2305日目・・・「老人」が尊敬、畏敬される必要もないと思うがネッ、社会的な「老害」は甚大だろうが、イキテイル限りは「平等」ではないが、「老若男女」は「法的公平な立場」にはアルハズだが・・・「尚歯会」は「老人の会」ではなく、ましてや「敬老の会」ではなかった。「1833年(天保四年)〜1835年〜1837年にかけて最大規模化し、1839年(天保十年)まで続いた」・・・「大塩平八郎の乱(天保八年二月十九日・1837年3月25日・丁酉(庚辛)年・癸卯(甲乙)月・丁卯(甲乙)日」・・・「天保の飢饉対策の会合?」

 年2017 34 丁酉(庚・ ・辛)
 月0006 43 丙午(丙・ ・丁)
 日0024 19 壬午(丙・ ・丁)土曜日
 だが・・・世界は脅しと、テロ、殺し合いの応酬である・・・

 陽明学者の
 大塩平八郎の左下に描かれているのは
「天球儀・渾天儀」である・・・彼は西洋天文学にも興味を持った・・・ナゼ?・・・
ーー↓↑ーー
 ・・・「歯(止+米+凵)」が似ている漢字は「鹵(止+※+凵)=しお・塩分を含んだ痩(や・瘦)せ地・塩地・盬地・鹵田・かすめる・うばう・奪い取る・鹵掠(ロリャク)・たて・おおだて(大盾)・おろそか・軽々しい・粗鹵・おろか・頑鹵・下つき・鹹鹵(カンロ)・斥鹵(セキロ)・鹵(しおち) ・岩塩・塩鹹・鹵石(ロセキ)・奪い取る・鹵獲・大型の楯」・・・「鹵簿=行幸(行啓)のときの行列・儀仗を備えた行幸・行啓の行列」・・・「東方の沿岸部の塩鹹地を「斥」といい、西方の内陸部の塩鹹地を「鹵」と呼んだ」・・・
 「塩漬けの刑」にされたのは「高橋景保」でもあったが・・・
 「孔子の弟子、子路が反乱で落命し体を切り刻まれ、
  塩漬けにされる刑罰を受けた(史記孔子世家)」・・・
 「塩辛=鹹・石鹸=鹸=鹼・濃塩=鹺・粗塩=鹻・盬」・・・
 「※=こめじるし・米印)・星印と呼ぶこともある」・・・これって「X」に「四点(:‥)」・・・「※=:+X+‥」・・・「:=コロン」、「‥=二点リーダ」・・・「二点リーダ=『‥』=文章で沈黙や間をあらわす時に使う・基本的には「三点リーダ=『・・・』」を使用する・・・
 「ellipsis(省略・完全な文から前後関係・常識などによって復元可能な部分を省くこと」・・・
 「leader」は目次の項目とページ数を結ぶ際に用いられる」・・・「テンテンテン・てんてんてん=・・・」・・・
 日本では、星印は「☆・★」が一般的。△と▽を合わせた「✡」を、籠目ないし、ダビデの星六芒星と呼ぶ・・・
 「*=アスタリスクasterisk)=小さい星」=「放射線は6本で、2本の縦線と4本の斜め線からなる」=「短剣符(†、‡)同様、脚注を表すのに用いられる。この用途では、短剣符よりも優先して用いられる。脚注の対象となる字句の右肩に付し、同じ記号を脚注の項目のはじめに置く」・・・なるほど「短剣=タンケン=探検・探険・短見・旦見・譚建」であるカナ・・・
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 歯=止+米(八十八)+凵・・・ナンでコメ(米・※・込め)?
 齒=止+人人+一+人人+凵・・・𠆢𠆢+一+𠆢𠆢
               𠆢=ひとやね・ひとがしら
                 発音=mǒu(モゥ・マァゥ)
              「人」は
               偏にあるときは「亻」
               冠にあるときは「𠆢」となる
               人=𠆢=ひとやね
                 人が上にある時の字形
                 「亼」=「人+一+α」
                 今・命・令・会・合 
 齿=止+人+凵
 卤=止+乂+凵・・・乂=整理し治める
            余計な部分を刈って整える
            鋏(はさみ)
            艸(くさ)を芟(か)る
            4刃物や鋏の刃を
            左右に
            交差させて草木(カミ)等を
            トリミング(trimming)する
 口の中にあり
 食物を噛(カ)み砕(クダ)く器官
ーー↓↑ーー
 サガミ(相模)に噛みに噛みて
 (古事記和銅五年
      正月二十八日
      ユリウス 暦712年3月9日
      グレゴリオ暦712年3月13日
      壬子年
      癸卯月
      丁酉日・水曜日・仏滅)
 サガミ(佐賀見)に咬みに咬みて
  ↓↑
 (佐賀の乱
  ↓↑
 1874年(明治七年)2月
 江藤新平・・・天保五年二月九日
        (1834年3月18日)
       生年1834甲午(丙丁)
       生月0003丁卯(甲乙)
       生日0018甲辰(乙癸戊)寅卯=空亡
         〜
        明治七年(1874年)4月13日)
       享年1874甲戌(辛・丁・戊)終了(おわり)
       享月0004戊辰(乙・癸・戊)終了(おわり)
享日0013庚子(壬・ ・癸)完了(おわり)
 愛国公党を結成し
 島義勇らの
 憂国
 佐賀征韓党の首領
 となり反政府の乱を起こす
 明治七年二月十一日・・・・・・・・佐賀へ潜入
 1874 甲戌(辛・丁・戊)
  02 丙寅(己・丙・甲)・・・・・・二・弐・貮・似・爾
  11 戊戌(辛・丁・戊)・・・・・・十一・壱拾壱・壱足壱
 明治七年二月十六(癸卯)日・・・・武装蜂起
 高知県
 安芸郡
 東洋町
 甲浦
 で捕縛され佐賀へ送還
 明治七年四月八日
 急設の佐賀裁判所で
 司法省時代の部下の
 河野敏鎌によって裁かれ
 四月十三日・・・・・・・庚子(壬癸)=偏官日・三合水
 除族の上
 梟首の刑
 嘉瀬刑場において処刑
 ・・・歯軋りするほど残念、無念だったろうな・・・
  ↓↑
 明治二十二年(1889年)
 大日本帝国憲法発布・・・1889年(明治22年)2月11日に公布
  ↓↑         年己丑(癸・辛・己)
             月丙寅(己・丙・甲)
             日丁巳(戊・庚・丙)子丑=空亡
             1890年(明治23年)11月29日に施行
             年庚寅(己・丙・甲)
             月丁亥(戊・甲・壬)
  ↓↑         日甲寅(己・丙・甲)
 大赦令公布により
 賊名を解かれる
  ↓↑
 江藤新平明治維新政府の
      司法卿・参議を務めた
      牛馬解放令=司法省達第二十二号
      (娼妓解放令)
      肥前国佐賀郡八戸村生まれ
      戊辰戦争で江藤は東征大総督府軍監
      江戸鎮台長官の下の
      六人の判事の1人の会計局判事
      制度取調専務
      フランス法を絶賛
ーー↓↑ーー
 歯列・・・熾烈、猛烈、激烈・・・
 歯のような形や機能をなすもの
 「鋸歯(キョシ)」・・・「ノコギリの刃」
 歯=よわい・とし・年齢
   歯序・年歯
    下つき・
   齲歯(ウシ)=齲蝕=ウショク=虫歯
         口腔内の細菌が
         糖質から作った酸によって
         歯質が脱灰されて起こる
         歯の実質欠損のこと
         歯周病と並び、歯科の二大疾患の一
         齲蝕された歯は、齲歯(虫歯)と呼ぶ
         齲蝕が進行して歯に穴ができること
   義歯(ギシ)
   臼歯(キュウシ)・鋸歯(キョシ)
   犬歯(ケンシ)=切歯(セッシ)
         =糸切り歯(鳥取弁)
         「ネズミの糸切り歯と
          代えてごしなれよう」
          歯が抜けたた時の呪文
           ↓↑
          前歯と臼歯の間にある
          先が尖った歯
          糸切り歯=裁縫の際に糸を引っ掛け
               糸を切るのに使うので
          犬歯=側切歯の遠心側に隣接する歯
             上下顎それぞれに一対(計四本)
             食物を切り裂くための歯
             前歯部を構成する歯の一つ
             犬で良く発達しているので
             犬歯と言う
             槍のように尖がっているので
             尖頭歯とも云われ
             牙(きば)である
             歯列で側切歯の
             遠心側に隣接する歯
             前歯正中から
             3番目にある歯で
             3番とも
   八重歯(やえば)=永久歯に生え変わる時
            他歯に重なる様に
            ズレて生えてしまった歯=添え歯
            異常位置に生える犬歯
            歯と歯が重なり
            歯垢、歯石が溜まりやすくなる
   乳歯(ニュウシ)
   年
 齟齬=ソゴ・上下の歯が噛み合わない事
    ミスマッチ(mismatch)
 「歯=齒
    は・よわい・シ
    歯科
    歯牙 (シガ)
    歯齦 (シギン)
    義歯
    犬歯
    皓歯 (コウシ)・・白くきれいな歯並び
            「明眸(メイボウ)皓歯」=美人の形容
             唐詩杜甫が作った
             詩(哀江頭)の語
             楊貴妃の美貌を形容した語
             目はパッチリで
             白い歯並びも整って・・・
             宛転蛾眉・蛾眉皓歯
             朱脣榴歯(シュシンリュウシ)
             朱唇皓歯
             曼理皓歯(マンリコウシ)
             曼理=豊かな柔肌
                木目の細かい肌
                肌理(きめ・きり)
                モノや肌の細かい模様
                模様の具合によって
                生じる滑らかさ・木目(もくめ)
    切歯・乳歯・抜歯・門歯
    年齢・よわい
   「尚歯・年歯」
   「歯茎・歯車・奥歯・虫歯」
  ↓↑
 「は=口中で食物をかみくだくもの)」
 「獣の牙(きば・ガ)」・・・歯牙(シガ)
            ・・・滋賀・志賀?
 「ア」の形をした物?・・・国鉄ア3形蒸気機関車
              鉄道省に在籍した
              タンク式蒸気機関車
              阿波電気軌道
              1916年(大正5年)
             (1926年阿波鉄道に改称)
 「ア」に似た働きをするもの?・・・???
    (歯車)・・・「ア形=歯車」って???ナニ?
    「ア=呀=口+牙」=あ・カ・ガ=驚きの声?
    「ア=了」?
 「年齢(よわい)・年」
 「よわいする
  (年齢順に並ぶ、連ねる、並ぶ)」
 「数・数える・年齢を数える」
 「サイコロ・賽」
 「たぐい(同じ種類)・仲間」
 「記(しる)す・記録する」
 「当たる・触れる」
 「歯=齒
    立ち止まる足の形と歯の形から
    食物を銜(くわ)え止める
    上下の「歯」
 「齒=止+人人+一+人人+凵」
 「歯=止+米+凵」
ーーーーー
 ・・・以下「ウイッキペデア」からの抜粋添付・・・
  ↓↑
 「尚歯會(会)」・・・「江戸後期、飢饉の対策のために紀州藩儒遠藤勝助が主宰した会・のち、渡辺崋山高野長英らが集い知識や情報を交換する会となる・1839年蛮社の獄で壊滅」・・・
  ↓↑
 「貞観十九年(877年)
  日本での尚歯会の最初の歴史
  南淵年名・・・大同三年(808年)
  ↓↑       〜
         貞観十九年四月八日(877年5月24日)
         名前も生年月日、死亡月日も怪しい
         もとは坂田朝臣だった
        「南淵請安推古天皇十六年(608年)
              高向玄理、旻らとともに
              隋へ留学し
              中臣鎌足たちに
              「周孔の教」を教えた
              遣隋-留学生
  ↓↑     推古天皇の十六年(608)九月
         隋使・裴世清を送るため
         小野妹子=蘇因高が再び大陸に派遣
         摂政の聖徳太子は、渡来系氏族の
         8人の若者を学問生・学問僧として
         遣隋使節団に同行
         請安が帰国
         舒明天皇十二年(640)十月
         高向玄理と共に新羅を経て帰国
         在唐32年間の留学生活
         南淵漢人(あやひと)など
         と称される
         漢系渡来氏族出身の知識人
  ↓↑     ↓↑
        「南淵年名」
        「南の淵」の
        「年の名」・・・歯の名?
        「埃及」・・・・赤道の淵、エジプト?
         南淵朝臣因幡権守、南淵永河の子
         or
         永河の兄である参議・南淵弘貞の子
         子に良臣
         官位は正三位・大納言
  ↓↑     ・・・ナゼ、「南の淵の永い河」なのか?
  によってその山荘で行なわれた
 「皇年代略記・陽成」に
 「元慶元年三月
  大納言
  南淵年名
  設二
  尚歯会
  宴一」、
 「濫觴抄・下」に
 「尚歯会 
  陽成二年
  丁酉(貞観十九)三月
  南淵年名 設」とある・・・らしい・・・「丁酉」?
 「後、
  安和二年(969年)三月十三日
  藤原在衡によって
  粟田山荘で(日本紀略、本朝文粋)
  天承元年(1131年)三月(二十日とも二十二日とも)
  藤原宗忠によって
  白河山荘で(百練抄、長秋記、今鏡、古今著聞集)
  それぞれ開かれ、
  これらは白居易の先例にならって詩賦の遊宴」
 であった・・・
 「承安二年(1172年)三月十九日
  藤原清輔によって
  白河の宝荘厳院において催され
  和歌の
  尚歯会の最初
 (百練抄、愚昧記)」・・・
 「養和二年(1182年)
  賀茂茂重が襲ね(古今著聞集)
  以後、
  尚歯会は
  詩賦
  と
  和歌
  に二分」・・・
 「江戸時代になると
  年賀の席で兼ねて行なわれ
  また連歌俳諧を交えても行なわれた」・・・らしい・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・