1537日目・・・アメ、クモリ、アメ、テンキ・・・北海道の天気ばかりじゃぁナイと思うが「女心と秋の空」・・・「音名(おんな・オンメイ)個比賂(こころ・コヒロ)と亜紀(あき・安芸・亜希・飽・安城・有紀)の蘇等(そら)」・・・随分とアルな、「こころ」の同音異字カンジが・・・

 「おんな
  心
 (ココロ・こころ・シン)
   ↓
  故比
  小衣・紅衣
  心路・茲呂・心露・心彩
  心々桜・恋良・優心
  古今侶・古今呂
  呼々呂・己々露・己呼路
  湖々露
  嘗(ナメル)
  意・試
  巨巨呂
  と
  アキのソラ(素等)」・・・
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 ・・・・花魁・魁罡・マサカリ(戉・鉞)・斧(おの)・ナタ(鉈・屶)・・・以前にも書き込んだが「おの妹子・蘇因高→素因高・素(疎)音考」・・・
 以下は「ウィッキペデア」より参考抜粋・・・
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 小野 妹子(おのの いもこ、6世紀〜7世紀、生没年不詳)は、飛鳥時代の政治、外交家。姓は臣。子に毛人・広人がいた。冠位は大徳冠。 『日本書紀』によると大唐に派遣され、大禮(冠位十二階の位)蘇因高と呼ばれた。
 日本の通説では『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされる。
 近江国
 滋賀郡
 小野村(大津市)の豪族
 春日氏の一族
 小野氏の出身
 系譜は明らかでないが、
 春日仲君(または仲若子)の子とする系図がある。
 一般に流布されている小野氏の系図では、
 妹子を
 敏達天皇の皇子である
 春日皇子の子とする
 「日本書紀・雄略紀」において
 「春日小野臣大樹」との人物が登場し、
 妹子はこの
 大樹の後裔と考えられる・・・
 敏達天皇裔とするのは仮冒
 春日仲君の娘
 老女子が・・・ナゼ「老女子」
 敏達天皇の妃となり
 春日皇子を産んだことから、
 小野氏を
 春日皇子の系統に
 繋いだものと想定されるが、定かではない。
  ↓
 「日本書紀(巻第22)」によれば、
 「十五年…秋七月 戊申朔庚戌
  大禮小野臣妹子遣於大唐
  以
  鞍作福利
  為
  通事」とあり、
 推古天皇十五年(607年)
 鞍作福利らと
 大唐(当時の中国は隋の時代)に渡る。
 推古天皇十六年(608年)に
 裴世清を伴って帰国。
 ただし
 煬帝の返書は帰路に百済において紛失(紛失に関しては古来より議論がある)、
 一時は流刑に処されるが、恩赦されて大徳に昇進。
 翌年には返書と
 裴世清の帰国のため、
 高向玄理
 南淵請安
 旻らと再び派遣された。
  ↓
 「隋書・卷八十一・列傳第四十六
  東夷 俀國」には、
 大業三年(607年)、
 隋の皇帝
 煬帝が激怒したことで有名な
 「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」
 との文言がある。
 「隋書」には国書を持参した者の
 名前の記載はなく、ただ使者とあるのみである。
  ↓
 小野妹子
 「華道の祖」とされることがある
  ↓
 京都市紫雲山頂法寺(本堂の名から通称「六角堂」)の本尊如意輪観音に、頂法寺の本坊にあたる池坊聖徳太子が沐浴した池(泉)にちなんだ名)の僧侶は花を供えていた。
 「池坊の始祖」は
 小野妹子と伝えられることから・・・
  ↓
 コレからも「ニホンショキ」は「見えミエのウソ」だろう・・・「華道の祖」とは「中華どんぶりの素・中華飯・中華鍋」と同類である・・・
 
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 今現在の「香港」は「傘(☂・笠・かさ・サン)革命」らしい・・・傘(☂・笠・かさ・サン)=催涙弾避けの盾で「防御=イージス→Aegis(アイギス)、Egis」・・・昔なら「仕込み杖=剣」か、見えミエの「ゲバ棒」で「攻撃=アタック(attack→中っく・当っく・能っく)」だが、「防御」で「民主」と「自由」は得られるのか?・・・「民主主義=公平な生活」はムリだが、「自由主義=金儲けの選択の自由=アキンド(商人・秋人)」は建前として昔からあった?・・・「天安門」には「カサ」は無かった・・・アンブレラ(行部例良)・パラソル(葉等反る→素留)・・・
  ↓
 雨傘= an umbrella
 日傘= a parasol・a sunshade
 折りたたみ式傘= a folding umbrella
 巻いた傘= a neatly furled umbrella
  ↓
 以前、書き込んだモノだが(2013/06/03)・・・
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 忠洟人民共蛙国?・・・「蘇長和」、「民主主義」が「選挙制度」の「政治屋の選択」だと考えているのはコイツも含めて「勉強」不足であるな。
 変節、回帰、転向、コロビ、分析、文籍、文責放棄、覇権主義者を阿(おもね)る幇間太鼓持ち、ナニを「蘇(よみかえ)らす」つもりなのか?「長(おさ)」の「和(なご)み」。
 ハヤト(薩摩隼人)に、エミシ(陸奥蝦夷)、蘇我の馬子に、蝦夷、入鹿・・・タイカのカイシン、サン民主義・・・
 ナニが「人民・民主主義=独裁」なんだかッ?・・・
 「蘇教授?」は、「中国語の『選挙』の語は、「ellection(選挙)」よりもっと豊富な意味を持つ」・・・「中国で国を治める人は、政策決定の上で『選』も『挙』もしっかりと重んじ」、「特に『挙(キョ・behavior・behaviour・manner・elevation)』の部分だ」・・・
 「挙(キョ)」ですか?・・・
 「子を挙げる」は「母(ボ・はは)ならto bear children」、
 「父(フ・ちち)ならbeget children」、
 「育て上げるの意味ならbring up children・raise up children・rear children」・・・
 「to bear children」、「beget children」ならば「乞うジキ・請うジキ・恋うじき・項ジキ・交ジキ・考ジキ・行ジキ→コジキ(乞食・古事記)」・・・で、
 「bear(負う・負担・支払い・責任・扶養・維持・保持・忍耐・産む・出産)」の名詞、動詞と同じ発音の「lay bare(秘密、本心)を明かす・漏らす、(秘密など)を暴露する・・・ばれる=lay bare」、
 「bear(クマ・熊)
  bear(ベア・アメリカ口語は難問・厄介」で、
 スペルの位置「e」、「a」、「r」が異なる「to b(ビィ=備意・微意)−ear(耳・みみ・ジ)」、「熊本県」、「bear」、「隈(くま)=奥まった所・a corner・a nook・a recess・陰翳=a dark [shady] area [place]・くま(隈)を取る=shade off・grade・〈顔の〉 make up で」・・・
 「beget(こしらえる・生じさせる・生ます・生まさせる・きたす)→be−get」・・・
 「挙(キョ)」の同音異字は、「嘘(キョ)・虚偽→うそ=鷽」っ、パッチ・・・これが「教授」の「理屈のナカミ」とはね・・・
 「挙(キョ)」の類字、類音・・・ケヤキ(欅、学名: Zelkova serrata→ゼルコバ セっラ−タ」・・・「セッラータ=Serrataは、人口911人のイタリア共和国カラブリア州レッジョ・カラブリア県のコムーネの一つ?)」・・・は、ニレ(楡)科ケヤキ(欅)属の落葉高木。ツキ(槻)ともいう・・・イカ(以下)はブログ英和辞典からの例文抜粋で、

 The nuts from the trees such as Mizu-nara (Quercus mongolica var. crispula), Ko-nara (Quercus serrata), walnut, chestnut, and buckeye were actively harvested.

 イカ(異化)はボクの訳デス・・・烏賊の変態色とイカの墨・・・
 「ミズナラ水楢→視ず名等)、コナラ(小楢→呼名等)、クルミ(胡桃→句留視)、クリ(栗=西+木→句理)、トチノキ(栃の木・橡の木→土地の記→風土記←楓=替え出)といった堅果類(ケンカルイ→県下誄・憲化流意・喧嘩涙・懸架流意)」→「堅=カタイ(過怠・下腿・花袋=田山花袋・片意)」、「果物=クダモノ=句拿模埜」の「類=タグイ(多愚意・他具意・太虞威・比)」の「採集=サイシュウ(最終・差異州)」が「盛んに行われた」・・・?
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   挙=擧
      欅(けやき・キョ・コ)=木+擧(與手)
        懸也記・虚 ・拠
 [音]キョ(漢)
 [訓]あげる・あがる・こぞる・高く持ち上げる・
    「挙手」・多くのものの中から取り上げる
    「挙用・科挙(カキョ)・推挙・選挙・枚挙・列挙」
    「事を起こす・起こした事柄」
    「事故」・・・「挙行・挙式・推挙・選挙・ 枚挙・列挙」
    「挙用・列挙」
    「事を起こす・起こした事柄」
    「挙兵・一挙・快挙・義挙・再挙
    「挙人(キョジン)」は
    中国古代の人材登用称号
    「漢では試験で人材を採用、登用は無く、
     郡国の長官が人材を推挙する郷挙里選」が行われ
     郷挙里選での選人者を挙人といった
    「掉挙」
    「掉挙(ジョウコ)」は
    「仏教が教える煩悩のひとつ」
     心が昂ぶり頭に血が上った状態を指し、
     対義語である昏沈(心が深く沈んだ状態)とともに、
     平静な心を失っているための煩悩。
    「掉挙」は「大乗百法明門論」によれば
    「随煩悩位」に分類
    「出挙(スイコ)」は、
     古代〜中世の日本に見られた
     利子付き貸借を指す用語
    「挙国一致内閣」とは、
    「国家の危機や政党内閣の危機に際して、
     対立する政党をも包含して作られた内閣
     「協力内閣」や、「大連立内閣」
    「村山 長挙(むらやま ながたか」
    1894年三月十六日
     〜
    1977年八月七日)
    新聞経営者・元朝日新聞社社長、社主
    社を退社して
    小磯内閣国務大臣
     兼
    情報局総裁
ーー
中華人民共和国公民は、法律に従って納税する義務を負う。
ーーーーー
 ・・・「眠主主義・罠主主義・視無諏主義」である、なッ?・・・