1571日目・・・七ヶ宿・・・蔵王の麓・・・日下一族・・・蔵王山も火山・・・「読売新聞11月20日(木)11時45分・気象庁は20日、宮城・山形県境にある蔵王山で、19日夜にやや大きな火山性微動が観測されたと発表した。蔵王山は今年夏以降、火山活動の高まりが見られ、同庁で注意を呼びかけている」・・・お袋のオヤジ、ボクのジジィの故郷・・・蔵王麓の「七ヶ宿町(しちかしゅくまち)」・・・「宮城県南西部、刈田郡に位置する町」・町名の由来は羽州街道と奥州街道を結ぶ街道・「山中通小坂越」(山中七ヶ宿街道)沿いの仙台領

 関村、渡瀬村、滑津村、湯原村が合併して「七ヶ宿」村となる・・・
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 明治元年12月7日(1869年1月19日)
 刈田郡磐城国の所属となる
 明治4年11月2日(1871年12月13日)
 平県の所属となる
 1876年(明治9年)8月21日
 宮城県に移管される
 1889年(明治22年)4月1日
 町村制施行に伴い
 関村、渡瀬村、滑津村、湯原村が
 合併して
 七ヶ宿村となる
 1957年(昭和32年)4月1日
 町制施行して
 七ヶ宿町となる
 1991年(平成3年)10月22日
 七ヶ宿ダム竣工。
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 宮城県道51号
 南蔵王
 七ヶ宿線は
 宮城県
 白石市
 同
 刈田郡
 七ヶ宿町を結ぶ主要地方道
 旧称は「七ヶ宿−白石線」
 白石市
 福岡
 八宮地区の三住地内
 国道457号から分岐
 蔵王地内、
 不忘地内、
 七ヶ宿町の
 横川地内を経由したのち、
 七ヶ宿町の中心である
 関集落の東方にて
 国道
 113号に合流
 全線が起伏の激しい蔵王山の中腹を通る
 急坂、急カーブを随所
 閉鎖されないが
 冬季は激烈な雪道へと変貌
  ↓
 江戸時代に
 仙台藩が狩猟場を置いた
 羽州街道
 奥州街道を繋ぐ
 脇往還が存在し
 通行路として非常に重宝された
 沿線の「硯石(すずりいし)」と言う地名は
 源義経主従がこの地を通った伝説にちなむ
 明治時代
 白石市
 山形県上山市の間に
 鉄道を建設する計画が持ち上がったが挫折
 第二次世界大戦の敗戦後
 海外からの引き上げ者の手によって開拓されたが
 居住者は減少
 ほぼ全ての分校が閉鎖され、
 商店すらほとんど存在せず、
 過疎や高齢化にも直面
 地域を担う当道は、
 蔵王山麓を縫う観光道路で
 地域では「生命線」と言える道筋
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  ↓
 安藤太郎(あんどう たろう)
 1910年(明治43年)1月3日〜2010年5月9日)
 住友銀行副頭取、
 住友不動産社長、会長、相談役
  ↓
 安藤源治郎の長男
 宮城県
 刈田郡
 七ヶ宿町
 滑津(なめつ)
 にて出生
 仙台二中、
 旧制水戸高校を経て、
 1934年(昭和9年
 東京帝国大学法科を卒業
 住友銀行へ入行
 住友銀行では、
 東京副支店長、東京事務所次長、
 本店営業部次長、
 銀座・日本橋の各支店長を歴任
 1959年(昭和34)年6月
 東京事務所長、同11月取締役に就任
 1962年(昭和37年)4月に常務へ昇格
 1967年(昭和42年)5月には専務、
 1972年(昭和47年)5月副頭取に就任
 その後
 住友不動産へ転じて
 社長、会長
 2008年(平成20年)6月27日
 取締役を退き、相談役
 2010年5月9日
 老衰の為、逝去
 100歳没
 安藤は常務時代、
 「都銀懇話会」で活躍
   ↓
 安藤太郎の妻
 満寿子は、
 山口県旧家の
 二代目
 百合本安太郎の
 二女
 満寿子の姉
 香代子は
 元
 福岡県弁護士会長の
 白川慎一に、
 妹の
 直子は
 ダイワ精工顧問
 秋庭正義に嫁いでいる。
 秋庭正義の叔父にあたる、
 秋庭義衛の妻
 千重子は、
 旧子爵、第一銀行頭取
 渋沢栄一の孫娘で
 旧子爵、大蔵大臣や貴族院議員、東京市長を歴任した
 阪谷芳郎の四女
 阪谷芳郎の孫娘らを娶っている
 大島寛一(元農中金副総裁)や
 経団連会長
 植村甲午郎の長男
 植村泰恵(東大理学部教授)らは甥
  ↓
 安藤太郎の長姉
 みゆきの女婿、
 安藤秀夫は、
 日本出版販売相談役
 相田岩夫の実弟
 相田岩夫の妻
 静は、
 内閣総理大臣
 濱口雄幸の二女。
 濱口雄幸の長男
 濱口雄彦(元国際電々会長)の二女
 淑は、
 皇后
 美智子の兄である
 正田厳に嫁いでいる・・・
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 ・・・?・・・
 上山市
 楢下
 山形県の南東部、
 蔵王連山から西南西約10km、
 上山盆地の南縁部、
 金山峠から流れ出る
 金山川須川
 合流点に位置
 楢下村の江戸初期は
 最上氏領、
 元和八年(1622)からは
 上山藩
 楢下村は
 羽州街道の宿場
 宿駅が設けられたのは
 慶長七年(1602)
 宝暦七年(1757)
 洪水で全村流出
 新町・下町・横町・上町があり、
 新町は下町から洪水後に移って造った町
 下町が宿の中心で
 本陣・脇本陣が置かれていた
 楢下村は
 出羽国最南端の宿場町
 本陣を世襲した
 斉藤利兵衛家はもと最上氏の家臣
 出羽・陸奥両国の境目預りを勤めた
 羽州街道
 難所の
 金山峠を控え宿泊する旅人が多く、
 20軒余の旅籠屋があり、
 本陣は塩屋、
 脇本陣は滝沢屋・宮地屋と称し、
 庄内屋・秋田屋はそれぞれ
 庄内藩秋田藩の定宿
  ↓
 からめき道
 正保二年(1645)
 楢下村は
 新道として
 「から めき道」をつくった
 明暦二年(1656)
 土岐氏の時代
 「小みね一廻り東方」 に
 新道を付け替えし、
 以来本格的な
 参勤交代 路となり、
 元禄十一年(1698)
 秋田藩
 佐竹氏が峠をさらに改修
 別名
 猿鼻峠、
 楢下峠ともいう・・・
  ↓
 横川堰は、
 宮城県刈田郡
 七ヶ宿町において
 文政五年
 楢下村の
 斎藤七右エ門と
 奈良崎助左エ門が、
 楢下村と牧野原の開墾を目的として
 新堰を開発
  ↓
 金山峠(猿鼻峠)
 峠(標高623m)には旅人の道中の安全を願って
 元禄四年(1698)
 秋田藩
 佐竹氏寄進の
 不動尊や、
 出羽三山詣の行者の宿泊所、茶屋もあった
 秋田藩
 梅津政景は
 元和八年(1622)
 藩主通行の道として
 笹谷峠越えか
 金山峠越えかを選定するために、
 奥州街道
 桑折宿から
 羽州街道
 山形までの道を60間の縄を使って測量
 明暦二年(1656)
 金山峠を改修し、
 出羽諸大名が
 七ヶ宿街道を通行するようになった
 七ヶ宿街道には
 金山・江志・小坂の三峠がある
 金山宿
 徳川家光の時代のころ
 日光東照宮に使用するために
 金を採掘した金鉱跡に由来
 江戸時代は、
 干蒲宿とともに、
 楢下宿と湯原宿の中間にあり、
 あいのしゅく間の宿として
 旅人の休憩所で、
 茶屋はあるが、
 宿泊出きる旅籠はない
  ↓
 沢庵和尚の
 紫衣事件流罪の旅路、
 七ヶ宿街道ごえ
 寛永六年(1629)秋
 江戸より
 小坂峠を越え
 七ヶ宿街道を通り、
 金山峠を越え
 上山に向かった
 沢庵和尚(57歳)
 太田原で
 玉堂宗珀と分かれ
 紫衣事件で罪を負った
 流罪
 出羽の国
 上山の
 春雨庵で生活
 配流赦免は
 寛永九年(1632)
 正月二十四日、
 将軍秀忠死去
 新将軍
 家光に直言した
 柳生宗矩の労による・・・
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 ・・・
 蔵王山
 蔵王権現を山に勧請したことに因む
 (同様に蔵王権現に因む名称として
  金峰山御嶽山(御岳山)がある。)
 宮城県山形県にまたがる奥羽山脈の連山
 日本百名山の一つ
 多くの場合「蔵王山」とはこれ
 他には
 福井県永平寺町にある山
 新潟県村上市にある山
 愛知県田原市にある山
 広島県福山市にある山
  ↓
 蔵王権現(ざおうごんげん)
 日本独自の混淆宗教である修験道の本尊
 正式名称は
 金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)、
 金剛蔵王菩薩(こんごうざおうぼさつ)
 インドに起源を持たない
 日本独自の仏
 奈良県吉野町
 金峯山寺本堂(蔵王堂)の本尊
 「金剛蔵王」とは
 究極不滅の真理を体現し、
 あらゆるものを司る王という意
 権現とは
 「権(かり)の姿で現れた神仏」の意
  仏、菩薩、諸尊、諸天善神、
  天神地祇すべての力を包括している・・・?
   ↓
 「金剛(金剛乗・ヴァジュラヤーナ)」ならば
 「密教の開祖(金剛)」→不空→恵果→空海(眞魚)・・・
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 ・・・・アメリカ「寒波」襲撃、「エぁバック・気膨袋・風占袋」事故・・・?
 ・・・「ロシアで2014年11月14日の18時40分頃、夜空にナニ(隕石?)かが爆発してオレンジの閃光が広がった」・・・
http://rocketnews24.com/2014/11/20/512349/?utm_medium=partner&utm_source=livedoor