2530日目・・・「とりとりとり」・・・「とらとらとら」・・・「禽・禽・禽」・・・「寅・寅・寅」・・・「飛羅・杜羅・トラ」・・・「虎・虎・虎」・・・  トラ、トラ、トラ・・・「虎列刺(コレラ)」、ネズミ、ネズミ、ネズミ・・・「黒死病(コロリ)」、ムシ、ムシ、ムシ・・・「鵡詞・六史・無視・無死・無私・蒸し・武士・節・務試・夢誌」・・・

http://d.hatena.ne.jp/naie/20150908/1441702422
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 虎=虍=とら・コ・ク
     𧆞・乕・𠂰・𢁺・虝・𧇂・𪊖・𪋕・𢋪・𠪳
  虎=⺊+乛+丿+七+丿+乚
    虎、ネコ科ヒョウ属の動物の総称
    勇猛なさま
    猛猛(たけだけ)しいさま
    凶暴なさま
    虏=虍+力=とりこ・リョ・ロ・ル
      虜=⺊+乛+丿+七+男
      生きたまま捕える
      捕まえて縄を掛ける
      殺して捕まえるのは「獲」
      縛って自由に動けなくする
      自由を奪う
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 ナタリー・ポートマン
 (Natalie Portman
 1981年6月9日〜)
 辛酉(庚・ ・辛)
 甲午(丙・ ・丁)
 戊午(丙・ ・丁)
  子丑=空亡
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 ホイットニー・ヒューストン
 (Whitney Elizabeth Houston)
 1963年8月9日〜2012年2月11日
 癸卯(甲・ ・乙)⇔壬辰(乙・癸・戊)
 庚申(己・壬・庚)⇔壬寅(己・丙・甲)
 甲申(己・壬・庚)⇔壬寅(己・丙・甲)
  午未=空亡  大運甲子(壬・ ・癸)
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 I WILL ALWAYS LOVE YOU
  島津亜矢
 https://www.youtube.com/watch?v=LIup4t-fRx4
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 「イエロー・バード」
 作家ケビン・パワーズ
 デビュー作
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 ポルシェ
 「イエロー・バード」
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 ザ・ピーナッツ
 「イエローバード」
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 イエロー・バード
 作詞:Keith Bergman
 訳詞:音羽たかし
 作曲:N.Luboff
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 Brothers Four
 Yellow bird (1960) 黃鸝鳥
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 Yellowbird(1957)
 James Randall
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 The Brothers Four - Yellow Bird
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 History of Yellow Bird
 Harry Belafonte, Lawrence
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 レオン・・・レオン
     仏: Léon [leɔ̃]
     西: León [leˈon]
     英、独: Leon 英語: [ˈliːɔn, ˈliːən]
     ドイツ語: [ˈleːɔn])
     男性の名前
     ゲルマン語=「雷」
     ギリシア語・ラテン語=「ライオン」
 Léon
 The Professional
 監督  リュック・ベッソン
 脚本  リュック・ベッソン
 製作  パトリス・ルドゥー
 出演者 ジャン・レノ
     ナタリー・ポートマン
     ゲイリー・オールドマン
 音楽  エリック・セラ
 撮影  ティエリー・アルボガスト
 編集  シルヴィ・ランドラ
 上映時間110分(劇場版)
     133分(完全版)
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 https://www.youtube.com/watch?v=_r2M16hAf4s
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 ロバート・
 ニコラス・
 バード中尉(23歳)
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 鎌倉事件
 元治元年・・・
   元治元年=元字願(眼・磐・岩)念?
 十月二十二日
   ・・・・拾解通弐拾弐似知
 (1864年11月21日)
 相模国
 鎌倉郡
 大町村(神奈川県鎌倉市御成町)
 イギリス人士官2名が
 日本武士に斬殺
 ↓↑
 イギリス人士官の殺害
 横浜駐留中の
 イギリス陸軍
 第20連隊
 第2大隊所属の
 ジョージ・ウォルター・ボールドゥィン少佐(34歳)
 ロバート・ニコラス・バード中尉(23歳)
 は騎馬で江ノ島〜鎌倉を巡遊
 2人が
 大仏の見物を終え
 金沢方面に向かう途中
 昼七つ時(午後3〜4時)頃
 若宮大路近くの路上(御成町4丁目付近)
 で2人の武士に斬りつけられた
 ↓↑
 ボールドゥィン少佐は
 四肢に深傷を受け
 脇腹から背中にかけての傷が致命傷で即死
 ↓↑
 バード中尉は
 右腕と左膝、首などに重傷
 現場近くの民家に運ばれ
 地元の医師による治療を受けたが
 夜暮れ四つ(午後10時)頃死亡
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 生麦事件
 や
 井土ヶ谷事件
 などの外国人殺傷事件が続発
 犯人未逮捕のまま
 ↓↑
 白昼公然とイギリス人士官2名が惨殺
 横浜居留地の外国人社会に強い衝撃
 ↓↑
 イギリスの駐日公使
 ラザフォード・オールコック
 四国艦隊下関砲撃事件の事後処理のため
 帰国予定である自身の出発までに
 犯人の逮捕と処罰を求める強硬な要求
 これに応じて
 老中水野忠精らが
 オールコックら各国公使に対し
 イギリス公使の出発までに
 事件を解決する事を書面で確約
 ↓↑
 犯人は
 2人組の若い武士と判明
 蒲池源八
 稲葉紐次郎
 の処刑
 清水清
 の捕縛
 相模国
 高座郡
 羽鳥村(神奈川県藤沢市羽鳥)
 で起こった強盗事件の犯人として
 神奈川奉行所に召し捕られた
 自称浪人の無宿
 蒲池源八(26歳)
 稲葉紐次郎(23歳)
 を取り調べた際
 彼らの首領で逃亡中の浪人
 清水清次(25歳)が
 イギリス人殺害事件の犯人であるとの供述
 オールコック
 同種の事件の再発を防止するため
 見せしめとして2人を獄門に処し
 その罪状を公布
 処刑に際し
 駐留イギリス軍の士官を
 立ち合わせる事を求めた
 ↓↑
 幕府側は
 2人の処刑は
 日本の法律に従って行うとして通常の死罪
 牢内での斬首のみ
 刑に際して
 イギリス軍士官の立ち合い
 横浜市中の各所に
 罪状書の掲示を認めた
 ↓↑
 蒲池と稲葉は
 10月18日(12月16日)
 強盗およびイギリス人士官殺害事件の連累
 被害者が所属の
 第20連隊の士官や
 イギリス公使館員、
 外国人多数の立ち合いのもと
 戸部の牢屋敷において死罪に処せられた
 処刑の翌日
 千住の遊廓に潜伏中の
 清水を捕縛
 十一月二十五日(12月23日)
 に清水は供述
 高橋藤次郎なる人物と意気投合
 2人で
 八幡宮門前近くで待ち伏せして
 イギリス人を殺害
 犯行後は高橋と別れて江戸に逃れ
 蒲池、稲葉と出会い
 3人で京に上るための費用として
 羽鳥村の富農から金150両を脅し取った
 ↓↑
 横浜で清水の処刑の段取りについて
 幕府とイギリス側の協議
 処刑は横浜で行われる事
 鎌倉を始めとする
 外国人遊歩区域の各所
 に罪状書を掲示
 十一月三十日(12月28日)
 清水は
 戸部の鞍止坂刑場にて
 外国人や日本人の見守るなか斬首
 首は吉田橋に晒された
 第20連隊所属の通訳官
 ラクラン・フレッチャ
 らによれば
 清水の態度は非常に快活で堂々とし
 引き回しの際には見物の群衆に向かって
 自分はかって
 水戸では高名な役人であり
 その遺体は故郷の
 水戸に手厚く葬られるだろうなどと
 語って役人に制止され
 また辞世と思われる和歌や詩吟などを
 大声で口ずさんでいた・・・
 帰国を延期していた
 オールコック
 清水の取り調べの完了とともに
 代理公使を務める
 チャールズ・A・ウィンチェスター横浜領事に
 後事を託し
 十一月二十七日(12月25日)に横浜を出港
 ↓↑
 清水清
 青森出身の浪人や
 肥後藩の元足軽
 一橋慶喜の家来・・・
 フレッチャーも
 清水には
 水戸または
 常陸の訛りがあったと証言
 明治政府が編纂した
 「続通信全覧」に収録された風説書
 身元について
 「細川玄蕃頭(常陸谷田部藩主細川興貫)
  元家来
  清水清次」
 と記されている
 間宮一の捕縛
 供述を裏付ける証拠も得
 幕府は間宮を犯人と断定
 九月十一日(10月30日)
 鞍止坂刑場で処刑
 吉田橋にて梟首
 ↓↑
 真犯人の
 間宮一(はじめ)が自首し
 幕府は大いに困惑
 やむを得ず逮捕するが
 間宮一は共犯者である
 井田普之助の名前も出す
 井田普之助のゆくえは不明
 幕府は
 蒲池源八、稲笹丑之助、清水清次郎
 が冤罪であったことを隠すため
 間宮一
 一名のみを秘密裏に処刑
 井田普之助は後日別件で逮捕・処刑した
 ↓↑
 間宮の供述によって
 姫路藩
 酒井忠績の元家来で
 旗本
 根来五左衛門に仕える
 飯田(井田)晋之介という人物が共犯者
 ↓↑
 慶応二年二月二十五日(1866年4月9日)
 イギリス政府は
 間宮一の処刑について満足
 事件は落着
 ↓↑
 アーネスト・サトウの記録中
 特に一章を設けて
 「ボールドウィン
  と
  バードの殺害」
 が詳しく記録
 明治政府からは発禁扱い
 戦後になるまで翻訳が公刊されず
 現在は岩波文庫で坂田精一訳を利用できる・・・
 この事件の一部始終は
 横浜居留地に住んだ
 イラストレイテッド・
 ロンドン・ニュースの
 特派員記者
 チャールズ・ワーグマンの
 イラストで残っている
 ↓↑
 「鳶の小亀事件(フランス水兵殺害事件)」
 慶応二年(1866)二月
 酒に酔った
 ふたりのフランス人水兵が
 太田町7、8丁目から
 埋め埋めて地の
 坂下町を騒いで歩き
 遊廓に入り娘を強姦しようとしたところ
 かけつけてきた
 鳶の小亀が
 持っていた鳶口で
 水兵ひとりを殺害した事件
 小亀の引き回しの日に
 沿道に横浜の芸者、 鳶職たちが総出で繰り出し
 木遺音頭を唄い
 小亀の冥土への花道を飾った・・・
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http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2018/05/01/%E3%80%8C%E7%8F%BE%E5%AD%98%E3%83%BB%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%80%8D%E3%81%A8%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%83%BB%E3%80%8C%E8%9B%AE%E7%A4%BE%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%80%8D%E3%83%BB1%E3%83%BB55

 とにかく、「言語学者」がこの「江戸時代初期〜後期まで」の「イギリス文化」の「言語的影響」を欠落させ、「和英・英和事典」も調べずにいるところが問題であると私は思うのだが。確かに「日本語」は古代から「北方」、「南方」からの渡来した人々の「ジュウソウ的」な影響があったと言える。だが、「江戸時代」に受けた「外来言語」はいうに及ばず、「英語」を「漢字」を媒介にして「日本語」にしてしまった(?)、あるいは「日本語」に重ねてしまった(?)のは「英語事典の単語の訳と説明」を診れば明かであろう。これは「漢和事典」に於いても同じである。
 「古事記」の乱暴者は「素『戔』嗚(須佐之男)」であった。類字の『箋(セン)』は「便箋」、「詩箋」、「箋紙」、「箋釈」、「箋註(注)」で、「箋=はりふだ・付箋・ときあかし・注釈・ふみ・書き物・手紙・ふだ・短冊の類・名札・名刺・上奏文の文体」で、英語の「ページ(頁)」である。『箋』の解き証は「1999年7月7日の『中日新聞』の学芸覧の記事」にもあるので、この「章」の後半部分にも紹介しておいたが、「英国歩兵第二十連隊・『バード・中尉』」が持っていた「英和辞典」である。スナワチ、『箋』とは「辞典(事典・時点・自転・字典)」の意味である。コジつければ、「バード・ちゅうい」とは「トリ(酉・鶏・鳥・禽・とり)」で、「場蛙(かえる)土」の「注意」ではあるナッ。「風見鳥」、「風邪にカカレば熱が出、痒い『疥癬カイセン・ひぜん)』が発疹し、『疝気』にもなって咳と痰」が出るワケでもある・・・「甲斐戦(カイセン)」、「回旋」、「解箋」で、「肥前(ヒゼン)」の「イチ(ich)」は、「iching」とはね・・・この単語、「バード中尉」が持っていた「英和辞典」にあるか、どうか(?)は現在の私にはワカラないのだが。
 「素『戔』嗚(須佐之男)」の『戔』は「そこなう・多い様・少ない・わずか」で、「戔戔」は「明らかに現れる様」である。「嗚(呼)」は「ああ、とため息、感心の声」、「嘆きむせぶようなすすり声・なげく・いたむ」である。「素『戔』嗚(須佐之男)」の正体は「ひどい手段で殺す『癘(レイ・ライ・えやみ)』」であり、「これら(コレラ=虎列刺)」の意味なのだ。「虎」の漢字をあてている薬草では「虎髭(さじん)」、「虎耳(ゆきのした)」や「虎杖(いたどり)」がある。チナミに「ペスト(pest・黒死病=鼠病)」の伝染は「鼠(蚤・虱・『黴菌=細菌』)の繁殖と移動が原因」であるが、「古事記」では「大国主」が「素『戔』嗚(須佐之男)」の「火攻め」にあった時に助けてくれたのは「鼠」であった。そして「倭建(やまとたける)」が「相武(さがむ)の國で火攻め」にあった時に助かったのは「火打ち石」と「草薙剣」に依ってであった。また「鼠は穴に伏して生き、穴を失いて死ぬ」とは、「蘇我入鹿」を嗜(たしな)める「古市大兄皇子」の言葉であり、「鼠が都に向かう」とは「遷都の兆し」であると「日本書紀」に書かれている。「蘇我蝦夷」は「火攻め」で滅んだが、名前は「蘇我=我(われ)、蘇(よみがえ)る」である。「イエス(移鼠)・クリスト」は「十三日の金曜日にゴルゴダの丘で死してヨミカエったヒト(カミ)の子」であった。「ミッシェル(ミカエル=マイケル=Michael)・ノスとらダムス」は「ペスト」を防いだ「医者」で、「予(豫・預)言者」で、「星相家」でもあった。「みっしぇる」とは、フランス語読み・・・

http://haa98940.wixsite.com/mysite/single-post/2018/05/01/%E3%80%8C%E7%8F%BE%E5%AD%98%E3%83%BB%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%80%8D%E3%81%A8%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E7%9F%A5%E8%AD%98%E4%BA%BA%E3%83%BB%E3%80%8C%E8%9B%AE%E7%A4%BE%E3%81%AE%E3%82%B3%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%80%8D%E3%83%BB3%E3%83%BB55y-%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%83%AF%E3%83%81%E3%80%81%E3%80%8C%E7%8F%BE%E5%AD%98%E3%83%BB%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%80%8D%E3%81%AF

 「現存・古事記」と江戸時代の知識人
 「蛮社のコジキ」・(3)・(55y)
  スナワチ、「現存・古事記」は

 「1999年7月7日水曜日」の「中日新聞・夕刊・E版」の記事には「【ロンドン7日共同】幕末の鎌倉で(じょうい)浪人に殺された英国軍人の署名がある英和事典がこのほど、ロンドンの古書市場で見つかった。日英交渉史を研究している恒松郁生『ロンドン漱石記念館』館長が競売で入手した。」とある。この辞書の内側のページには「英国歩兵第二十連隊バード中尉、1864年8月13日」と書き込みがあるらしい。右から

 「安政四年稟准」、
 「井上修理校正」、
 「英語箋」、
 「一名 米語箋」、
 「村上英俊閲」

 と印刷されている。そして、英語で、

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ・AN ・
  ・EINGLISH AND JAPANESE ・
  ・AND ・
  ・JAPANESE AND EINGLISH ・
  ・VOCABULARY ・
  ・COMPILED PROMANTIVE WORKS・
  ・BY ・
  ・W,H.MEDHCRST ・
  ・ ・
  ・BATAVIA ・
  ・PRINTED BY LITHOGRAPNY ・
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 と印刷されている。ちなみにこの「バード中尉」は「1864年(元治元年)」の「十一月二十一日」に「鶴岡八幡宮前」で事件にあって死亡したらしいのだ。外国人が絡んでくる事件は「1792年」の「北方の海」からであった。
 日本史年表をみていると江戸時代の天災は「噴火・地震津波・大雨・洪水・干ばつ・飢饉・火事」が殆ど毎年記録されているが、これは現代にも毎年起こる「天災」と同じである。結果は「天災に苦しむヒトビト」の「一揆」である。「人災」は権力者の「重税」と「戦争」にあるが、元来「古代の戦争」は「天災」による「ある種族」の「別天地(食料)を求める移動」に起因する。「モーゼ」が「出エジプト」を決断したのは「エジプトの天災・飢饉」が原因である。「ファラオ」の弾圧の前に「イナゴの大群」や「疫病(過ぎ越し)」、「ナイル河が赤く染まった天災」があったのだ。エジプトの宰相となった「ヨセフの子孫達」が「奴隷」であるワケがない。「母なるエジプトの大河と大地」は「枯渇・干ばつ」したのだ。「イスラエル人」だけではなく、「エジプト人」も含めて「死活の『出エジプト』」であったハズだ。・・・そして、「戦争のない平和な江戸時代(?)」ではあったが「天災」を防ぐことは無理だった。「天災」があってもその後の生活がナントカなるのは「生き残った支配層」だが、そのナントカが「武士階級の上層」と「豪商」が結託し、「天災」にもかかわらず「百姓から過酷に搾取したモノ」を「商品流通経済」に投げ入れ、不当な「再分配」をしたコトである。その結果の「怒りの『一揆』」であり、それに対する弾圧である。
 「人災」はこの時期、「火事・盗賊」であった。1788年(天明八年・十月)には「先手弓頭・長谷川平蔵(宣以)」を「火附け盗賊改」の役に抜てきされた年であった。当然、「盗賊が増える原因」は喰えなくなった農村からの「離散者」や「浪人」が「無宿人」として「食料」が集積される都市へ流れるからだ。「火附け」は「盗賊」の掠奪の混乱を狙う「戦術」である。
 そして、身分の階層、階級に関係なく襲って蔓延する「疫病」は「医者」と「行政権力者」がなんとかしなければならない問題であるコトは現代でも同じだ。「日本史年表」の「735年(天平七年・乙亥)」には「豌豆瘡流行・死者多数」と記録されている。翌年の「736年・丙子・5月」には「バラモン僧」の「菩提仙那」や、「華厳宗律宗」を伝えた「唐僧」の「道叡」が来朝した。そして翌年の「737年・丁丑=綴牛」、「疫病(天然痘)」による全国的な蔓延は「聖武天皇」の閣僚であった「藤原一族」をも壊滅状態にしたのだ。支配階級といえども、「神仏」に祈っても無駄であったのだ。
 江戸時代、「1631年(寛永八年)」には「疥癬・痘瘡」が流行、「1638年(寛永十五年・甲寅)10月」には「江戸品川の『牛込』に薬園」を造った。・・・同年2月には「天草の乱」の根拠地、「原城」が陥落しているのだ。捕虜三万数千人の浪人、百姓、キリシタンがすべて処刑されたのである。
 「疫病」は支配階級の「命」を保証しはしないのである。「疫病の神」は万人に平等なのだ。現代の「エイズ」や毎年起こる「疫病・感冒・伝染病」への対策は「国家体制維持」を望む「支配階級」の緊急課題であるハズなのだ。
 現代の難病「エイズ」の「アナグラム(anagram=文字交換)」は、
 「イエス(Jesus=ジィゼス
      辞意是素・示威是蘇・自慰是諏・侍医是守)」で、
 「キリスト(Christ・Χριστοs
      =クリスト
      =crest・鶏のとさか
            =酉の土佐か=土佐の西の掛け
            =横島・横島・横島、横島
             日振島・宇和・宇佐)」、
 「メシア(救済者=めしあ=眼祇亜=女祇哇=女姉噫=女始嗚)」
 で、
 「むすめ、かみに、アァと、嘆き恨みの声を洩らす」
 ではないのか・・・
 「記(紀・祁・基)リスト」、
 「危(貴・揆・起・企)リスト」で、
 「企吏守図」、
 「忌痢素屠」で・・・
 「あなどるな=侮るな=軽(ケイ・キン・かるい)
         =蔑(ベツ・メチ・さげすむ・すてる
            ・くらい・みえない・めくら・くわしい
            ・ちいさい・けずる・ほろぼす)」
 ・・・等の「同音異字」とは・・・とにかく、「支配階級」のわが身を含めて、親族、共同体すら壊滅させる「伝染病」である。「医療者(医者)」や『薬草者(薬屋・薬社)』、「厚生(官僚)者」が「罹病者」、「患者」、「庶民」の「命」を「食い物」にし、「私利私欲」で「懐中を肥したツモリ」でいても、「八足の蛸が鮹の足を食らう自滅」の道なのだ。「厚生省」とは「荒逝省」らしい・・・「凧の足」が切れれば空中からの墜落で、「多古のタリ(あし・ソク)」が見えなければ「歴史」は見えず、である。
 ・・・当時の「赤髭先生」や「蘭学者・知識人」は「御政道の体制内」にあって、それに気づいていたハズだが、イカンセン、「政治家(声字掛)と商人(蛙句読)」は「目先(女箋)」の「利益(理重記)」にのみしか、「皮相」にしか「関心(観審)」がなかった・・・
 そして、「幕藩体制」の政治的動揺は「海(うみ・わた・あま・カイ)」からの「外圧(解亜柘)」である。1789年(寛政一年)5月には「クナシリ島」で「蝦夷アイヌ倭人に対する叛乱」が起こった。そして「二丸不正貸付金問題」で「奥女中の多数」が処罰されたのだ。1792年(寛政四年)五月の「林友直(子平)」の「海国兵談」に対する「禁固」はその前兆であった。

 1792年(寛政四年)・・・6月安房嶺岡牧場で「白牛酪」の製造
 ↓ 9月ロシア使節ラクスマンが「大黒屋光大夫」
 ↓             を送って根室にくる。
 ↓
 1803年・・・7月アメリカ船「ナガサキ」が長崎に入港
 1804年・・・ロシア使節「レザノフ」が長崎に入港
 1809年・・・〜1814年まで
         「ナポレオン戦争」によりオランダ船入港
         中絶。
 1811年・・・6月ロシア艦長「ゴロウニン」を捕虜とする
 1813年・・・「尾藤二州(約山)」の死没。
 1814年・・・6月イギリス船「シャーロット号」が長崎に入港
 1815年・・・2月千姫150回忌法会を伝通院で、
           家嗣百回忌法会を増上寺で行う。
         4月家康二百回忌法会を日光山で行う。
         4月「塙(はなわ)保己一」、家斉に謁見。
           「杉田玄白」の「蘭学事始」。
         5月阿蘇山噴火
           盛岡南部藩一揆
         7月朝鮮飢饉

 1816年・・・4〜8月疫病流行・
 1823年・・・7月プロシャ人「シーボルト」の来朝
 1823年・・・「シーボルト」が長崎で「鳴滝塾」を開塾
 1829年・・・10月「シーボルト事件」
            「天文方」の「高橋景保」が連座
 1837年・・・2月「大塩平八郎の乱
 1838年・・・10月「高野長英」の「夢物語」
 1839年・・・・・「蛮社の獄(蛮舎の獄)」
         5月
         「高野長英」、「渡部登(華山)」等が逮捕
         「小関三英」自殺
 1849年・・・6月「佐賀藩医・楢林宗建」が
         「蘭法」で「種痘」をする
          佐賀藩主「鍋島斉正」が全藩内に実施させる
         12月「佐倉藩」も「種痘」実施の奨励
 1850年・・・10月『高野長英』が暗殺(撲殺)
 1858年・・・2月「江戸・案針」橋より出火
         5月「伊東玄朴」ら「神田お玉ヶ池」に
         「種痘所」を設置
         8〜9月江戸「コレラ病(暴瀉病)」で
          死者二万八千人余
         十一月
         「塙(はなわ)次郎(塙保己一の子ども)」を
         「小十人格」とする
         「亜」とは「次」で
         「亜相」は「大納言・御史大夫
         「亜流」とは同類の系統。模倣者である
         「亜=亞」
 1861年・・・12月「遣欧使節」として
         「竹内保徳」、「松平康直」らが
          イギリス軍艦「オージン号」で品川を出発
 1862年・・・3月「竹内保徳」が「ナポレオン三世」に謁見
         4月「麻疹」が流行
         7月「竹内保徳」等が
         ロシア皇帝「アレクサンドル二世」に謁見
         9月オランダに
         「榎本武楊」、
         「津田真道」、
         「西周(あまね)」等を派遣
 1862年・・・「塙次郎」が「廃帝史実」の調査の疑いで暗殺
 1863年・・・12月「鎖港談判交渉」に「池田長発」等34名を
         「フランス」に派遣
         「池田筑後守」「川津伊豆守」「河田相模守」
         「田辺太一」「田中廉太郎」「西吉十郎」
         「斎籐次郎太郎」「須藤時一郎」
         「塩田三郎」「谷津勘四郎」「堀江六五郎」
         「益田鷹之助」
         「杉浦愛蔵」「横山敬一」「矢野次郎兵衛」
         「松濤権之丞」「尺振八」「益田進」
         「山内六三郎」「原田吾一」「小泉保右エ門」
         「大関半之助」「金上佐助」「岩松太郎」
         「別所三郎」
         「高橋留三郎」「玉木三弥」「菅波恒」「三宅復一」
         「名倉予何人」・・・「奥州棚倉藩士
         「森田弥助」「浦本時蔵
         「乙骨亘」「青木梅蔵」等
         (ココに記した人名は「小学館発行」、
          「鈴木明」氏の
          著作「維新前夜」から抜粋したモノ)
 1866年・・・10月25日幕府師弟「英国留学生12名」出発
        学生取締役は
       「川路太郎」、「中村敬輔」
        留学生は
       「箕作大六」「箕作奎吾」「市川森三郎」
       「林重三郎」「杉徳次郎」「成瀬錠五郎」
       「外山捨八」「億川一郎」「福沢英之助」
       「伊東昌之助」「安井真八郎」「岩佐源二」等
       (ココに記した人名は「新人物往来社発行」
        「宮永孝」氏の著作
        「慶応二年幕府イギリス留学生」から抜粋)

 「鎖国」は「倭人種」を延命させる「一つの方法」であるカモ。「経済」、「政治」、「地理」に於て「鎖国」は「betterの方策」であるカモ(?)。「国の領海の際(きわ)」から孤立、独立し、延命させるのだ・・・もう、充分に「腐るほどモノ」はある。リサイクルも出来る。他国に賣るモノ(商品)は必要ない。ないのは「エネルギー」と「原材料」、「食料」等だ、と、「日本人種の延命思想」であるらしいが、コレラのモノは総て日本国内に「豊富に存在」するのだ・・・「富の配分」さえきっかり出来れば「飢餓」で死ぬヒトなどはイナイのだ・・・もちろん「地球規模」でもそうである・・・食料の種、遺伝子治療薬、言語記録、スベテのモノに「特許・特権」等を与え、与えられて「利権を貪ろうとしている幻想」の中で生きているのは他でも誰でもない、「アンタ自身」である。「国際関係」を一切絶って、「自国のみの安全」を「日本国憲法」を「厳守」することによって、「他国」のことはナンのソノ、エゴに徹して「鎖国」をしましょう、「サコク」を・・・麻薬、伝染病、性病の類は「外国人」が来るたびに蔓延していったのだ。およそ「三年間」で世界中に席巻、蔓延した「梅毒」は「コロンブスの遺産」である。確かめたワケではないが研究者によると「犬」を埋葬した「縄文人の遺骨」には「結核病」の兆候はないらしいが、「犬」を食用とした「弥生人」にはあったらしいのだ。もちろん、後の時代の仏教が戒律、「肉食禁制」で体力の無い「奈良・平安宮廷人は早死」であった。だが、「宰相」クラスの人物は中国でも我が国でも「長生き」しているのだ。「健康管理」は「食膳」からであるのは言うまでもない。だが、「栄養失調」は搾取された貧乏人に属し、「疫病・流行病」は万人に属するのだ。・・・出来なきゃぁ、「鎖国」を「地球規模」に「日本国憲法」で拡大すればいいのだ。そのうち、「宇宙」からの「黒船」も来ることだろうし・・・
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