2417日目・・・「頓珍漢」のツヅキ・・・

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 New Orleans(オリンズ→織理務図)
  &
 Orleans (オルレアン→嗚留例晏)
 ・・・Joan of Arc・・・ジャンヌ・ダルク
  ↓↑
 「晏=日+宀+女
    アン・くれる
    おそ・さだ・はる・やす
    おそい・日が低く落ちかかるさま
    時刻がおそい
    晩(夜、おそい)
   「何晏也=ナンゾ晏キヤ(論語)」
    靖=やすらか・やすし
      安堵・安土・・・and・・・按度・・・蛙務説
  ↓↑
 「頓=屯+頁=トン・チュン
    たむろ(屯)+ページ(頁)
        屯=明治時代、巡査の詰めている所
          巡査の「調書」?
          駐在所・駐屯地
          古代日本における
          真綿の質量・取引単位
      頓=とみに・ひたすら
        頭を地面につけて礼をする
        ぬかずく・頓首
        その場にとどまる・落ち着く
        整頓・停頓
        すぐに・即座に・急に・とみに
        頓悟・頓才・頓死・頓知
        ひたぶる(頓・一向)
        いちずなさま・ひたすら
        完全にその状態であるさま
        向こう見ずなさま
        強引で粗暴なさま。
 「とにに(頓に)=副詞の「とに」は「頓」の字音「トン」
         「とみに」 に同じ
         「風波とみにやむべくもあらず(土佐)」
          急に・俄(にわか)に
 「頓首=ぬかずく・頭を下げて地につける
     躓(つまず)く・倒れる
     苦しむ・苦しめる
     やぶれる(壊れる・失敗 する)」
 「嵌頓(カントン)=腸管などの内臓器官が
           腹壁の間隙から脱し
           もとの位置に戻らなくなった状態
           嵌頓ヘルニア(脱腸)」
 「頓=一回、一度」
 「頓服薬」
 「頓首」
 「困頓(疲れで動きがとれない)」
 「整頓(ととのえる)」
 「頓躓=どんと重みをかける・急に動く
     とっさに変化する」
 「頓足=足を頓す」
 「頓仆(トンボク)=たおれる・ふす」
 「一頓=腰をおちつける休み所や宿
     休憩所で一食するコト」
 「頓挫(突然くじける・不意な挫折)」
 「頓死(急死)」
 「頓知(状況に応じて働く知恵)」
 「頓悟(その場で悟ること)」
 「頓(とん)とわからない、すぐにはわからない」
 「頓服(必要なときに)すぐに服用する」
 「頓服薬=腹痛薬・頭痛薬」
  ↓↑
 ジャパン
 マルコ・ポーロ
 「東方見聞録」の
 「黄金の国・ジパング (ZIPANG・ZIPANGU) 」
 「にっぽん・じっぽん」・・・日・實・実
            ・・・本・椪・笨・翻
            ほむ=誉む・褒む
            本多和気尊(ホムダワケノミコト)
            本多和氣尊(ホムダワケノミコト)
            品陀和氣尊命(ホ ムダワケノミコト)
            品陀和気尊(ホムダワケノミコト)
            品陀皇大神(ホンダコウタイジン)
            誉田命(ホンダノミコト)
            品陀別天皇(ホンダワケテンノウ)
            譽田別天皇(ホンダワケテンノウ)
            誉田別尊(ほむたわけのみこと)
            誉田別命(ほんだわけのみこと)
            大鞆和気命(おおともわけのみこと)
            ↓↑
            本多正信相模国玉縄藩主
            本多正純下野国小山藩主
                 宇都宮藩主
                 本多正信の長男
            本多忠勝=上総大多喜藩初代藩主
                 伊勢桑名藩初代藩主
                 本姓は藤原氏・通称は平八郎
            ↓↑
      垂仁天皇・・・「推認転向・推認典項」?
      と
      沙本比売・・・・・順和(すな)の比べ売り?
               詐本=サホン=差本=作翻?
      佐波遅比売・・・・たすけるナミジ(並字)?
                   名見字
      狭穂毘売・・・・・佐俣(サホ)
               熊本県下益城郡美里町佐俣
               佐保川大和川水系の支流
      の子
      本牟智和気御子
      誉津別命(ほむつわけのみこと)
      誉津別命日本書紀
      本牟都和気命(古事記
      本牟智和気命(古事記
      品津別皇子(尾張国風土記逸文)?
 中国語で
 「日本」を
 ズーベン(ziben)
 リーベン(liben)
 と発音
 「日本=rìběn」
 と発音
 アメリカ合衆国ミズーリ州フランクリン郡
 ジャパン(Japan)
  ↓↑
 「ジパング」と「ジャパン」
 「ジパング〜ジャパン」
 「ジャパン」は中国語の
 「Jih-pŭn」がマレー語の
 「Jăpung, Japang」を経て
 ヨーロッパ諸語に取り入れられ
 「Chipangu (チパング)」
 と語源は同じ
 『東方諸国記(ポルトガル語版)』(1514年筆)
 「Jampon」
 ダミアン・デ・ゴエス
 『マヌエル王代記』(1562年筆・1567年刊)
 「Japongos」
 ジョアン・デ・バロス
 『アジア史』第1編(1552年刊)
 「Japões」
 同第3編(1556年刊)の
 「Japam」
 16世紀に東アジアに来航した
 ポルトガル人が
 「日本」の中国音(広東音)
 を直接伝え聞いて記録
 1554年の
 ロポ・オーメンの世界図で
 ジャパン(大陸と陸続きになっている)
 とは別に
 ジパングらしき無名島が描かれている
 「ジャパン」と「ジパング
 が同一であることを示した最初の地図は
 メルカトルの
 1569年版世界地図(en:Mercator 1569 world map)
  ↓↑
 「Japan」以外の使用[編集]
 ドイツ語およびポーランド
 「Japan(ヤーパン)/Japonia(ヤポニア)」
 「Japanisch(ヤパーニッシュ)/Japoński(ヤポンスキ)」
 単略形「Jap.(ヤープ)」が使用
 「日本人」を「イルボンサラム」
 と云うのは隣国の人
 「日本」を「リーベン」or「ルイベン」or「イーベン」
 「日本人」は
 「リーベンレン」or「ルイベンレン」or「イーベンレン」
 「日本」は
 「リーベン(イーベン)」
 「日本人」は
 「リーベンレン(イーベンレン)」
ーー↓↑ーー
 発音が似ているのは「?」だが・・・
  ↓↑
 両班(りょうはん、
    ヤンバン・韓国語〉
    リャンバン・北朝鮮語)
    高麗、李氏朝鮮王朝時代の
    官僚機構・支配機構を担った
    支配階級の身分
    士大夫
    身分階層と同一
    身分制度
   「甲午改革」後に廃止
   「乙未事変(いつびじへん)」
    =「明成皇后弑害事件」
    李氏朝鮮
    第26代国王
    高宗の王妃であった
   「閔妃」が
    1895年10月8日
    三浦梧楼
    らの計画に基づいて・・・?
    王宮に乱入した
    日本軍守備隊
    領事館警察官
    日本人壮士(大陸浪人
    朝鮮親衛隊
    朝鮮訓練隊
    朝鮮警務使
    らに暗殺された
  ↓↑
 両班(やんばん・リャンバン)
 高麗時代に役人の
 文官を文班(ムンバン)
 武官を武班(ム バン)
 両者をあわせ
 官職に就いている人を
 両班といった
 「班=序列」のことで
 朝廷において
 南面の国王に向かって
 右側に文官
 左側に武官
 が整列
 両 班(南でヤンバン、北でリャンバン)
 身分制度
 「良民」と「賤民」に二分
 「良民=自由民・納税、国役の義務を負い
 「両班(文班、武班)」
 「中人(下級役人、技術官など)」
 「常民(農民、商人、職人)」
 に分けられた
  ↓↑
 「賤民」は
 「奴隷―奴婢」と
 「白丁(ペクチョン)」
 「才人(広大・芸人)」
 「官妓(役所に所属する酌婦)」
 「牽令(キュンエン・牛馬を引く者)」
 「砲手(猟師)」
 「水尺(スチョク・狩猟民)」
 「駅卒(駅の使用人)」
 「巫女」
 「僧侶」
 など・・・
 「奴婢」は
 「公奴婢―国家に所属するもの」
 「私奴婢―個人に所属するもの」
 に分けられ
 奴婢は
 「公奴婢」
 「私奴婢」
 とも
 「入役奴婢」と「納貢奴婢」
 とがあった
 「入役奴婢」は
 国の労役や主人の雑役に従事
 「納貢奴婢」は
 国や主人から独立の生計を営み
 一定の身貢をする義務
 「奴婢」は
 売買、贈与、相続の対象
 父母の一方が奴婢の場合は
 子も奴婢となった
  ↓↑
 「両班」が罪を犯し「奴婢」になったり
 「奴婢」が軍功などで
 「中人・常民」になった
  ↓↑
 晏
 アン・くれる
 おそ・さだ・はる・やす
 おそい・日が低く落ちかかるさま・時刻がおそい
 晩(夜・おそい)
  ↓↑
 「何晏也=ナンゾ晏キヤ(論語)」
 やすらか・やすい
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 1894年3月28日
 閔氏政権によって
 開化派の中心人物
 金玉均
 が
 閔妃の刺客である
 洪鐘宇
 の回転式拳銃で暗殺
 5月31日
 閔氏政権に対し農民が蜂起し
 甲午農民戦争勃発
 閔氏政権は
 宗主国
 清に軍の出動を要請
 日本も朝鮮へ出兵
 1894年7月23日
 日本軍は景福宮を占領
 日本は
 興宣大院君(高宗の父)の復権を行い
 開化派の
 金弘集政権は
 日本の支援のもと
 甲午改革を進め
 日清戦争は日本が勝利
 1895年4月17日
 下関条約が締結
 政権を追われていた
 閔妃の一族は
 ロシア公使
 カール・イバノビッチヴェーバー
 ロシア軍の力を借りて
 クーデターを行い
 1895年7月6日
 政権奪回
 日本公使
 三浦梧楼
 軍事顧問
 岡本柳之助
 らは
 露派の
 閔妃を排除するクーデター
 1895年10月8日午前三時
 日本軍守備隊
 領事館警察官
 日本人壮士(大陸浪人
 朝鮮親衛隊
 朝鮮訓練隊
 朝鮮警務使
 が
 景福宮に突入
 騒ぎの中で
 閔妃は斬殺
 遺体は焼却
 興宣大院君
 と
 閔妃
 の権力闘争
 10月10日
 日本政府は
 小村寿太郎
 外務省政務局長を京城に派遣
 三浦梧楼は
 10月24日後任に免官処分
 小村が
 特派大使として
 井上馨
 が京城に派遣
 軍人8人は
 第五師団の軍法会議
 三浦ら48名は謀殺罪等で起訴され
 広島監獄未決に収監
 証拠不十分で免訴、釈放
 朝鮮では
 閔妃暗殺の2日後(10月10日)
 閔妃の死亡が公表される前に
 大院君が
 閔妃の王后の地位を剥奪し
 平民に落とす詔勅公布
 小村壽太郎の助言で
 11月26日に再び王后閔氏に復位
 朝鮮の裁判
 「王妃殺害を今回計画したのは、私」
 と証言した
 李周会(前軍部協弁=次官)
 朴銑(日本公使館通訳)
 尹錫禹(親衛隊副尉)
 3人とその家族を
 三浦らの公判中の同年10月19日に処刑
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 ・・・???・・・フランス国歌に怒るフランス人にあったコトがあるけれど・・・「ダイサンカイキュウ」ってナンなんだか・・・「フランスの平家の平民」・・・?
 「第三身分とは何か(だいさんみぶんとはなにか」、フランス語: qu'est-ce que le tiers état )、エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスが表したパンフレット。フランス革命の原動力。タイトルは「第三階級とは何か(1789年初版)」とも訳される・・・
 ・・・アベ(坊主)=シェイエス(総裁政府の5人の総裁のひとり(ルーベルの後任))・・・