2402日目・・・立冬(りっとう)は、二十四節気の第19。十月節(旧暦9月後半から10月前半)。 現在 広まっている定気法では太陽黄経が225度のときで11月7日ごろ。恒気法では冬至から 7/8年(約319.59日)後で11月6日ごろ。2017年11月7日05:38・・・立冬=リットウ=栗東・立党・理通唐(問う)・・・8×9=72(漆拾貮・漆足仁)・・・

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 立冬の期間の七十二候
 初候
 山茶始開・山茶花が咲き始める
 水始氷・水が凍り始める
 地始凍・大地が凍り始める
 末候・金盞香(キンセンカ)・水仙が咲く
  野鶏 入 水    為 蜃
  雉  入大水    為 蜃
 (きじ たいすいにいり おおはまぐりとなる)
 雉(チ)が大水=海(カイ)に入って
 大蛤(ダイコウ)になる
 大蛤=蜃(シン)・蜃気楼を作り出す龍
 大蛤(ダイコウ)=蜃蛤(シンコウ)
 みずち(蛟)・想像上の動物・竜の一種
 ↓↑
 (きじ たいすいにいり おおはまぐりとなる)
  生地 大水=大海人  大蛤=ダイコウ=代行
             蜃蛤=シンコウ=侵攻
 (記事 内 隋 に入り、於補葉眞具理)
 ↓↑
 霜降立冬小雪・・・
 操行 立唐 背負う節・・・小説・章節?
ーー↓↑ーー
 白雉(しろきじ・ハクチ)・・・新羅の記事?
 大化(645年)の後、
 650年〜654年までの期間
 大化六年二月十五日
 (ユリウス暦650年3月22日)改元
 〜
 白雉五年十月十日
 (ユリウス暦654年11月24日)
 孝徳天皇崩御
 使用されず
 686年に
 「朱鳥」と定められるまで
 元号はなかった・・・?
 ↓↑
 孝徳天皇
 諱は軽(かる)
 和風諡号
 天万豊日天皇
(あめよろずとよひのすめらみこと)
 ↓↑
 650年2月9日(ユリウス暦3月16日)
 穴門国(あなとのくに・長門国
 の国司
 「草壁醜経(くさかべ の しこぶ)」・・・
 ↓↑ 醜=酉+鬼=みにくい・シュウ
    経=經(へる・たていと・たて・つね・たつ
      ケイ・キョウ・キン)
       織物の縦糸・縦・南北の方向
       経緯・経線・経度・東経
       気血の通路
 ↓↑   「経絡」
 姓は連・草壁連・日下部連
 開化天皇・・・文明開化は明治・・・
 の孫
 彦坐王の子である
 狭穂彦王(沙本毘古王)の子孫・・・「反逆者」の子孫?
 日下部連・甲斐国造の祖
 ↓↑   ・・・久坂玄瑞(くさか ゲンズイ)
         幕末の長州藩士・幼名は秀三郎・諱は通武
         通称は実甫、誠、義助・・・玄随(元は隋?)
         妻は吉田松陰の妹、文
         久坂玄瑞が「蛤御門の変」で死亡後
        「文」は「小田村伊之助(楫取素彦)」と再婚し
        「楫取 美和子(かとり みわこ)」となった・・・?
 狭穂彦王の母は
 春日建国勝戸売の娘、
 沙本之大闇見戸売・・・沙(水少)本(ホン)、之
 ↓↑        「沙=すな=砂=順和」の本の之(これ・シ)
            抄本=鈔本=原本のある一部分を
               書き抜いたもの
            差本之
            大の
            闇(やみ・アン
              門の音)
            見訳部
 ↓↑        「門=もん=文・万・聞・問」の見録り売
 同母の兄弟に
 葛野別
 近淡海蚊野別の祖、袁邪本王
 若狭耳別の祖、室毘古王
 垂仁天皇の皇后、
 狭穂(沙本=佐波遲)比賣命
    ・・・「狭穂=沙本=佐波遲(サワジ=詐倭字・詐倭事)」
 垂仁天皇五年
 妹の狭穂姫命に天皇暗殺を示唆するが失敗
 追い詰められ兄妹ともに稲城の中で自殺
 遺児は
 「唖の品牟都和氣命(本牟智和氣御子・誉津別命)」
ーー↓↑ーー
 「草壁醜経(くさかべ の しこぶ)」
 が
 「白い雉(きじ・チ)」を献上し
 650年2月15日に改元した
↓↑
 653年(白雉四年)
 第二次遣唐使
 吉士長丹らを唐へ派遣
 孝徳天皇軽皇子
 と
 中大兄皇子葛城皇子
 との対立
 中大兄皇子葛城皇子)らが
 皇極、間人皇后(王女)などを引き連れ
 飛鳥河辺行宮へ移る・・・???孝徳天皇の権威失墜???
 金木着け 吾が飼ふ駒は 引出せず
 吾が飼ふ駒を 人見つらむか
 ・・・駒=こま=高麗・狛・独楽・木間・・・高句麗との関係?
↓↑
 繫於金木
 吾飼駒當無出兮
 吾之駒至今何以為所獲
↓↑
 皇后(皇女)が夫である天皇と離れ
 中大兄(葛城)皇子と共に飛鳥に遷った・・・?
↓↑
 654年(白雉五年)
 第三次遣唐使
 高向玄理・・・押使として唐に渡海
        新羅道経由で
        莱州に到着
        長安
        三代目皇帝
        高宗に謁見
        後、病気で客死
        高向王・・・高向玄理
        高向王=父は用明天皇
        皇極天皇の前夫?・・・皇極天皇斉明天皇
                   和風諡号
                   天豊財重日足姫
                   父 舒明天皇の弟の茅渟王
                   母 吉備姫王
                   夫 高向王 舒明天皇
                   子 漢皇子(あやのおおきみ)
                     天智天皇中大兄皇子
                     間人皇
                     天武天皇大海人皇子
        渡来人の子孫
        名は黒麻呂とも
        高向古足の子
        本姓は高向漢人(たかむこの あやひと)
        後に「漢人(あやひと)」は「史(ふひと)」
        冠位は大錦上
        推古十六(608)年
        第二次遣隋使の
        小野妹子(蘇因高)に従って渡海
        
 らを
 唐へ派遣
 孝徳天皇
 難波宮で死没
 白雉 元年 2年 3年 4年 5年
 西暦 650年 651年 652年 653年 654年
 干支 庚戌 辛亥 壬子 癸丑 甲寅
ーー↓↑ーー
 「冬至=トウジ・winter solstice」
 二十四節気の第22・北半球ではこの日が
 一年のうちで最も昼の時間が短い
 十一月中(旧暦十一月内)
 定気法では太陽黄経が270度のとき
 12月22日頃(ごろ)
 「頃(ころあい・しおどき・大凡の・・・時期・かたむく)=匕+頁」・・・食べ頃・・・「あるきまった時期の前後を含めて大まかにさす語・ころ・おおよその時をいう語」・・・「頃(ケイ)は中国の伝統的な面積の単位」・・・
 「項(うなじ・うなずく)=工+頁」・・・同類項、項目・・・「あるまとまりをもつ事柄をさらに細かく分類したものの、一つ一つ・ 数学や数理論理学におけるある種の対象(式や文)の構成要素。 多項式に 加法因子として含まれる単項式 (term) のこと」・・・
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 頁=α+一+ノ+目+八・・・「頁」は「本のページ」と理解して
 ↓↑
 頃=匕+頁
 頂=丁+頁
 項=工+頁
 順=川+頁
 須=彡+頁
 頑=元+頁
 頏=亢+頁
 頌=公+頁
 頓=屯+頁
 頒=分+頁
 預=予+頁
 頗=皮+頁
 領=令+頁
 頤=𦣝+頁
 頡=吉+頁
 頷=含+頁
 頸=巠+頁
 頽=禿+頁
 頭=豆+頁
 頻=歩+頁
 頰=夾+頁
 頼=束+頁
 顆=果+頁
 額=客+頁
 顎=咢+頁
 顔=彦+頁
 顏=彥+頁=文厂彡+頁
 顋=思+頁
 題=是+頁
 願=原+頁
 顚=眞+頁
 類=米犬+頁
 類=米大+頁
 顧=雇+頁
 顫=亶+頁
 顕=显+頁・・・顯 (日幺幺灬→日业)
 顯=(日幺幺灬)+頁
 顬=需+頁
 顰=歩+頁+卑
 顱=盧+頁
 顴=雚+頁
 顳=聶+頁
ーーーーー
 「α+頁」
  ↓↑
 頄=九+頁
 頇=干+頁
 頍=支+頁
 頎=斤+頁
 頊=王+頁
 䪴=冘+頁
 頚=圣+頁
 頗=皮+頁
 頙=疋+頁
 䪼=出+頁
 頔=由+頁
 頖=判+頁
 頬=夾+頁
 頞=安+頁
 頦=亥+頁
 頠=危+頁
 頟=各+頁
 頜=合+頁
 頫=兆+頁
 頪=米+頁
 頩=并+頁
 䪿=囟+頁
 頵=君+頁
 頮=水廾+頁
 頯=肉廾+頁
 頣=臣+頁
 䫇=彡冄+頁
 頹=禿+頁
 頺=秀+頁
 頲=廷+頁
 頳=赤+頁
 䫉=豸+頁
 頥=礀臣+頁
 顊=阜+頁
 顄=凾+頁
 䫏=其+頁
 顇=卒+頁
 顀=隹+頁
 顈=匕糸+頁
 顉=金+頁
 頾=彡+頁+此
 顑=咸+頁
 顒=禺+頁
 顐=軍+頁
 顓=耑+頁
 䫙=耼+頁
 邈=豈+頁
 顖=恖+頁
 顙=桑+頁
 顣=戚+頁
 顢=㒼+頁・・・面大貌
        滿・満・㒼=帯紐から文様のついた膝掛けの
        巾(布)が垂れさがっている象形
        上部の廿は帯、下部は垂れ布の表面の文様
        㒼=平らという意味の字
        穴のないさま・当たる・平ら
        満と通じて満ちる
        「説文解字・巻七」に「平かなり」
        「広韻」に「穿孔無き狀なり」
 顧=雇+頁
 邕=景+頁
 顦=焦+頁
 顫=亶+頁
 顪=歳+頁
 顩=僉+頁
 顰=歩+頁+卑
 顱=盧+頁
 顴=雚+頁
 龥=龠+頁
 顳=聶+頁
ーーーーー
 二十四節気の一つ・春分夏至秋分とともに
 四季の中央におかれた中気
 冬至太陰太陽暦
 十一月中 (十一月後半)
 太陽の黄経が270°に達した日
  (太陽暦の12月21日、22日)頃に始り
  小寒 (1月5日か6日) の前日までの
 約15日間
  ・・・約(およそ・ヤク)=糸+勺(勹ヽ)
 勺=大型の匙状(ヒ)のモノで物を掬い取る形象
 勺(シャク)=尺貫法の体積の単位
        合の10分の1、升の100分の1
     日本の1升=約1.8039リットルで
        1勺=約18.039ミリリットル
     中国の1升=1リットル
        1勺=10ミリリットル
ーー↓↑ーー
 クリスマスの「X」は
 ローマ文字ではなく
 ギリシャ文字の「Χ(カイ)」
 音価は[x]は
 「有声音のハ行」
 ギリシャ語の
 「ハリスト(キリスト)」の「ハ」・・・葉理数訳
                    歯栗鼠訳
 ドイツ語の「Ach Laut」=ach音(⇔ich-laut)
       ドイツ語の軟口蓋(コウガイ)
            無声摩擦音の「x」
 「ルウト」→英語→route→道路・道順・経路・道
 「ルート」→英語→root →平方根・根号(ルート√)」
             →根っ子・累乗根
             →溶接=Wrought iron
              鉄(ロートアイアン)製品
              錬鉄のエッフェル塔
熱する、叩く、曲げる、溶接する
 ↓↑
 「ラウト」→英語→Lauth→日本語→羅臼(ラウス)
          ラウス→ラウシ
    アイヌ語の「ラウシ(獣の骨のある場所)」
 ・・・「アイヌ語のラウシがラウスに転訛」・・・
 ・・・意味は「獣や魚の骨臓物が沢山あったところ」・・・
 ・・・アイヌ語で「ラウシ」=動物(鹿・熊等)の
    死骸があった所の意味
    羅牛、良牛とも古文書にも記録
    松浦武四郎の「知床日誌」にも
    アイヌ達の説明として「ラウシ」とは
   「昔鹿・熊獲り必ずここにきて屠りし故に
    其臓腑は、骨等有との義也」と誌す・・・
 羅臼(ラウス)岳=知床半島のほぼ中央にある火山
          標高1660メートル・山頂は溶岩円頂丘
ーーーーー
 1618年(元和元年)
 メナシ(目梨)の酋長が・・・メナシ=東方
 ラッコの皮を松前藩に献上
 1701年(元禄十四年)
 霧多布場所が開設
 知床のアイヌと交易
 1774年(安政三年)
 飛騨屋久兵衛が
 霧多布場所、他三場所の請負人となる
 1789年(寛政元年)
 クナシリ(国後)・メナシ(目梨)の戦い
 アイヌと和人の戦い
 1799年(寛政十一年)
 江戸幕府
 東蝦夷地を仮直轄地として上地
 1858年(安政五年)
 松浦武四郎
 知床を探検・多くの記録を残す
 1901年(明治三十四年)
 標津外六ケ村戸長役場(標津町)から
 分離・独立し
 植別村戸長役場を設置
 1923年(大正十二年)
 二級町村制施行
 植別村
 1930年(昭和五年七月一日)
 羅臼村と改称
ーーーーー
 「ラウト」→英語→Rout→敗走・潰走・大敗北・完敗
 「G-ROUT=ク-ラウト=特許庁
 ↓↑
 「カイ」=英語よみ「?」
      日本語では「キー」とも
      漢字では甲斐・蝦夷
         ・・・「蝦夷(カイ)=えぞ・えみし」
      古典時代よりあとの発音で
      古典時代の「?」は「ケー(ケイ)」
      現代ギリシャ語では「ヒ」
     =アルファベット式の数字として
      「χʹ=600」、「͵χ=60万」
      「Ϡʹ =900」、「͵Ϡ=90万」・・・「Ϡ」≒「犭」?
 ↓↑
 「X」=ラテン文字(アルファベット)の
     24番目の文字
 ギリシア文字Χ(キー・ヒ・カイ)に由来
 ラテン文字としての発音は
 「ks」 が
 ギリシア西方方言で「Χ」と書かれた
 標準ギリシャ語の「Χ」の音写は「ch・kh」
 ギリシア文字の「Ξ(クシー)」の音写に「X」
 キリル文字の「Х(ハー)」と同系
 ↓↑
 拉・伊・仏・独・蘭=イクス (ics, iks)
  エス・イクソ (ikso)
 英・印尼・瑞=エクス
 西=エキス (equis)
 葡=シース
 日本=エックス
 ギリシャ文字Χ(キー/ヒー)の代用
 クリスマス (Christmas)=Xmas(X'mas)
 ギリシャ語でキリスト (Χριστος) の頭字Χ
ーーーーー
 ・・・ハリスマス・・・貼り済ます・・・