・…がない
               …がわるい・…がよくない
      兆しはあるのに
      未だ事、起こらず
      恩恵が全ての人に行き渡らないことの喩え
      雨雲が空を覆っているが
      未だ雨は降らず
 ・・・「隠密剣士・秋草新太郎」・・・「私が守るのは将軍家でもなければ徳川の権力でもない。この世の中に生きる民百姓の安らぎを守るため」・・・本当かな・・・「シンタロウでも、シンゾウでもない」コトは・・・カモ・・・
 「秋草 俊」、「明石 元二郎」・・・
 「リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)
  1895年10月4日〜1944年11月7日」はどうだったのか?・・・
 乙未(丁・乙・己)⇔甲申(己・壬・庚)
 乙酉(庚・ ・辛)⇔乙亥(戊・甲・壬)
 甲申(己・壬・庚)⇔乙亥(戊・甲・壬)
  午未=空亡
 ・・・???・・・年月日が「乙乙甲⇔甲乙乙」の逆・・・
ーーーーー
 枢密=木+区+宀+必+山
   =樞密=木+匚+品+宀+必+山
    枢=とぼそ・くるる・開き戸の回転軸
      かなめ・物事のたいせつなところ・中心・枢機
      枢=樞=くくる・スウ
      開き戸を開閉する軸
      物事のかなめ
      枢機・枢軸・枢密・枢要・中枢
    区=區・・・ハコの中の品・・・「メ=品(口口口)」?
    ↓↑
    枢密院(スウミツイン)
    国王・皇帝の諮問機関
    大統領が
    元首を務める共和制国家には
    このような機関はない・・・
   「枢密」とは機密や政治上の重要な
    秘密のこと
    枢密院 (中国) =主として
    軍制を掌った中国歴代王朝の
    国家機関、「枢密院」の語源
    憲法問題も扱い
    「憲法の番人」とも
ーーーーー
 枢密院
 1888年明治21年
 憲法草案審議を行うため
 枢密院官制及枢密院事務規程に基づいて
 創設され(明治21年4月30日勅令第22号)
 1889年(明治22年
 に公布された大日本帝国憲法
 天皇の最高諮問機関とされた
 初代議長は、伊藤博文
 藩閥・官僚制政治の牙城
ーーーーー
 ↓↑
 1931年(昭和6年
 満州事変(滿洲事變)
 1931年(昭和6年、民国20年)9月18日
 中華民国奉天瀋陽)郊外の
 柳条湖で関東軍
 南満州鉄道の線路を爆破した事件
 (柳条湖事件
 以後、軍部の台頭で
 枢密院の
 影響力は低下
 ↓↑
ーーーーー
 田中 義一(たなか ぎいち)
 1864年7月25日(元治元年6月22日)
 〜
 1929年(昭和4年)9 月29日)
ーーーーー
 甲子(壬・ ・癸)⇔己巳(戊・庚・丙)
 辛未(丁・乙・己)⇔癸酉(庚・ ・辛)
 辛卯(甲・ ・乙)⇔丁丑(癸・辛・己)
  午未=空亡
ーーーーー
 ↓↑
 政治家・陸軍大将・男爵
 20歳で陸軍教導団
 陸軍士官学校(旧8期)
 陸軍大学校(8期)
 日清戦争に従軍
 ロシア留学
 日露戦争
 満州軍参謀として
 総参謀長
 児玉源太郎のスタッフを務めた
 陸軍大臣貴族院議員・内閣総理大臣(第26代)
 外務大臣(第42代)、内務大臣(第45代)
 拓務大臣(初代)などを歴任
 ↓↑
 1927年(昭和2年)3月
 第1次若槻内閣
 全国各地の銀行で取り付け騒ぎ
 (昭和金融恐慌
 若槻内閣
 4月17日に総辞職
 立憲政友会総裁の
 田中が
 4月20日
 田中内閣組閣
 ↓↑
 1928年(昭和3年)2月
 第1回普通選挙
 3月
 全国の社会主義者
 共産主義者を一斉検挙
 (三・一五事件)
 ↓↑
 辞意を表明した閣僚を
 昭和天皇に慰留させ
 天皇を政局に利用したと批判され
 (水野文相優諚問題)
 貴族院
 田中首相問責決議を可決
 ↓↑
 1928年
 張作霖爆殺事件
 容疑者を・・・容疑者って「日本人」?
 軍法会議によって
 厳罰に処すべきと主張し
 天皇に奏上したが
 陸軍の反対で頓挫し
 野党の
 立憲民政党に批判され
 中野正剛
 尼港(ニコラエフスク)事件
 ↓↑ ・・・シベリア出兵中の日本軍隊と
    ソビエトパルチザンとの間の紛争事件
    1920年2月アムール川河口のニコライエフスク (尼港) を
    占領中の日本軍は
    ソビエトパルチザンの攻撃を受け降伏
    将兵および居留民は捕虜となった
    日本軍、邦人はパルチザン部隊と降伏協定を結んだが
    3月、日本軍はそれを破って奇襲したが敗北
    122名が捕虜
    5月、捕虜救出に日本軍がくることを知った
    パルチザンは捕虜全員
    351名の将兵
    副領事を含む
    383名の日本居留民を殺害、市内を焼払って逃亡
    ソ連革命政府はパルチザンの責任者を処刑
    日本政府は賠償を要求し
    北樺太(からふと・サハリン)を保障占領
 ↓↑ 1925年日ソ国交回復して撤退
 の際に
 田中が
 「断じて臣節を全うす」
 と称して
 陸軍大臣の職を辞した
 済南事件・・・1928(昭和3)年5月3日午前9時半
 ↓↑     中国山東省「済南」で起きた日本人居留民虐殺事件
        国民革命軍の一部による日本人襲撃
        日本の権益と日本人居留民を保護するために
        派遣(第二次山東出兵)された
        日本軍と、北伐中であった
        蒋介石率いる国民革命軍(南軍)
 ↓↑     との間に起きた武力衝突事件
 の責任を
 福田司令官に帰し
 満洲事件を
 村岡司令官に帰した
 田中が
 「この如き事に責任を
  負うたら総理大臣は
  何万居っても足らぬ」
 と豪語したが
 政略出兵の責任を
 軍部に転嫁するような
 総理大臣がいたら
 日本帝国の国軍は
 何百万人居っても
 足らないこととなると
 糾弾された
 ↓↑
 1929年(昭和4年)6月27日
 関東軍
 無関係であったと
 田中が
 天皇に奏上したが
 天皇
 「お前の最初に言ったことと違うじゃないか」
 と田中を直接詰問
 田中は
 7月2日に内閣総辞職
 ↓↑
ーーーーー
 枢密院は
 日本国憲法施行の前日の
 1947年(昭和22年)5月2日に廃止
ーーーーー
 各国の
 枢密院 (中国)
 主として軍制を掌った中国歴代王朝の
 国家機関で、「枢密院」の語源
 枢密院 (イギリス)
 イギリス国王の諮問機関
 枢密院 (カナダ)
 カナダ国王の諮問機関
 枢密院 (日本)
 1888年明治21年)〜1947年(昭和22年)まで
 存在した天皇の諮問機関
 最高枢密院(ロシア帝国
 皇帝の諮問機関
 枢密院 (タイ)
 王国の諮問機関
ーーーーー
 ・・・今日の世界情勢と日本の政治的状況は、第二次世界大戦前夜に似ているカモ・・・

 イラン・コントラ事件(Iran-Contra Affair)
 アメリカ合衆国
 ロナルド・レーガン政権が
 イランと裏取引をし
 同国への武器売却代金を
 ニカラグア
 反共ゲリラ「コントラ」の援助に流用
 1986年に発覚
 ↓↑
 1985年8月
 アメリカ軍の兵士らが
 レバノン(内戦中)での活動中
 イスラムシーア派系過激派の
 ヒズボラに拘束、人質
 人質を救出する為
 共和党
 ロナルド・レーガン
 アメリカ政府は
 ヒズボラの後ろ盾
 イランと非公式ルートで接触
 イラン・イラク戦争
 イラクと戦って劣勢であった
 イランに
 極秘裏に
 武器を輸出する事を約束
 イランへの武器の輸出の提案は
 ヒズボラおよび西欧諸国での
 爆弾テロを支援したグループに対する
 影響力を持つ
 イランの歓心を買った
 ↓↑
 1983年12月
 アメリカ国防総省
 ラルフ・ブローマン中佐
 CIAの
 ポール・カッター
 は、イランへの兵器売却を目的に、
 ヨーロッパ・ディフェンス・アソシエイツ(EDA)
 という会社を設立
 数億ドルにおよぶ兵器を
 イランに売り込もうとした
 フランス人兵器ディーラーの
 ベルナール・ベイヨ
 イラン人仲介者の
 マヌチェル・ゴルバニファー
 が絡んでいた・・・
 ↓↑
 イランの
 ホメイニーの革命
 1979年1月に
 イラン国王を追放
 ↓↑
 ホメイニー革命の10ヶ月後
 ホメイニーの信者が
 イランのアメリカ大使館を占拠
 大使館員を人質
 アメリカ大使館人質事件により
 カーター大統領は
 経済制裁を課し
 兵器禁輸の措置
 イランとの
 国交断絶
 イランに対する
 武器輸出禁止
 政治家や官僚、軍人による
 公式な交渉も禁止
 ↓↑
 アメリカの
 イランに対する
 武器輸出は
 イランの敵国である
 イラク
 アメリカは国交があり
 アメリカとイラクとの
 外交上の問題は必至となる・・・
 アメリカの人質は
 カーターに勝った
 レーガンが大統領就任日に解放
 ↓↑
 アメリカは兵器禁輸を続行
 イラン軍は
 国王時代に
 大量の
 アメリカ製兵器を購入しており
 部品、メンテナンスが必要だった
 ↓↑
 ロナルド・レーガン大統領
 の承認を受け
 極秘に
 イランに対して
 武器を輸出
 ↓↑
 国家安全保障担当補佐官の
 ジョン・ポインデクスターと
 国家安全保障会議軍政部次長の
 アメリ海兵隊
 オリバー・ノース中佐
 らが
 イランに
 武器を売却し
 その収益を
 左傾化が進む
 ニカラグア
 反政府戦争(コントラ戦争)を行う
 反共ゲリラ
 「コントラ」に与えた
 ↓↑
 中南米
 ニカラグア
 1979年
 ニカラグア革命で
 40年以上続いた
 親米の
 ソモサ王朝独裁政権が崩壊し
 キューバおよびソ連に支援され
 「社会主義(?)」寄りの
 サンディニスタ民族解放戦線FSLN)政権
 が統治
 ↓↑
 アメリカ政府の
 イランへの武器輸出と
 「コントラ」反共ゲリラ
 への資金流用行為は
 アメリカ議会の了解を取っていなく
 民主党が多数を占めた
 議会の議決に反していた
 ↓↑
 アメリカ政府の
 イランと
 コントラ
 双方の交渉窓口は
 ロナルド・レーガン政権の
 副大統領だった
 ジョージ・H・W・ブッシュ(後の大統領)
 の関与が
 後の民主党政権下の
 連邦議会における
 公聴会で取りあげられたが
 その真相は不明・・・?
 ↓↑
 同事件において
 1986年11月
 ノース中佐は
 レーガン大統領直属
 ↓↑
 ノース中佐は
 武器ブローカーを通して
 イランへ
 武器を
 密輸する
 計画責任者を務め
 得られた資金で
 ニカラグア
 反政府組織
 コントラへ資金援助の
 秘密ネットワークの設置に関与
 ↓↑
 1987年
 ノース中佐は
 イラン・コントラ事件を
 調査するために設定された
 両院協議会
 テレビ公聴会
 先立って
 証言のために召喚
 聴聞の間
 ノース中佐は
 議会に対し
 虚偽の証言をしたことを認め
 後に告訴された
 ↓↑
 ノース中佐は
 「自分が『自由の戦士』と見なした
 コントラを援助する目的が正しいと信じている」
 と述べ自身の行為を弁護し
 非合法の
 イラン・コントラ計画を
 「素晴らしいアイデア
 と述べた・・・
 ↓↑
 1979年1月イラン革命
 ↓↑
 イラン・イラク戦争
 1980年〜1988年
 1980年9月22日未明
 イラク軍が
 イランの10の空軍基地を爆撃
 イラン軍が迎撃
 東西諸国共に対イラン制裁処置を発動
 イランは物資、兵器の補給などが滞り
 孤立したイランはイラクへの降伏も・・・だが
 イラン国民は20万を越える義勇兵を前線に送って奮戦
 ↓↑
 アメリカ政府は
 テヘラン
 アメリカ大使館占拠事件での
 人質の解放
 同時に
 ニカラグアの傭兵右派ゲリラの
 コントラ
 イランに対して武器輸出で
 得た資金を秘密裏に援助した 
 ↓↑
 イスラエル⇔敵国⇔イラク・イラン
          イラク⇔交戦敵国⇔イラン
 イスラエル⇔敵国イランに武器援助
         イラン⇔断交敵国⇔アメリ
 イスラエル⇔武器売買⇔アメリ
 イスラエル⇔敵国イランにアメリカ制の武器売買援助
         イラン⇔戦争⇔イラク
 アメリカ⇔国交国イラクソ連寄り)
 アメリカ⇔断交国イランにイスラエルを仲介し武器援助
 アメリカ⇔断交国イランに秘密武器援助
 アメリカ⇔武器売買で得た資金を
     ⇔ニカラグア「右翼ゲリラ・コントラ」に援助
 ↓↑
 イスラエル
 アメリカによる
 極秘裏の支援が開始される以前から
 イランを支援し
 武器を密輸出
 ↓↑
 イラン革命の直後に
 イラク
 攻撃された
 イランは
 国際的には敗北必至と判断され
 実際に戦死者は
 イラクをはるかに上回っていた
 革命後のイランは
 「反イスラエル・反シオニズム
 が国是であったが
 戦争敗北の恐れから
 イスラエルからの
 武器援助を承諾し
 戦争時
 イランの
 武器輸入総額は半分が
 イスラエルからのものであった
 イスラエル
 イランに
 販売した武器は
 友好国である
 アメリカや西欧諸国
 の軍が使用する数多の
 最新兵器であった
 ↓↑
 アメリカ政府
 アメリカ人人質解放のために
 身代金として
 アメリカの武器を
 イランへ輸出するように要請
 ↓↑
 イランとの
 武器貿易を公式にしたい
 イスラエルにとって望むところで
 アメリカは
 イスラエルによる
 イランへの武器輸出を承認し
 密貿易は
 公式な間接貿易となった
 これによって
 アメリカの人質の一部が解放されたが
 イスラエル
 アメリカの代理人として
 イランへ武器を輸出することを
 渋るようになった・・・?
 ↓↑
 その後
 アメリカ政府は
 直接
 イランに対しての
 武器の密輸出が
 発覚し
 スキャンダル・・・になった
 ↓↑
 ニカラグア
 「コントラ」に対して
 左傾化が進む中南米
 ニカラグアをはじめとする
 複数国で
 イスラエル
 単独で
 右派ゲリラを積極的に支援し
 アメリカも
 1970年代前半は
 反共ゲリラを
 公式に支援していたが
 民主党左派である
 ジミー・カーター大統領
 によって
 反共支援は
 非合法化され
 後に
 レーガン大統領の
 アメリカは
 イスラエルを介して
 間接的に援助し
 イスラエル
 数重にわたって
 アメリカの代理人となり
 反共ゲリラに対して
 アメリカの
 最新兵器を輸出した
 レーガン政権は
 イスラエルの外交を利用し
 イランと
 ニカラグアの右派ゲリラを
 支援し
 双方と接触したが
 暴露された・・・
 ↓↑
 イスラエル
 暴露の前に
 アメリカとの
 取引を清算
 スキャンダルによって
 攻撃されることは免れ
 その後の
 イランの政治状況の変化を受け
 一転して
 イスラエル
 反イランの姿勢を強めた・・・
 ↓↑
 ニカラグア事件で
 サレム・ビンラディン
 (ウサーマ・ビン・ラーディンの兄で
  支援資金の洗浄をしていた
  アル=ハラム・モスク占拠事件にも関与
  1988年に飛行機事故で死亡)・・・?
ーーーーー
 ・・・?????・・・「蜜語・密語」が無ければ・・・