1684日目・・・昨夜はTVで「フランシスコ・ザビエル」を見たけれど・・・河童の沙悟浄の皿頭のミズ不足・・・布教で使った「神(デウス)」が「大日(ダイニチ)=Dainichi」様・・・「盧遮那仏=Mahavairocana=Vairocana(ヴィローチャナ)」、「大日如来=Tathagata(mahaavairocana)」・・・「神」は「人間社会の倫理・道徳」なんでしょうッ・・・「心の中に存在する」のだから・・・「心の中=In the mind=in your heart=deep inside y
↓
「win the heart of 」、
「合衆国独立宣言(1776年)」
"We hold these truths to be self-evident,
that all men are created equal,
that they are endowed
by their Creator(神)
with certain unalienable Rights,
that among these are
Life,
Liberty(自由) and
the pursuit of Happiness(幸福の追求)."」
「オバマさんの演説」
「". . . all are equal,
all are free,
and
all deserve a chance
to pursue
their full measure of happiness."
(スベテの人々(万人)は平等であり、
スベテの人々(万人)は自由であり、
スベテの人々(万人)は限度いっぱいの
幸福を追求する機会に値する)」
・・・たった「萬人=万人」・・・「2011年10月31日に世界人口が70億人に到達したと推計」されているのに・・・「太安万(萬)侶」に訊きたい・・・「万(萬)葉集」、「万(萬)葉仮名」ってのも、・・・「番人=つがいジン=対人」なんだろう・・・「ヤコブ」・・・
「We are a nation of
Christians
and
Muslims,
Jews and Hindus,
and
non-believers.
(われわれは
キリスト教徒と
イスラム教徒、
ユダヤ教徒と
ヒンドゥー教徒、
そして
非信仰者からなる国だ)」
・・・「仏教徒・多神教徒」が抜けている・・・そして「悪魔崇拝主義者」も・・・
↓
「それ如来の説法は必ず
文字による。
文字の所在は六塵其の体なり。
六塵の本は
法仏の
三密即ち是れなり。
(如来の説法は必ず文字によっている。
文字のあるところは、
六種(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚・思考)
の対象をその本体とする。
この六種の対象の本質は、
宇宙の真理としての
仏の身体・言語・意識の
三つの神秘的な働きこそがそれである」
「身口意業は虚空に徧じ、
如来の三密門
金剛一乗甚深教を演說す。
(大日如来が
身・口・意で起こす
三つの業は虚空に遍在し
、三つの業の秘密において
仏と平等の境地に
ひたる仏の教えを演説する)
↓
密教坊主の元祖(鼻祖)=空海=弘法大師
佐伯眞魚
さえきまお
サエキのサカナ
↓
ピューリタンの
丸刈り頭が
円頂党(Roundheads)
(round head=ラウンドヘッド)
円頂党(Roundheads)
イングランド内戦において
議会を支持した人々
円頭派とも
彼らは
議会派(Parliamentarians)とも呼ばれ、
絶対君主主義や
王権神授理論を標榜する
イングランド王
チャールズ1世と
その支持者である
王党派(騎士党)と敵対した
円頂党の政治的な目標は、
議会(立法府)による
行政組織の完全な支配を実現させること
↓
議会派に属する清教派の一部は
頭を短く刈り上げていたが、
この髪型は
ロンドン宮廷の男性たちに
流行していた
長い巻き髪とは対照的であった
このピューリタンの丸刈り頭が
円頂党(ラウンドヘッド)の語源
イングランド内戦最中と
そのしばらく後まで、
円頂党という言葉は
侮蔑的なニュアンスであった
このため、
議会派の率いる
ニュー・モデル軍
(New Model Army)では、
同僚の兵士を
「丸刈り頭(ラウンドヘッド=円頂党)」
と呼ぶと、罰が与えられた
これは
長髪の王党員(キャバリア)
王党派の呼び名である
騎士党(Cavaliers)
という語の扱われ方とは
異なっていた・・・
「ラウンドヘッド(Roundheads)は侮蔑、蔑称」である
↓
だが、
議会派である
清教徒(ピューリタン)から
「長髪の王党員」に対する、
「騎士党(Cavaliers・キャバリアス)」は
侮蔑のコトバであった
それは、
エリザベス1世女王治世下で
ネーデルラントの
プロテスタントを迫害していた
スペイン人の騎士(Caballeros)たちと
重ね合わせるために
議会派の用いた侮蔑の言葉だった
だが、
「王党派」はこれをよし、とした。
「円頂党=ラウンドヘッド(Roundheads)」
という言葉は、
1641年末に
主教制廃止法案(Bishops Exclusion Bill)
をめぐって議会が紛糾していた最中に、
ウェストミンスターで起きた暴動に際して
初めて侮蔑語として使用
暴動群衆について
「この者どもの中で
髪の毛を
耳より
長く伸ばしているものは
非常に少なく、
このため
ウェストミンスターでの騒ぎに
参加していた者たちのことを
丸刈り頭(ラウンドヘッド)」
と呼ぶようになった・・・
暴動にはロンドン市の
徒弟身分(Apprentice)の若者も参加しており、
ラウンドヘッド(丸刈り頭)というのは、
徒弟たちが
ギルドの規定に従って
短く刈った髪型を
蔑んで呼んだ言葉であった・・・
↓
クロムウェルの秘書官
ジョン・ラッシュワース(John Rushworth)
によれば、
「ラウンドヘッド(Roundheads)」
という言葉が
最初に用いられたのは
1641年12月27日
ウェストミンスターでの暴動鎮圧のために
現場に来たある士官が、
剣を抜いて
「主教に向かって
吠え回る
丸刈り頭のイヌどもの
喉をかっ切れ
( "cut the throat of those round-headed dogs
that bawled against bishops")」
と叫んだのが始まり・・・
ピューリタンの論客
リチャード・バクスター(Richard Baxter)は、
「ラウンドヘッド」
という言葉の発明者は
王妃ヘンリエッタ・マリアだとする
王妃は
1641年春の
初代ストラフォード伯爵
トマス・ウェントワースの裁判の際、
ストラフォード伯を陥れた
ジョン・ピムを指して、
「あの
丸刈り頭の男は誰か?」
と臣下に尋ねた・・・
チャールズ2世の
首席顧問だった
初代
クラレンドン伯爵
エドワード・ハイドは
「…これらの争い以後、
ラウンドヘッズ(円頂党)
と
キャヴァリアーズ(騎士党)」
という
2つの単語は
対の存在として語られるようになった
国王の忠実な家来は
「騎士党員」
そうでない者たちは
軽蔑すべき
下賤の者たちと一緒くたにされて
「円頂党員」と呼ばれた
↓
王党派の
カンタベリー大主教
ウィリアム・ロードが
1636年に定めた法令によって、
イングランド国教会の
全ての聖職者が
髪を短く切るように指示されると、
多くのピューリタンは
ロードの権威への
反抗を示すために
髪の毛を伸ばし始めたが、
依然として
「円頂党員」と呼ばれていた
円頂党のうち、
「独立派」かつ「上流階級」に属する
ピューリタン
(クロムウェルもその一員)
たちの間では、
護国卿
政権末期までには
髪を長く伸ばすことが一般的となったが、
「長老派」や
議会派の一般兵士たちは、
長髪を忌み嫌い続けた
王政復古直前には、
独立派のピューリタンが
長老派のピューリタンを
「ラウンドヘッド」と
侮蔑的に呼ぶようになった・・・
↓
「ラウンドヘッド(Roundheads)
円頂党」という言葉は、
1678年〜1681年にかけて
王位排除法案をめぐり、
議会主義・共和主義的傾向をもつ人々を
指す語として使われた。
王位排除危機の最中に、
彼らを指す言葉として新たに登場した
「ラウンド・ヘッド」から
「ホイッグ」にとって代わられた。
王党派も同じ時期に
「騎士党」から
「トーリー」へと呼称が変わった
トーリーとホイッグの語も
互いを侮辱して使う言葉として定着・・・
roundhead
包茎手術をしたペニス
roundhead(英語の俗語)
cavalier(対語)
cavalryman
trooper〈総称〉
cavalry
「騎兵」=knight・・・・奇兵隊(高杉晋作)
文久三 (1863) 年
長州藩で結成
奇兵とは不正規軍隊
フランス語
cavalier. cavalier. cavalier
horse=馬
↓
のこひき台・ひき枠
horsepower
虎(とら)の巻
訳本(翻訳本)
ヘロイン(麻薬)
中石・挾石=断層面に挟在する
岩石塊のこと
中盤、馬石とも呼ぶ
鉱床の中で鉱石や脈石と
混ざって含まれる
母岩の大きな塊で
脈の中に含まれているもの
大きな中石を特に
馬石と呼ぶ
ナゼ、「馬石」?・・・馬の脇腹を両足で挟んで乗馬するから?・・・「馬頭観音(バトウかんのん=めづかんのん)=赤観音」・・・馬頭大王・・・「牛頭、午頭」大王は地獄の「番人」だが・・・祇園(祗園・ギオン)祭・・・「擬音」の祭(まつり・サイ)・・・纏りの「差異・歳・才・採」・・・であるかな・・・聖書の「瑪拉基・馬(瑪)太・(瑪)馬可・羅馬」・・・
ーーーーー
roundhead(俗語)
包茎手術をしたペニス
round-headed
↓
割礼(かつれい)
サーカムシジョン
circumcision
包茎
phimosis
包茎の
phimotic
仮性包茎
false(pseudo‐)phimosis
・・・「新約聖書」に於ける「割礼派キリスト教徒(ユダヤ人律法派)」と「異邦人派キリスト教徒(パウロ宣教師派)」の対立に似ている・・・「清教徒(ピューリタン)革命」は何だったのか・・・
「マルティン・ルター」の
「人の姿となられた
神の言葉としてのイエス・キリストにのみ従う」
が原点・・・「聖書」のみが信仰の唯一の源泉・・・彼は草原で激しい雷雨にあい、落雷に遭遇・・・まるで、「パウロ」である・・・そして「塔の体験」・・・「善行の義よりも、信仰での義」・・・?・・・言い換えれば「道徳での義よりも、倫理での義」・・・「贖宥状=免罪符」への疑問・・・「死後に対する保険」・・・「生きている間のリスク」だろう・・・結局、彼も権力に加担した。階級社会の枠内で「宗教改革を実現するためには、世俗の権力と金力が必要」な存在であった・・・「キリスト」も「パウロ」も「世俗階級権力」を否定していないし、「聖書」自体の記述もそれを肯定しているのだから。「ドイツ農民戦争(1524年〜1525年)」で、ルターの支持を得た権力者は「徹底的に農民暴動を鎮圧し、首謀者たちを殺害した」・・・プチブル意識を払拭出来ないで、イイこと云う奴は「裏切り者」になるのだ・・・
↓
ピューリタン(Puritan)は、
イングランド国教会の改革を唱えた
キリスト教の
プロテスタント(カルヴァン派)のグループ
1642年〜1660年
清教徒革命
(ピューリタン革命・Wars of the Three Kingdoms)
議会と国王派の内乱
国王派(騎士党)と
議会派(円頂党)の内戦
議会派が勝利
1648年〜1649年
第二次イングランド内戦
国王チャールズ1世の処刑
1660年
王政復古によって
清教徒革命失敗
1688年から1689年
権利の章典により
国王の権利が制限され、
議会政治の基礎が築かれた・・・
↓
ーーーーー
旧約
創世記
第36章
36:1
エサウ、すなわち
エドムの系図は次のとおりである。
36:2
エサウは
カナンの娘(女)たちのうちから妻をめとった。
すなわち
ヘテびと
エロンの娘(女)
アダ
と、
ヒビびと
ヂベオンの子
アナの娘(女)
アホリバマ
とである。
36:3
また、
イシマエルの娘(女)
ネバヨテの妹
バスマテをめとった。
36:4
アダは
エリパズ
を
エサウに産み、
バスマテ
は
リウエル
を産み、
36:5
アホリバマは
エウシ、
ヤラム、
コラ
を産んだ。
これらはエサウの子であって、
カナンの地で
彼に生れた者である。
36:6
エサウは
妻と子と娘(女)と
家のすべての人、
家畜と
すべての獣、
また
カナンの地で獲た
すべての財産を携え、
兄弟ヤコブを離れて
ほかの地へ行った。
36:7
彼らの財産が多くて、
一緒にいることが
できなかったからである。
すなわち
彼らが寄留した地は
彼らの家畜のゆえに、
彼らをささえることが
できなかったのである。
36:8
こうして
エサウは
セイルの山地に住んだ。
エサウは
すなわち
エドム
である。
36:9
セイルの山地におった
エドムびとの先祖
エサウの系図は次のとおりである。
36:10
エサウの子らの
名は次のとおりである。
すなわち
エサウの妻
アダの子は
エリパズ。
エサウの妻
バスマテの子は
リウエル。
36:11
エリパズの子らは
テマン、
オマル、
ゼポ、
ガタム、
ケナズ
である。
36:12
テムナ
は
エサウの子
エリパズ
のそばめで、
アマレク
を
エリパズに産んだ。
これらは
エサウの妻
アダの子らである。
36:13
リウエルの子らは次のとおりである。
すなわち
ナハテ、
ゼラ、
シャンマ、
ミザであって、
これらは
エサウの妻
バスマテの子らである。
36:14
ヂベオンの子
アナの娘(女)で、
エサウの妻
アホリバマの子らは
次のとおりである。
すなわち
彼女は
エウシ、
ヤラム、
コラ
をエサウに産んだ。
36:15
エサウの子らの中で、
族長たる者は
次のとおりである。
すなわち
エサウの長子
エリパズの子らは
テマンの族長、
オマルの族長、
ゼポの族長、
ケナズの族長、
36:16
コラの族長、
ガタムの族長、
アマレクの族長である。
これらは
エリパズから出た族長で、
エドムの地におった。
これらは
アダの子らである。
36:17
エサウの子
リウエルの子らは
次のとおりである。
すなわち
ナハテの族長、
ゼラの族長、
シャンマの族長、
ミザの族長。
これらは
リウエルから出た族長で、
エドムの地におった。
これらは
エサウの妻
バスマテの子らである。
36:18
エサウの妻
アホリバマの子らは
次のとおりである。
すなわち
エウシの族長、
ヤラムの族長、
コラの族長。
これらは
アナの娘(女)で、
エサウの妻
アホリバマ
から出た族長である。
36:19
これらは
エサウ
すなわち
エドムの子らで、
族長たる者である。
36:20
この地の住民ホリびと
セイルの子らは
次のとおりである。
すなわち
ロタン、
ショバル、
ヂベオン、
アナ、
36:21
デション、
エゼル、
デシャン。
これらは
セイルの子
ホリびとから出た族長で、
エドム
の地におった。
36:22
ロタンの子らは
ホリ、
ヘマムであり、
ロタンの妹は
テムナであった。
36:23
ショバルの子らは
次のとおりである。
すなわち
アルワン、
マナハテ、
エバル、
シポ、
オナム。・・・?
36:24
ヂベオンの子らは
次のとおりである。
すなわち
アヤ
と
アナ。
このアナは
父ヂベオン
のろばを飼っていた時、
荒野で
温泉を発見した者である。
36:25
アナの子らは
次のとおりである。
すなわち
デション
と
アホリバマ。
アホリバマは
アナの娘(女)である。
36:26
デションの子らは
次のとおりである。
すなわち
ヘムダン、
エシバン、
イテラン、
ケラン。
36:27
エゼルの子らは
次のとおりである。
すなわち
ビルハン、
ザワン、
アカン。
36:28
デシャンの子らは
次のとおりである。
すなわち
ウズ
と
アラン。
36:29
ホリびとから出た族長は
次のとおりである。
すなわち
ロタンの族長、
ショバルの族長、
ヂベオンの族長、
アナの族長、
36:30
デションの族長、
エゼルの族長、
デシャンの族長。
これらは
ホリびとから出た族長であって、
その氏族に従って
セイル
の地におった者である。
36:31
イスラエルの人々を
治める王がまだなかった時、
エドムの地を治めた
王たちは次のとおりである。
36:32
ベオルの子
ベラはエドムを治め、
その都の名は
デナバ
であった。
36:33
ベラが死んで、
ボズラのゼラの子
ヨバブ
がこれに代って王となった。
36:34
ヨバブが死んで、
テマンびとの地の
ホシャム
がこれに代って王となった。
36:35
ホシャムが死んで、
ベダデの子
ハダデ
がこれに代って王となった。
彼は
モアブの野で
ミデアンを撃った者である。
その都の名は
アビテであった。
36:36
ハダデが死んで、
マスレカのサムラ
がこれに代って王となった。
36:37
サムラが死んで
ユフラテ川のほとりにある
レホボテ
の
サウル
がこれに代って王となった。
36:38
サウルが死んで
アクボルの子
バアル・ハナン
がこれに代って王となった。
36:39
アクボルの子
バアル・ハナンが死んで、
ハダル
がこれに代って王となった。
その都の名は
パウ
であった。
その妻の名は
メヘタベル
といって、
メザハブの娘(女)
マテレデの娘(女)であった。
36:40
エサウから出た族長の名は、
その
氏族と
住所と
名に従って言えば
次のとおりである。
すなわち
テムナの族長、
アルワの族長、
エテテの族長、
36:41
アホリバマの族長、
エラの族長、
ピノンの族長、
36:42
ケナズの族長、
テマンの族長、
ミブザルの族長、
36:43
マグデエルの族長、
イラムの族長。
これらは
エドムの族長たちであって、
その領地内の
住所に従っていったものである。
エドムびとの先祖は
エサウである。
ーーーーー
・・・