1974日目・・・昨夜は「逃げる女」をみたが、「ミンナに愛されるヒトは、ミンナを愛せない」ではアルかな・・・恋愛で一人の相手を愛するヒトは、当然、同じ次元で「道徳的・倫理的・法律的」にミンナを愛せないないだろう・・・家族単位でも、同じ次元で「ミンナの家族」を愛せないのも当然である。だが、国家、家族、一族郎党の「幻想」として個々人のミンナに愛されるのは「国民の立場を思う王様」かも・・・しかし「淋しく孤立させられた王様」では無理だろう・・・キタがロケット発射ですか・・・「寛容」な日本政府は落下破片物が標的で

 戦場で有ろうが、市民社会での事件の殺傷、殺害の現実的現場であろうが、殺意を持っている相手への「寛容・寛大・思い遣り」は「自己破滅への一歩」である・・・
 今現在、TV番組で、「おしゃれイズム・ゴールデンボンバー」をチラッと見たが、伊集院と仲間が話していた日常性がオモシロかった・・・初めて、このTV番組で彼等の活動を知ったけれど・・・北の独裁者に祭り上げられた人物の楽しみはなんナンだろうかと、フッと思ってしまう・・・
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 医療過誤は最近の日本でも多いが・・・「孤独な弁護士」・・・
 「13:55・日曜イベントアワー」の「評決(he Verdict・1982年制作)・監督シドニー・ルメット・出演ポール・ニューマンシャーロット・ランプリング
 と、
 「13:30・そこまで言って委員会NP・緊急企画!週刊誌報道を考える!!甘利大臣辞任に清原容疑者逮捕・・・“発端”はいつも雑誌スクープ!?」
 をコンピュータTVとワンセグTVの2台のモニターで同時でみていたが・・・「法律」に対する「アメリカ人」の「映画の中の物語の人間の正義」と、「日本人」であるらしい「そこまで言って委員会のTV番組での現実場面の司会者、出席の正義?」には「異質さと乖離」を感じる・・・
 だが、いざ、自分自身の身に起これば、「地球上の一般的人間(?)」の「正義(?)」として「映画の中の正義」にも、その物語の「弁護士が関わっていく周囲の状況展開」にも重なっていくのではないか・・・
 ウイッキペデアには
 「ニューマンは映画中の彼の役柄について、
 「自分の長いキャリアの中で初めてポール・ニューマン(Paul Leonard Newman)以外の人物を演じた」
 ものだと述べた」と、あったが、「ニューマン」は役者であるが、彼の「履歴」をみる限り、「弁護士フランク・ギャルヴィン」を演じた彼は「ポール・ニューマン自身」の一部でもあっただったろう・・・食品製造会社「ニューマンズ・オウン」の設立者で、その純利益2億2千万ドルを全額寄付したらしいコトも・・・