1955日目・・・北海道でかなりの揺れの地震でした(12時25分)・・・ガンガンの寒い晴れ日だったが・・・朝から家の周りの除雪、その後、二階の屋根の除雪、屋根に固くへばり付いたツララのハッタ氷雪を残したが、屋根から下りて家に入ってコンピュータに向かった直後、地震・・・屋根に頑固にへばり付いていた氷雪が一気にドドッと落ちた・・・みなさん、屋根からの落雪には注意です。1週間は余震もあるらしい・・・

 むかし、学生時代、上野駅の地下で飲料水に入れる氷屋でアルバイトをしたことがあるが、デッカくて重い氷を冷凍室から取り出し、それを鋸(のこ)で切り刻んで、更に砕き、ズックの袋に詰め込み、階段を上ってホームに停車中の電車の飲料水のタンクに入れ込む。異なった発車電車のタイムテーブルが結構混んでいて忙しい作業であったが・・・アルバイトの時間帯(24時間)配分と、他のアルバイトの人選は会社の担当者からスベテ任され、学生仲間を誘ってのローテーション。同じ時間帯を原則二人だが、仲間と相談し、アルバイトの時間帯を分轄し、担当時間の作業を独り(一人)でやるコトにした。時間給は高給・・・一括で貰うアルバイト料は公平に分配したが、アルバイトの「金額記入無しの領収書」を書かされた記憶がある・・・
 その重くて、デッカイ氷だが・・・ブログ記事で調べたら、「角氷 (Block of ice)は135kg(36貫)」、当時と同じかどうかは?・・・兎に角、縦に立てられた角氷を冷凍室から引っ張り出すのが至難の業(技)で、二回に一回は長方形の角氷柱をコンクリートの床に倒してしまい、壊してしまうコトだった・・・それに、上野駅の地下に造られた小さな勤務室は簡易にベニヤ板で仕切られモノで、氷会社の人間は存在せず、仕事はスベテ任されたが、「蚊」に喰われる場所でもあった・・・
 で・・・地震で落下した屋根にへばり付いていた氷の分厚い板とツララの重いコト・・・ガレージと同じ高さになった庭の積雪の上に除雪した場所にスロープを造って、捨て場所にしたが、運ぶのに大変で、日没まで重労働・・・このボロ屋敷の生活空間を守る為、人生が終わってしまうカモなどと妄想してしまう・・・
 また、インドネシア自爆テロですか・・・テロもせず、戦争もせず、他人を殺傷もせず、「天国」にも期待せず、貰った命を「寿命」までマットウしようとは考えない「人間」達をドウシタものか・・・
 ・・・「自分たちの三歳の女児」を殺してしまう「両親」・・・飢饉、飢餓で口減らしでもないハズなのに・・・「妊娠中の命を堕胎」してしまう理由・・・戦争での満州から引揚者中の家族を殺した「日本兵」・・・生きている限り、生き残っている限り「人間」は「罪深い」・・・が・・・確かにオレやアンタの「エゴ」でもあるカナ・・・恐ろしい・・・
 ・・・物置小屋に家の二階の換気扇に巣食っていたらしいスズメが凍えて死んだのか雪の中にウヅモッていた・・・
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 「スズメ(雀)のオンガエシ(音替えし)」・・・
 「仁徳天皇の免税」と、「舌切雀(したきりスズメ)の爺と婆」・・・ココはナゼ「舌切スズメ?」かと、ナゼ「茅=艸(くさ・くさかんむり・ソウ)+矛(ほこ・ム→矛盾)」なのかを妄想してみたい・・・
  ↓↑
 仁徳天皇
 神功皇后摂政五十七年〜仁徳天皇八十七年一月十六日
 第十六代天皇
 在位は
 仁徳天皇元年一月三日〜同八十七年一月十六日)
 三年間租税を免除・・・?
 宮殿の屋根の
 茅(かや・ち・ちがや・かやぶき・ボウ・ミョウ)
 ↓ 「茅」の通仮字・・・茆(じゅんさい・かや・ちがや
              その・ぬなわ
              すすき等の総称
              エン・ボウ)
            苗(なえ・ミョウ)
    かやぶきの・粗末な
   「茅屋・茅舎・茅門」
   「茅萱(ちがや)・白茅(ちがや)
    茅渟鯛(ちぬだい)・茅花(つばな)
   「茅蜩=蜩=ひぐらし
     ・・・蝉(せみ)の「日暮(ひぐらし)・ひねもす」
         林や森で早朝や夕方に
        「カナカナ」と鳴く・・・仮名かな?
 ↓       かなかな・くつわぜみ
 ↓      「日暮の門」=日光東照宮
 ↓               「陽明門」・・・?
 の「葺(ふ→譜・符・賦)き替え」をしなかった・・・?
   ↓↑             ↓↑
  天 津 日高 日子 波限 建 鵜草葺 不合命(古事記
 (あまつ ひこ ひこ なぎさたけうがや ふきあえずのみこと)
   ↓↑           ↓↑
  彦  波瀲  武  鸕鶿  草葺 不合  尊(日本書紀
 (ひこ なぎさ たけ うがや ふき あえずのみこと)
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 「茅」
  ↓
 以下は「jigen-net・字源」から参考、参照として少々改作して添付・・・
  ↓
 呂望非熊(巻之一)
 六韜曰。(六韜にいう)
 文王将㆑田。(文王が狩猟に出かけようとした)
 史編布㆑卜曰。(史編が占って言った)
 田㆓於渭陽㆒。(渭陽の地に狩をすれば)
 將㆓大得㆒焉。(大いに得るものがありましょう)
 非㆑龍非㆑彲。(龍でも彲(みずち)でもなく)
 非㆑虎非㆑羆。(虎でも羆でもなく)
 兆得㆓公侯㆒。(兆しには公侯たる人物を得ると)
 天遺㆓汝師㆒。(天があなたに師たる人物をおくり)
 以㆑之佐㆑昌。(これを以てあなたを補佐し)
 施及㆓三王㆒。(その恩恵は三代に及ぶ、と)
 文王曰。(文王が言った)
 兆致㆑是乎。(兆しがコレになるのだろうか、と)
 史編曰。(史編が言った)
 編之太祖史疇。(編の太祖である史疇(シチュウ)は
 為㆑舜占得㆓皐陶㆒。(舜の為、占って皐陶(コウヨウ)を得)
 兆比㆓於此㆒。(この兆しは、それと同じである、と)
 文王乃齋三日。(文王は三日にわたって身を清め)
 田㆓於渭陽㆒。(渭陽(イヨウ)の地に狩りを行い
 卒見㆓太公坐㆑茅以漁㆒。(ついに太公望
             茅葺(かやぶき)に座して
             釣りするを見つけた)
 文王勞而問㆑之。(文王は労(ねぎら)ってこれに問い)
 乃載與歸。(御車に載せて共に帰り)
 立為㆑師。(立てて師とした)
 舊本非熊作㆓非羆㆒。(旧本に、非熊(ヒユウ)を
           非羆(ヒヒ)に作るは
 疑流俗承㆑誤。(誤りを俗に受け継いで)
 後世莫㆑知㆓是正㆒耳。(後世、コレを正さなかったからだ)
 按後漢崔駰逹旨辭曰。(思うに、後漢の崔駰(サイイン)の
            達旨(タッシ)の言葉にいう)
 或以㆓漁父㆒見㆓兆於元龜㆒。(あるいは釣り人を以て
                兆を大亀にあらわした、と)
 註曰。(その注にいう)
 西伯出獵。(文王は出でて狩りせんとし)
 卜㆑之曰。(これを占って曰く)
 所㆑獲非㆑龍非㆑螭。(獲る所は龍に非ず、
            螭(みづち)に非ず)
 非㆑熊非㆑羆。(熊に非ず、羆に非ず)
 所㆑獲覇王之輔。(獲る所は、覇王の輔ならん、と)
 所謂非熊蓋本㆓諸此㆒。(非熊に改めるは
             ここに本づくのである)
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 仁徳天皇
 ↓ 
 名は
 大雀命(おほさざき の みこと・古事記
 大鷦鷯尊(おほさざき の みこと・日本書紀
 大鷦鷯天皇(おほさざき の すめらみこと・日本書紀
 聖帝(ひじり の みかど・日本書紀
 難波天皇(なにわてんのう・万葉集
 異母弟・・・異なる母のオト?
 菟道稚郎子(うじのわきいらつこ
       うぢのわきいらつこ)
       生年不詳〜壬申(みずのえさる・ジンシン)?
壬申の乱
       兄と皇位を譲り合い
       兄に皇位を譲るべく自殺
       三年間、皇位空位
 ↓
 応神天皇の第四皇子
 母は
 品陀真若王の女
 仲姫命(なかつひめのみこと)
 ↓
 皇后(前)
 磐之媛命(いわのひめのみこと)
 石之日売命・葛城襲津彦の女)
 ↓  ↓
 ↓  子供
 ↓  大兄去来穂別尊
   (おおえのいざほわけのみこと、履中天皇
    住吉仲皇子
   (すみのえのなかつみこ、墨江之中津王)
    瑞歯別尊
   (みずはわけのみこと、反正天皇
    雄朝津間稚子宿禰
   (おあさつまわくごのすくねのみこと、允恭天皇
 ↓  酒人王 - 岡崎市坂戸の酒人神社の祭神
 皇后(後)
 ↓ ↓
 ↓ 子供
   八田皇女(やたのひめみこ)
   矢田皇女・応神天皇の皇女)
 ↓
 妃
 日向髪長媛(ひむかのかみながひめ。
       諸県君牛諸井の女)
 ↓      子供
 ↓       ↓
 ↓     大草香皇子(おおくさかのみこ、
 ↓     大日下王・波多毘能大郎子)
 ↓     草香幡梭姫皇女
 ↓    (くさかのはたびのひめみこ、
 ↓       橘姫皇女・若日下部命
 ↓       雄略天皇の皇后)
 妃
 宇遅之若郎女(うじのわきいらつめ、
        菟道稚郎姫皇女
        応神天皇の皇女)
 ↓
 妃
 黒日売(くろひめ
     吉備海部直の女)
 ↓
 仁徳天皇陵
  百舌鳥耳原中陵?
 (もずのみみはらのなかのみささぎ)に治定?
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 「したきりスズメ(舌切雀)」
  ↓
 宇治拾遺物語の「腰折雀」
 腰の折れた
 雀を助けた
 婆は瓢の種をもらう、
 実が成ると中から
 白米や金銀財宝が出てくる。
 うらやんだ
 隣の婆はわざと
 雀の腰を折り真似をするが
 瓢から
 蛇や蜂が出て刺されて死ぬ。
 ・・・二人の婆同士の「雀の恩返し」の経緯である・・・
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 別なハナシの
 「舌切り雀」は
 ジジとババの経緯である
 糊(のり)を舐めた
 爺の飼っていた
 雀の「舌」を・・・・・ナゼ「舌」なのか?
 婆は
 チョン切ってしまう
 爺は
 雀を求める渡中で
 無理難題を吹っ掛けられながら
 (馬の尿・牛の糞・薔薇の荊)
 やっと愛しい雀に逢え、
 その雀の恩義を得、
 小さい葛籠(つづら)を
 貰って帰ってくるが
 婆は意地悪、欲張りで
 貰った
 大きい葛籠(つづら)の
 蓋を開けてしまい
 出てきた
 化け物に
 喰われてしまう、と云うハナシ・・・
 その他の話もあるらしい・・・
 「孝行雀」、
 「雀の粗忽」、
 「雀の仇討」、
 「雀酒屋」
 などがあり、
 米・穀物
 招来・管理に
 雀が関わっている場合が多い・・・
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 ・・・雀が「大蔵省の官吏」ならば、「仁徳天皇の三年間の免税」である・・・しかも彼の名は漢字では「大雀(おほスズメ・おほサザキ)」で、「大(おほ・ダイ)-鷦(みそさざい・ショウ・セウ)-鷯(リョウ・レウ)」であり、異なっているが・・・「ショウリョウ、セウレウ」・・・舌切スズメ・・・下切(したきり)・絶説(ゼッセツ)・・・絶鞨(かわぐつ=革靴・ガチ・ゼチ・ゼツ・カツ・セツ)・・・窃(窃盗)・・・天智天皇中大兄皇子)は靴を残して行方不明との説(扶桑略記)・・・「山科に行幸した際山林に入ったまま還御せず、崩所を知らず」・・・?・・・「藤ノ木古墳は、法隆寺の記録には、ミササキ・ミササキ山と記され・・・(崇峻天皇陵)と記すものも・・・出土した金銅装 鞍金具などの馬具類、金銅製の冠や沓(くつ=靴・履・鞨)」・・・「大雀」が「百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)に治定」とは「?」であるカナ・・・
 ・・・一月十四日が過ぎて、今現在は十五日の金曜の未明の4時55分・・・本州茨城県北部でまた「地震(4時29分)」のニュース・・・