1869日目・・・「チュニジア(突尼斯・土尼斯・都尼斯・突尼斯・突尼西亞)・カルテット」に「ノーベル平和賞」・・・女性がカガヤイテイル?・・・ジャポン・・・「小渕優子・元経済産業相(41)の関連政治団体の政治資金規正法違反事件」、「東京地裁(園原敏彦裁判長)9日、元秘書で前群馬県中之条町長の折田謙一郎被告(67)に禁錮2年、執行猶予3年(求刑・禁錮2年)の判決」ですか・・・「執行猶予3年」とはねッ・・・裁判官の「常識」がコレ?・・・「国定忠治(長岡忠次郎)」は「天保の飢饉で農民を救済(?)」した侠客だが

 信州は「高麗人」、毛野は「新羅人(迦摩多)」などの渡来人が「いすくま(居竦)」った場所(馬所)だろう・・・
ーーーーー
 旧約聖書
 エステル記・・・重素照(手留・弖留・氐留)・重棲弟留
 以斯帖 記
第1章
1:1
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
すなわち
インド・・・印度・天竺・典字句
から
エチオピヤ・・・重知(地)於比哉
まで
百二十七州
を治めた
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
の世、
1:2
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素


首都
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
     須佐之男大国主須佐之男の六世の孫、
                   or
日本書紀・一書」の七世の孫)
           ↓
          建御名方神・・・建てる御名の方陣
         (南方刀美神)・・諏訪大社の神
           ↓
          建御名方神は・・建-御名峰訊
          建御雷神に・・・建-音礼(例)訊
          力くらべで・・・相撲(wrestling)?
          ↓       ヤコブイスラエル
                  と
          ↓       天使との相撲
          長野
          科野国→しなの→信濃国
              支那之?
          諏訪
          に逃げた
          ・・・「科(とが)」は「罪科」・・・
          「科料(とがりょう)」
          會(会)津藩の
          信濃への撤退は戊辰戦争・・・?
          しな(品)・・・等級(レベル)
          とが(咎)・・・罪(つみ)
          しぐさ(仕草・仕種)・・身のこなし
                      動作、表情
          ↓
         「科目(カモク)」=品種分類
             とがめ・・・咎の目?
         「科学(カガク)」=分析学・分類学
          ↓↑       (唯物)弁証法 
         「科挙(カキョ)」=官吏登用試験の科目
                   科目(六科)による選挙
          秀才=国家治世の根本問題の論文試験
             (文章得業生の異称)
          明経=経書の暗記知識の試験
             経書とは
             周易尚書詩経
             三礼・左伝・論語・孝経
          進士=時務策(国政問題の論文)
             文選(賦・詩・文章)
             爾雅(語義解釈・古代語の訓詁)
             などの試験
          明法=法律の試験
          明書=経書の内容解読の試験
          明算=算数試験
         「四書六経(楽経を含める)」   
          ↓
         「科白=せりふ=台詞」 
↓         ↓
↓        「科野(しなの)」は
↓        「和銅六年(713年)
↓         風土記の記録」から
         「信濃」に改名
          大化三年(647年)
          渟足柵
          大化四年(648年)
          磐舟柵
          科野から柵戸(公民身分)が派遣
          斉明天皇六年(660年)十二月
          科野国が、
          蝿の大群が
          巨坂を
          西の方向に飛び越えて行った
          推古天皇三十五年(627年)五月
          蝿の集団が信濃坂を越えて
          東の方へ行き、上野国で散り失せる
          飛鳥時代
↓         本多善光の開基の
          善光寺
          長谷寺
          が建立
          善光寺
↓         諏訪大社と並び
          全国的な信仰の拠り所
          天武天皇元年(672年)
          壬申の乱
          科野の兵が
          大海人皇子天武天皇
          の側に加担
          天武天皇十四年(685年)
          高田新家らに
         「束間温湯(つかまのゆ)」に
          行宮(あんぐう)を造らせた
          持統天皇五年(691年)
         「須波神」
         「水内神」の勅祭など、
         「科野(しなの)」は
          大和朝廷のにとって
          大宝二年(702年)十二月
↓         美濃国
↓        「木曾山道」が開通
で、
その国の
位に
座していたころ、
1:3
その
治世

第三年
に、
彼は
その
大臣
および
侍臣
たちのために
酒宴を設けた。
ペルシャ・・・波斯・経留写

メデア・・・女出蛙・目出會(鴉)
の将軍
および
貴族
ならびに
諸州の大臣たちがその前にいた。
1:4
その時、
王はその盛んな国の富と、
その
王威の輝きと、
はなやかさを
示して
多くの日を重ね、
百八十
日に及んだ。
1:5
これらの日が
終った時、
王は王の
宮殿

園の庭で、
首都
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
にいる
大小のすべての民のために
七日

間、
酒宴を設けた。
1:6
そこには
白綿布

垂幕

青色

帷(とばり)・・・帳・戸張・幃・幄・幬

があって、
紫色

細布

紐(ひも)

銀の輪
および
大理石の柱に
つながれていた。
また
長いすは
金銀で作られ、
石膏

大理石

真珠貝
および
宝石

切りはめ細工の
床の上に置かれていた。
1:7


金の杯で賜わり、
その杯は
それぞれ違ったもので、


大きな度量に
相応(ふさわ)しく、
王の用いる酒を
惜しみなく賜わった。
1:8
その飲むことは
法にかない、
だれも
しいられることはなかった。
これは
王が人々に
おのおの
自分の
好むようにさせよと
宮廷の
すべての
役人に命じておいたからである。
1:9
王妃
ワシテ・・・鷲手・和史(詞)出・話詞出

また
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素

に属する王宮の内で
女たちのために
酒宴を設けた。
1:10
七日目に
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素

は酒のために
心が楽しくなり、
王の前に仕える
七人の侍
メホマン、・・・女補磨務(万)
ビズタ、・・・・備(尾)事(図・豆・捨・頭・亠)
ハルボナ、・・・葉留糢(戊)拿(名)
ビグタ、・・・・備具多(田・拿・多・他・太)
アバグタ、・・・蛙葉具多(田・拿・多・他・太)
ゼタル・・・・・是足・是樽
        是
         (逝・眥・眦)
        多
         (田・拿・多・他・太)
        留
および
カルカス・・・・可留掛素
に命じて、
1:11
王妃
ワシテ・・・鷲手・和史(詞)出・話詞出

王妃の
冠を
かぶらせて
王の前にこさせよと言った。
これは
彼女が美しかったので、
その美しさを
民らと
大臣たちに
見せるためであった。
1:12
ところが、
王妃
ワシテ・・・鷲手・和史(詞)出・話詞出

侍従が伝えた
王の命令に従って来ることを
拒んだので、
王は
大いに憤り、
その怒りが
彼の内に燃えた。
1:13
そこで
王は
時を知っている
知者に言った、
―王は
すべて法律

審判
に通じている者に
相談するのを常とした。
1:14
時に
王の
次にいた人々は
ペルシャ・・・波斯・経留写
および
メデア・・・女出蛙・目出會(鴉)

七人の
大臣
カルシナ、・・・借る支那(品→ホン・本)
        掛留史(詞・詩)名
セタル、・・・・施多留
        世太留
        晒他留
        施足
アデマタ、・・・蛙出万太
タルシシ、・・・多留詩史(詞・示・施)
メレス、・・・・女例素
マルセナ、・・・万(磨)知施名
メムカン・・・・女(目)務巻
であった。
彼らは
皆王の顔を見る者で、


首位に座する人々であった―
1:15
「王妃
 ワシテ・・・鷲手・和史(詞)出・話詞出
 は、
 アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素王
 が
 侍従を
 もって
 伝えた
 命令を行わないゆえ、
 法律に従って
 彼女にどうしたらよかろうか」。
1:16
メムカン・・・・女(目)務巻



大臣たちの前で言った、
「王妃
 ワシテ・・・鷲手・和史(詞)出・話詞出
 は
 ただ
 王にむかって
 悪い事をしたばかりでなく、
 すべての大臣
 および
 アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素王
 の各州の
 すべての民に
 むかってもしたのです。
1:17
 王妃の
 この行いは
 あまねく
 すべての
 女たちに聞えて、
 彼らは
 ついに
 その目に
 夫を卑しめ、
 『アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
  王は
  王妃
  ワシテ・・・鷲手・和史(詞)出・話詞出に、
  彼の前に来るように
  命じたが
  こなかった』
 と言うでしょう。
1:18
 王妃の
 この行いを
 聞いた
 ペルシャ・・・波斯・経留写
 と
 メデア・・・女出蛙・目出會(鴉)
 の大臣の
 夫人たちも
 また、
 今日、
 王の
 すべての大臣たちに
 このように言うでしょう。
 そうすれば
 必ず
 卑しめと
 怒りが
 多く起ります。
1:19
 もし
 王がよしと
 されるならば、
 ワシテ・・・鷲手・和史(詞)出・話詞出は
 この後、
 再び
 アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
 王の前に
 きてはならないという
 王の命令を下し、
 これを
 ペルシャ・・・波斯・経留写
 と
 メデア・・・女出蛙・目出會(鴉)
 の法律の中に
 書きいれて
 変ることのないようにし、
 そして
 王妃の位を
 彼女に
 まさる他の者に与えなさい。
1:20
 王の下される
 詔が
 この大きな国に
 あまねく告げ示されるとき、
 妻たる者は
 ことごとく、
 その夫を
 高下の別なく
 共に
 敬うようになるでしょう」。
1:21


大臣たちは
この言葉を
よしとしたので、
王は
メムカン・・・・女(目)務巻
の言葉のとおりに行った。
1:22


王の諸州に
あまねく
書を送り、
各州には
その文字にしたがい、
各民族には
その言語に
したがって書き送り、
すべて
男子たる者は
その家の主となるべきこと、
また
自分の民の言語を
用いて語るべきことをさとした。
ーーーーー
 ・・・