1981日目・・・うまいなぁ〜ッ、「島津亜矢」さん・・・何を唄ってもウマイ・・・彼女、「オペラの蝶々夫人」を歌ったらドンな歌い方をするんだろう、と思うが・・・彼女が唄う「オリジナル演歌」、「カバー曲」の詩も曲も含め、聴いているボクは「ニホンジン?」なんだと、つくずく「心情的?」には、ソウ思う。が、それらの「歌謡曲の詩(詞)」をよくよく「理屈的」に考えてみれば「?なモノ」が多い・・・その情景、状況を唱っている感性、感情、情感の「喜怒哀楽」のコトバが「否定」されているのか、「肯定」されているのか・・・「五W

 「感」=「咸(みな・カン・ハム・ゲン」
    =「口を封じる・口を閉ざす」
 「咸」=「厂(がけ・カン・ガン)+一+口+戈(ほこ・カ)」
    =「口+戌(ト+戈)=武器で脅して口を封(閉)じさせる」
    =「緘(とじる・カン・ケン)の原字で、封じ込めた全て」
  +
 「心」・・・
 「抒情(叙情)詩」、「叙事詩」、「詩文」・・・「それが、歌謡曲の詩、エン歌の詩」と云うモンだ、と云われればソレまである・・・その作者の「心情・情念・期待・憧憬・憐憫・未練・愛憎・情景・悔悟・後悔・悔恨」の「感情・感動」、そして、その時の「イマジネーション(imagination・心象)」の創作表現であり、その作品に対する享受者自身は、彼ら自身の「その時点でのフィーリング(feelings・心情)、イマジネーション(imagination・心象)」であり、時間的な経験領域の個々人のモノで、時々のモノであり、作者と同じ共感を共有出来るとは限らない・・・時間に於いても、環境、状況に於いても、「同じ歌」を聴いても、その感情的な判断は個々人、千差万別である・・・
 ボクは、小さい頃は歌謡曲、演歌、艶歌、民謡が嫌いだった、と云うよりも、その「ヨサ」が判らなかった。情景、環境的な経験は無く、コトバの知識も無かったから当然である・・・音曲の「律動(リズム・rhythm)」や「旋律(メロデー・melody・節まわし)」だけは耳について、その「好き嫌い」は選択判断はできたが・・・
 歌謡曲、演歌、艶歌、民謡が好きになっていったのは「歌詞」を理解出来る経験を経た20代も半ばになってからである・・・
 最近、TV番組で「外国人」が「日本語」で「日本の歌」をミゴトにウタうのを観るコトが多いが、「異和感」が全くない。すごく上手い。「心情的な日本語の理解?」と同時に。当然「彼らの心情言語」でも理解しているらしい・・・
 地球人の「生活心情?」は何処で生まれても同じモノであるらしいが、その「意識を一般化」するコトは出来ない。人間の同じ階級、階層、その経験枠の環境に即しての個々人の異なった喜怒哀楽の「共感(empathy)・感銘(impression)・同情(sympathy)・憐憫(pity・mercy)・憧憬(admiration・longing)」の「心情理解」であろう・・・「恋愛感情」は「階級・階層・身分秩序」には関係ないカモだが、「政治権力」を握った男と女の関係には涙を流しても打算が重なっているカモ・・・相互の損得カンジョウ・・・
 最近はヤタラ十把一絡げで「日本人(?)の信条」や、「日本人(?)とはナニか」を「強調?」する日本人の政治屋、評論屋や、TV番組が多い・・・徒党を組む政治屋の「一派(?)一絡げのヤツラ」は「地球人、人間」としての「立場」を「情」で吹き飛ばそうとしている・・・個々人に事件や問題が起これば、他人事のように「彼らも人間だから」と、云うヤカラも多いが、イザ、その本人に事件や問題が起これば「私も人間だから」と云う・・・一体全体、オレもオマエも「同じ人間だからナンなん」だ・・・エゴか、セルフシュか・・・「人間」の熟語は「日本語漢字熟語」である。「ヒトとヒトの間」の「関係性」のコトバである。これは「絆」なのか、「身分秩序」なのか・・・
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 辛 亥(戊・甲・壬)建禄
   三合乙
 辛 卯(甲・ ・乙)印綬・傷官
 壬 子(壬・ ・癸)帝旺
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 ・・・それでも、その才能には「なるほど、歌姫」とは、感じる・・・「島津亜矢」さんの歌唱力と・・・「心情・情念・期待・憧憬・未練・愛憎・悲哀・情景・悔悟・後悔・悔恨」の「感情・感動」の一体化の表現力・・・