1251日目・・・「め・で・たき・もの」・・・「め=目・眼・芽・雌・痲・女・メ」・・・「で=出・弟・デ」→「て(氐・弖)+〃」、「テ+″」・・・「たき=瀧・滝・多気・多岐・多伎・多紀・タキ」、「炊き・焚き」、「他記・多記・太記」・・・「もの=物・者・モノ」、「摸廼・模埜・裳之・藻之・茂野・母之・喪乃・毛野」・・・「の=ノ」は、「め=の+\」、「ぬ=め+α」、「あ=一+め・の+十」、「お=の+弋」、「ゐ=フ+の+α」などの「原形」に思えるのだが・・・「め」が「女(おんな・おなご)=め=メ」の漢字の「崩(く

 「女=ニョ」ならば「女の印(記=キ・証=あかし)」で、「如印」で「女御・女院」は「如=女+口の印」、「女陰(ほと)」は古語で「外陰部・御陰、陰所、女陰」である・・・「ほと(女陰)に麦」、「次於陰所成藭名、闇山津見藭」、「天服織女見驚而、於梭衝陰上而死」・・・訓の「陰」、上に云うは「富登(ほと・フト・とみのぼる)=美蕃登」・・・「ほと(女陰)に麦(むぎ・バク)が生える」とは・・・「古事記」だが・・・類似は大き目の「二枚貝」だろう・・・
 「バク(獏)」、 実在動物(tapir・Tapirus spp)と、空想動物 (mythological Chinese chimera similar to a tapir, said to devour bad dreams )の、二種類・・・「奇蹄目バク科の哺乳類」、「空想上のバクは身体は熊、鼻は象、目は犀(サイ)に、脚は虎、尾は牛で、人の悪夢を貪り食う」・・・「バグ(Bug)」ならば英語で「虫(成虫)」で、ボクの不具合なコンピュータプログラム・・・
 1916年にウィンクラーH.Winklerが「トマト」と「イヌホオズキ」の間で実験的に作りだした接木体をキメラとヨンだ・・・合体植物・・・?・・・
 ・・・配偶者(オンナ)を得ずして、しかも「オトコ」である「伊邪那伎(岐)命」が自分の「目」と「鼻」から三人の子供を産んだ・・・遺伝子操作のクローン人間は「目の細胞=おんな」か、「鼻の細胞=おとこ」から形成された・・・なぜか、「耳」とか「口」ではない・・・しかも同一性のクローンではない「男女両性」の発生である・・・「陰(ほと)」を有する「大宜津比賣=大氣都比賣=大氣津比賣」は女性だろう・・・?・・・もちろん、「月の女神=月暦の女神」である・・・「都の大氣」と「津(湊・港)の大氣」で、「津の大宜」である・・・「宜(よろしい・むべ・ギ)」と「宣(のべる・のたまう・セン)」は類字するが異なる漢字である、ナッ・・・「本居宣長」君・・・
 宣布・‎宣言・‎宣称・宣告・宣旨・宣告・宣下・宣伝
 機宜・時宜・辞宜・適宜・便宜・宜乎(うべなるかな)、禰宜(ねぎ)坊主・・・
ーー↓古事記字源の「陰=ほと=富登」
 於是、八百萬藭、共議而、於速須佐之男命、負千位置戸、亦、切鬚、及、手足爪、令拔而、藭夜良比、夜良比岐
 又、食物乞、大氣津比賣藭。爾大氣都比賣、自鼻口及尻、種種味物取出而、種種作具而進時、速須佐之男命、立伺其態、爲穢汚而奉進、
 乃、殺、其、大宜津比賣藭。
 故、所殺藭、於身生物者、於頭生蠶、於二目(に)生稻種、於二耳(に)生粟、於鼻生小豆、於「陰(に)生麥」、於尻(に)生大豆。
 故是、藭產巢日御祖命、令取茲、成種。
ーー
 之=の・これ・シ
 乃=の・すなわち・なんじ・ダイ・ナイ
 能=の・あたう・よく・ボウ・ドウ
 野=の・ヤ
 廼=の・すなわち・ダイ・ナイ
 埜=の・ヤ・ショ
ーーー↓
  「埜」の類字は
   梺=麓・ふもと・レイ
   婪=貪・むさぼる・ラン
   梦=夢・ゆめ・ム・ボウ
   梵=ボン・ハン
   焚=たく・ブン・フン
   楚=いばら・しもと・ソ・ショ
   禁=とどめる・キン・コン
   樷=むらがる・ソウ
   林を含む類字は
   歴=磿
   暦=こよみ
   麿=まろ
   磨=みがく・とぐ・マ・バ
   靡=なびく・ビ・ミ・・・隋書俀人伝・邪靡堆国
   縻=きづな・つなぐ・ビ・ミ
   糜=かゆ・ただれる・ビ・ミ
   魔=おに・マ・バ
     鬼+麻、
     「麻(あさ)」はしびれ(麻痺)させる効能
      シビレさせ、正気でなくさせる「鬼=霊魂」
      サンスクリット語のマーラの音訳
      魔羅(まら)の省略語
      仏道の修行や人が行う善事を妨害する者
      欲界の衆生の一
      第六天の
      他化自在天に魔王
      魔王
      波旬が娘を派遣して
      釈迦の心を乱そうとした
      睡魔などの十二の軍勢を送った
      仏教の修行者の煩悩の元は
      陰茎(マラ)・・・男根の隠語・・・
      排泄を意味する
      古語動詞「まる」が名詞化したものとの説・・・
      もあるらしい・・・
ーー↓
 然後、還坐之時、
 生
 吉備兒嶋。亦名謂、建日方別。
 次生
 小豆嶋。亦名謂、大野手上比賣。
 次生
 大嶋。亦名謂、大多麻上流別。
 自多至流以音。音→タマジョウリュウ
          たまうるわけ
 次生
 女嶋。亦名謂、天一根。
 訓天如天→訓→あま・あめ・テン
 次生
 知訶嶋。亦名謂、天之忍男。
 次生
 兩兒嶋。亦名謂、天兩屋。
 自、吉備兒嶋至天兩屋嶋
 幷、六嶋。
 既生國竟、更生藭。
 故、
 生藭名、
 大事忍男藭。
 次生
 石土毘古藭、
 訓石云伊波→訓はいわ・いは
 亦毘古二字以音→音はビコ
 下效此也。
 次生
 石巢比賣藭、
 次生
 大戸日別藭、
 次生
 天之吹上男藭、
 次生
 大屋毘古藭、
 次生
 風木津別之忍男藭、
 訓風云加邪→訓はカゼ
 訓木以音→音はボク・モク
 次生
 海藭、名、大綿津見藭、
 次生
 水戸藭、名速秋津日子藭、
 次妹
 速秋津比賣藭。
 自、大事忍男藭、至、秋津比賣藭、
 幷十藭。
 此
 速秋津日子、速秋津比賣二藭、
 因
 河海持別而、
 生藭名、
 沫那藝藭、
 那藝二字以音→音はナゲ・ナギ・ナゲイ
 下效此。
 次
 沫那美藭、
 那美二字以音→音はナミ
 下效此。
 次
 頰那藝藭、
 次
 頰那美藭、
 次
 天之水分藭、
 訓分云久麻理→訓はクマリ
        クマリ(Kumari Devi)は
        ネパールの生き女神
        密教女神ヴァジラ・デーヴィー、
        ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、
        ネパール王国の守護神である
        女神タレジュやアルナプルナの生まれ変わり
       「天之水分」の文字から「水分」なら
       「曇り」で「くまる」だろう・・・
       「くばる(配る)」の古形とあるが、
       「くまる」は「タングル・tangle」である
        北海道では髪の毛や毛糸、縫い糸が
       「絡まる・縺れる」である
        絡まったモノを「ほぐす(解す)」と云う 
 下效此。
 次
 國之水分藭、
 次
 天之久比奢母智藭、
 自久以下五字以音→音はキュウヒシャモチ
            クヒシャモチ
            旧(句)杓文字            
       奢=シャ.おごる・おごり
         奢侈(シャシ)
 下效此。
 次
 國之久比奢母智藭。
 自、沫那藝藭、至、國之久比奢母智藭、
 幷八藭。

 次生
 風藭、
 名
 志那都比古藭、
 此藭名以音→音はシナトヒコ
 次生
 木藭、
 名
 久久能智藭、
 此藭名以音→音はククノウチ
         キュウキュウノウチ
 次生
 山藭、
 名
 大山上津見藭、
 次生
 野藭、
 名
 鹿屋野比賣藭。
 亦名
 謂
 野椎藭。
 自
 志那都比古藭
 至
 野椎、
 幷四藭。

 此
 大山津見藭、
 野椎藭二藭、
 因
 山野
 持別而、
 生藭
 名、
 天之狹土藭、
 訓土云豆知→訓はトチ・ツチ・まめしる
 下效此。
 次
 國之狹土藭、
 次
 天之狹霧藭、
 次
 國之狹霧藭、
 次
 天之闇戸藭、
 次
 國之闇戸藭、
 次
 大戸惑子藭、
 訓惑云麻刀比→訓はマドヒ
 下效此。
 次
 大戸惑女藭。
 自
 天之狹土藭
 至
 大戸惑女藭、
 幷八藭也。

 次生
 藭名、
 鳥之石楠船藭、
 亦名謂
 天鳥船。
 次生
 大宜都比賣藭。
 此藭名以音。音はダイギトヒバイ
         タイギトヒバイ
 次生
 火之夜藝速男藭。
 夜藝二字以音→音はヤゲイ
 亦名謂
 火之荽毘古藭、
 亦名謂
 火之迦具土藭。
 迦具二字以音→音はカグ
 因
 生
 此子、
 美蕃登
 此三字以音→ミバントウ
       ビハントウ
 見炙
 而
 病
 臥在。
 多具理邇
 此四字以音→音はタグリジ
 生藭名、
 金山毘古藭、
 訓金云迦那→訓はカナ
 下效此。
 次
 金山毘賣藭。
 次
 於
 屎成
 藭名、
 波邇夜須毘古藭、
 此藭名以音→音はハジ(ニ)ヤスビコ
 次
 波邇夜須毘賣藭。
 此藭名亦以音。
 次
 於
 尿成
 藭名、
 彌都波能賣藭、
 次
 和久產巢日藭。
 此藭之子、
 謂
 豐宇氣毘賣藭。
 自宇以下四字以音→ウキビバイシン
          ウケビバイ
 故、
 伊邪那美
 者、
 因
 生火藭、
 遂
 藭避坐也。
 自
 天鳥船
 至
 豐宇氣毘賣藭、
 幷八藭。
ーー↓
 凡
 伊邪那岐、・・・「イザナギ」→岐→伎=技
 伊邪那美・・・・「イザナミ
 二藭、
 共
 所生
 ↓
 嶋
 壹拾肆嶋、・・・14嶋
 藭
 參拾伍藭。・・・35神
       合計49神=7×7
 是
 伊邪那美藭、
 未
 藭避・・・神避(かむさる)・シンヒ
      回神避身・・・?
      降りかかる危険を躱すことに全てを費やした能力
      危機を避ける時のみ神がかった身体能力、
      反射神経、動体視力、反応速度、
      先読み能力を発揮する。
      爆転や側転等の回転運動を行っている間のみ、
      あらゆるダメージを受けない。
      尖っているのは回避に必要な俊敏性だけで
      足の速さや跳躍力は運動のできる一般人程度。
     「避」=さける・よける・ヒ
         災いや難儀をこうむらないようにする
         断る・辞退する
         避暑・避難・避妊・回避・
         忌避・待避・退避・逃避・不可避
      避病院・・・虎列刺病(コレラ)予防の隔離病院
      1886年11月
      東京府の本所・駒込・大久保の3病院
      明治時代に造られた日本の伝染病専門病院
      昭和期では「隔離病舎」
     「伝染病院」・「感染症指定医療機関
ーー↓
 以前
 所生。
 ↓
 数に入れない嶋
 ↓
 唯
 意能碁呂嶋者、・・・オノゴロ嶋
        意能碁呂嶋=イノウゴロトウ
            伊能 語呂等(問)

            伊能 忠敬
ーーーーーーーーーーーー↓
   伊能忠敬(いのう ただたか)=神保三治郎
   延享二年一月十一日(1745年2月11日)
    〜
   文化十五年四月十三日(1818年5月17日)
   神保貞恒の
   次男として・・・?・・・三人「兄姉弟」の末っ子
   上総国
   山辺
   小関村(千葉県山武郡九十九里町小関)の
   名主
   小関五郎左衛門家で生まれる
   ↓
   神保貞恒(父親)は
   小関五郎左衛門の娘(母親・みね)の
   婿養子で母親(みね)が死亡後
   父親は実家の
   武射郡
   小堤村の神保家に戻る
   ↓
   その後父親に引き取られ
   小関三治郎から
   神保三治郎になる 
   幼名は三治郎
   16歳に
   佐忠太と名乗る
   通称は三郎右衛門、勘解由(かげゆ)
   宝暦十二年(1762年)
   十八歳
   多古町南中(香取郡南中村)の
   平山藤左衛門の目に留まり、
   佐忠太は、一旦
   平山藤左衛門の養子となり、
   下総国
   香取郡
   佐原村の
   酒造業の
   伊能家の娘「達(みち)」と結婚
  「達(みち)」は先夫
   景茂と死別し、24歳の再婚
   ↓
   伊能三郎右衛門忠敬
   天明三年(1783年)
   浅間山の大噴火
   大雨による利根川氾濫
   「天明の大飢饉」へと
   45歳
   二番目の妻
  「信(のぶ)」は難産で死没
   ↓
   50歳
   忠敬は家督を長子
   景敬に譲る
   寛政九年(1797年)には、
   子午線経過の白昼の金星を観測
   寛政十二年(1800年)
   五十六歳
   忠敬の子の
   秀蔵も随伴し
   第一次測量を蝦夷地(北海道)から開始
    〜
   文化十三年(1816年)まで、
   足かけ
   十七年をかけて全国を測量し
   文政四年(1821年)没後
   「大日本沿海輿地全図」完成し、
   その三ヶ月後に喪を公表された
   明治十六年(1883年)贈正四位
ーー↓
 古事記原文の「二行の割注」記事の
 「姪子」
  と、「古事記原文」の前文にある
 「水蛭子」は「文字」が異なっている
  ↓
 是伊邪那美藭、未藭避以前所生。
 唯意能碁呂嶋者、非所生。
 亦
 姪子・・・・・・・・・水蛭子↓
 與淡嶋、不入子之例也。
ーー↓  
 者、
 非所生。
 亦
 姪子・・・?・・水蛭子
    興而生子、水蛭子。此子者入葦船而流去。
    次生淡嶋。是亦不入子之例。
         蛭(ひる・シツ・テツ)子
         蒜(ひる・のびる・サン)子
         ↓↑
         姪(めい・テツ・デチ)子
         ?↓ 誤字か?意図的か?
         ヒルコ→「姪孫(テッソン)」
         姪=女+至(一ム十一)
         姪(めい・テツ・デチ)の子
         傍系三親等の親族で、
         兄弟姉妹の
         娘を指す
 與(と・ヨ・与)
 淡嶋、・・・・・アワ嶋→「淡(あわい・タン)」嶋
 ↓↑      タントウ→担当・丹等・単等・反等
 不入
 子
 之
 例也。
ーー↓
 於是
 洗
 左御目時、
 所成
 藭名、
 天照大御藭。
 次洗
 右御目時、
 所成
 藭名、
 月讀命。
 次洗
 御鼻時、
 所成
 藭名、
 建速須佐之男命
 須佐二字以音→音はスサ

 右件
 八十禍津日藭
 以下、
 速須佐之男命以前、
 十四柱藭者、
 因
 滌御身所
 生者也。

 此時
 伊邪那伎命、大歡喜詔、吾者生生子而、
 於生終得
 三貴子
 卽其
 御頸珠之玉虬
 母由良邇
 此四字以音→音はボユウラジ(リョウニ)
 下效此。・・・「效」=学ぶ・倣う・真似る・則る
           致す・授ける・呈する
           発揮する・現す・効き目
           いさおし
          「効」は俗字で、正字は「效」
          「説文解字・巻三」に
          「象るなり」とある
           校と通じて、「試す」
    下效此→下は此れに
        效(ならう・まねる・したがう)の意味?
        効(效)験あらたか・効き目・効力
        甲斐は文字道理の「甲+斐」
        甲=木星・歳星→差異性→太歳星→対歳星
        斐=非+文=ヒ・うつくしい・あや
                あきらか・なびく(靡)
          文に非ず→情景・状景→音声・音楽
ーー↓
 取由良迦志而、
 賜
 天照大御藭
 而詔之、
 汝命者、所知
 高天原矣、
 事依而賜也。
 故、
 其
 御頸珠名、
 謂
 御倉板擧之藭。
 訓板擧云多那→訓はタナ
 次詔
 月讀命、
 汝命者、
 所知
 夜之食國矣、
 事依也。
 訓食云袁須→訓はオス
 次詔
 建速須佐之男命
 汝命者、
 所知
 海原矣、
 事依也。
ーー↓
 故、
 各
 隨
 依
 賜之命、
 所知
 看之中、
 速須佐之男命、
 不知所
 命之國而、
 八拳須至于心前、
 啼
 伊佐知伎也。
 自伊下四字以音。→音はサチキヤ
 下效此。
 其泣狀者、
 青山
 如
 枯
 山
 泣
 枯、
 河海者
 悉泣乾。
 是以
 惡藭
 之
 音、
 如
 狹蠅
 皆滿、
 萬物之
 妖悉發。
 故、
 伊邪那岐
 大御藭、
 詔
 速須佐之男命、
 何由以、
 汝
 不治
 所事
 依
 之
 國而、・・・語句字
 哭
 伊佐知流。
 爾答白、
 僕者欲
 罷
 妣國根之堅洲國。
 故哭。
 爾
 伊邪那岐
 大御藭
 大忿怒
 詔、
 然者
 汝
 不可住
 此國、
 乃
 藭
 夜良比爾
 夜良比
 賜也。
 自夜以下七字以音→音はヤラヒニ(ジ)、ヤラヒ
 故、其
 伊邪那岐
 大藭者、
 坐
 淡海
 之
 多賀
 也。
ーーーーー
 枕草子
 (一四五段)・・・百四十五段・壱佰四拾五段・壱四五段・陌肆足伍段
          1+4+5=10=十=拾=足
          1×4×5=20=二十=弐拾=念

 なほ(猶)・・・なほ・名捕・拿保
         尚・直・奈央・奈緒
 世に・・・・・「与・代・予・預
         豫・輿・余・夜・譽」爾
 めで・・・・・・目出・眼で・芽出・愛で
 たき・・・・・・多紀・瀧・滝・多岐・多気・多伎
         炊き・焚き
         他記・多紀
 もの・・・
 臨時の・・・・・臨字之
         綸旨(リンジ)
         ↓
         蔵人が天皇の意を受けて発給する命令文書
        「綸言の旨」の略
         天皇の口宣を元にして蔵人が作成
         発給した公文書の要素を持った奉書
        「りんし」とも
         天子などの命令・また、その内容
         綸命
         料紙は
         薄墨色の宿紙(シュクシ)を用いた
         礼記(ライキ)に
        〈王言如糸,其出如綸,王言如綸,其出如綍〉
         に由来・天子の言葉を綸言という
         平安時代中期以後は天皇の口宣を元にして
         蔵人が作成・発給した公文書
         その内容を綸命(リンメイ)という
        「宣旨」より手続きが簡略
        「天皇の命の主旨」を書いて蔵人がの名義で発行
         宣旨・院宣・令旨
ーー↓
 祭の・・・・・・まつりの・真通理之
 御前・・・・・・おんまえ・音真得・ゴゼン・語膳・語全
 ばかりの・・・・秤之
 事は、・・・・・言葉
 何事・・・・・・何字
 にか・・・・・・似化
 あらん。・・・
 試樂も・・・・・シヤクも・詞訳摸・史訳模
 いと・・・・・・意図
 をかし。・・・・可笑し・おかし・犯し
         御菓子
         音可視・音歌詞
         冒し・犯し

 春は空のけしきのどかにて、
 (ハルはアキの景色、ノドカ→長閑→咽喉禍)
 うらうらとあるに、
 (裏、裏、賭、有る爾)
 清涼殿の御前の庭に、
 (声量伝之、音全之、似話、爾)
 掃部司のたたみ(畳)どもを敷きて、
ーー↓
 「かもんりょう(掃部寮)」、
 「掃司(ソウシ) 」に同じ
  内掃部司
  ↓
 律令制で、
 宮内省に属し、
 宮中の→みやなか→天文学の十二宮
     視や名化
     キュウチュウ
     旧中・・・・旧事記→クジキ→挫き
     九中・・・・九州の中
     句注(註)・日本書記の注
     九柱・・・・柱は子供の数
 ↓
 五音音階の宮
 ↓
 宮(きゅう)=ド(Do)
 商(しょう)=レ(Re)
 角(かく)=ミ(Mi)
   中国伝統音楽には
  「ファ」に相当する音がない
 徴(ち)=ソ(Sol)
 羽(う)=ラ(La)
 ↓
 後に変宮(宮の低半音)と
 変徴(徴の低半音)が加えられ、
 七声または七音とされた
 ↓
 音階、音声の象徴的身分
 宮=君主
 商=臣下
 角=民
 徴=事
 羽=物
 ↓
 実際の中国音楽
 音高は十二律によって確定され
 理論上、各十二律で、
 五声の各音すべてを確定可能
 五声では六十宮調
 七声では八十四宮調
 宮を主音とする
 調式を「宮」
 その他の各音を主音とする
 調式を「調」と呼んだ
 八十四調式は十二宮七十二調、
 合わせて
 八十四宮調
 ↓
 燕楽では七宮二十一調
 北曲では六宮十一調
 南曲では五宮八調のみが使われた
ーー↓
 掃部司は 
 調度品の
 調達、
 管理の役所
 弘仁十一年(820)
 大蔵省掃部司(かもんづかさ)と
合併し
 掃部寮(かもんりょう)となった
 ↓
 「うちのかにもりのつかさ」
 伴部の掃部が付属して
 清掃・設営にあたった
 官司に配属される
 駆使丁が
 80人が配属され実務
 大蔵省掃部司と
 宮内省内掃部司が
統合されて成立
 掃部司(ソウブシ・かにもりのつかさ)
 職掌朝廷行事の
 設営業務、清掃業務をおこなった
 内掃部司
 (ナイソウブシ・うちのかにもりのつかさ)
 職掌宮中行事の設営業務と清掃業務を担当
 調度品の調達・管理をつかさどった役所
ーー↓
 使は北おもてに、
 (北=背)
 舞人は御前のかたに、
 (トウジン→唐人・問う事務・問う寺務
  まいびと→毎人・真意備賭)
 これらは僻事にもあらん。
      ↓
 (僻事=間違い・誤り・過ち
 「ひがこと」・・・道理や事実に合わないこと・
  道理にはずれたこと・よこしまなこと・ひがごと)
 衝重どもとりて前ごとに居ゑわたし、
 (衝=ショウ・つく・・・衝突・衝撃
  ↓
 「opposition」は、
 位置天文学
 占星術において、
 ある観測点(地球)から太陽系天体を見た時に、
 その天体が太陽と正反対の位置にある状態
 地球から見たその天体と太陽の黄経の差が
 180度となる瞬間点
 要所・重要な立場
 必ず通る道や地点・要所
 大事な任務
 惑星,小惑星,すい星,月が,
 地球から見て太陽と正反対の方向に見えるとき
 太陽とそれらの天体の
 視黄経の差が
 180゜になった瞬間で
 内惑星には衝は存在しない
 重=ジュウ・チョウ・かさななる・え・おもい)
ーー↓
 陪從もその日は御前に出で入るぞかし。
 (陪從=バイジュウ・ベイジュウ・みとものかみ)
 公卿殿上人は、
 (「苦行・公暁・九行」、伝承比渡葉)
 かはるがはる盃とりて、
 (変わる、臥割る、葉意採りて)
 はて・・・葉出
 には・・・爾葉
 やく・・・訳
 が・・・・臥・画・賀
 ひと・・・比渡
 いふ・・・意附
 物、・・・モノ
 男などのせんだにうたてあるを、
 (おとこ→音故
  等之
  せんだに→撰拿似
  うたて=失望する・嫌だ・情けない・気にくわない)
 御前に女ぞ出でて取りける、
 (音潜・音名)
 思ひかけず人やあらんとも知らぬに、
 (重意懸けず、比渡)
 火燒屋よりさし出でて、
 (「歌唱・仮称・寡少・嘉承・迦葉」也)
 多く取らんと騒ぐものは、
 (太句・緒補句・於保句)
 なかなかうちこぼしてあつかふ程に、
 (名化・納掛)
 かろらかにふと取り出でぬるものには遲れて、
 (化賂等掛爾、附賭→太)
 かしこき納殿に、
 (納殿→納伝→能生伝)
 火燒屋をして、
 (「歌唱・仮称・寡少・嘉承・迦葉」也)
 取り入るるこそ
 をかしけれ。
 (オカシけれ)
 掃部司のものども、
 (創部詞・双節・想武史)
 たたみとるやおそきと、
 (多々見取る也、遅き→晩き・於蘇記)
 主殿司の官人ども、
 (主伝史)
 手ごとに箒とり、
 (出言爾、箒→「放棄・法規・蜂起」賭理)
 すなごならす。
 (素名語納等諏・砂子鳴らす)

 承香殿の前のほどに、
 笛を吹きたて、
 拍子うちて遊ぶを、
 疾く出でこなんと待つに、
 有度濱うたひて、
 竹のませのもとに歩み出でて、
 御琴うちたる程など、
 いかにせんとぞ覺ゆるや。
 一の舞のいとうるはしく袖をあはせて、
 二人はしり出でて、
 西に向ひて立ちぬ。
 つぎつぎ出づるに、
 足踏を拍子に合せては、
 半臂の緒つくろひ、
 冠袍の領などつくろひて、
 あやもなきこま山などうたひて舞ひ立ちたるは、
 すべていみじくめでたし。
 大比禮など舞ふは、
 日一日見るとも飽くまじきを、
 終てぬるこそいと口惜しけれど、
 又あるべしと思ふはたのもしきに、
 御琴かきかへして、
 このたびやがて竹の後から舞ひ出でて、
 ぬぎ垂れつるさまどものなまめかしさは、
 いみじくこそあれ。
 掻練の下襲など亂れあひて、
 こなたかなたにわたりなどしたる、
 いで更にいへば世の常なり。
 このたびは又もあるまじければにや、
 いみじくこそ終てなん事は口惜しけれ。
 上達部なども、
 つづきて出で給ひぬれば、
 いとさうざうしう口をしきに、
 賀茂の臨時の祭は、
 還立の御神樂などにこそなぐさめらるれ。
 庭燎の烟の細うのぼりたるに、
 神樂の笛のおもしろうわななき、
 ほそう吹きすましたるに、
 歌の聲もいとあはれに、
 いみじくおもしろく、
 寒くさえ氷りて、
 うちたるきぬもいとつめたう、
 扇もたる手のひゆるもおぼえず。
 才の男ども召して飛びきたるも、
 人長の心よげさなどこそいみじけれ。
 里なる時は、
 唯渡るを見るに、
 飽かねば、
 御社まで行きて見るをりもあり。
 大なる木のもとに車たてたれば、
 松の烟たなびきて、
 火のかげに半臂の緒、
 きぬのつやも、
 晝よりはこよなく勝りて見ゆる。
 橋の板を踏みならしつつ、
 聲合せて舞ふ程もいとをかしきに、
 水の流るる音、
 笛の聲などの合ひたるは、
 實に神も嬉しとおぼしめすらんかし。
 少將といひける人の、
 年ごとに舞人にて、
 めでたきものに思ひしみけるに、
 なくなりて、
 上の御社の一の橋のもとにあなるを聞けば、
 ゆゆしう、
 せちに物おもひいれじと思へど、
 猶このめでたき事をこそ、
 更にえ思ひすつまじけれ。
 「八幡の臨時の祭の名殘こそいとつれづれなれ。
  などてかへりて又舞ふわざをせざりけん、
  さらばをかしからまし。
  禄を得て後よりまかづるこそ口惜しけれ」
 などいふを、
 うへの御前に聞し召して、
 「明日かへりたらん、
  めして舞はせん」
 など仰せらるる。
 「實にやさふらふらん、
  さらばいかにめでたからん」
 など申す。
 うれしがりて、
 宮の御前にも、
 「猶それまはせさせ給へ」
 と集りて申しまどひしかば、
 そのたびかへりて舞ひしは、
 嬉しかりしものかな。
 さしもや有らざらんと打ちたゆみつるに、
 舞人前に召すを聞きつけたる心地、
 物にあたるばかり騒ぐもいと物ぐるほしく、
 下にある人々まどひのぼるさまこそ、
 人の從者、
 殿上人などの見るらんも知らず、
 裳を頭にうちかづきてのぼるを、
 笑ふもことわりなり。
ーーーーー
 ・・・