1229日目・・・あはれなるもの・・・って?・・・ナニ?・・・「主観的な感情」・・・「シャボン玉」、「アブク」・・・「泡(あわ)」、「沫」、「粟」、「安房」、「阿波」・・・「ア割れ」、「蛙話例」・・・地名の「安和(あわ)」の漢字には、土佐高知県須崎市「安和(あわ)」、沖縄県名護市「安和(あわ)」もあれば「安陪(あぶ)」もある・・・以前にも書き込んだが「安和(あんな)」は、日本元号・・・「康保」の後、「天禄」の前。「968年から970年」までの期間、「968年(康保五)八月十三日」改元。時代の天皇は「冷泉

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 安和元年(968年)
 八月、京辺の山野の盗賊を追補する。
 安和二年(969年)
 三月、安和の変により、
 左大臣
 源高明大宰権帥に左遷され、
 これにより
 藤原氏の圧倒的支配体制が整う
ーー事件
 安和二年(969年)三月二十五日
 左馬助
 源満仲
 前武蔵介
 藤原善時が
 vs
 中務少輔
 橘繁延と
 左兵衛大尉
 源連の
 謀反を密告
 関白
 藤原実頼
 橘繁延と僧・蓮茂を捕らえて訊問
 検非違使
 源満季(満仲の弟)が
 前相模介
 藤原千晴藤原秀郷の子)と、
 その子
 久頼を一味として捕らえて禁獄
 左大臣
 源高明が謀反に加担していたとされ、
 太宰員外権帥に
 左遷、九州へ流された
 橘繁延は土佐、
 蓮茂は佐渡
 藤原千晴隠岐に流刑
 一年後に「源高明」は京に戻った・・・
ーー
 ・・・「あんなぁ」は問いかけの前置きのコトバで、「あんなぁ、アレ、ナンだった?」、「あれだよ、あれ、アレ」・・・「話し手も聞き手も共に知っている人や事物の状態を話すさま」・・・事件、事態、状態の程度の強調で「あんなに酷いとはネッ」。「あんなもんだろう」・・・「アワレだな」・・・「アワの例」とは幕末明治に起こった事件の重なり・・・
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 枕草子
 (一二三段)・・・百二十三段・壱佰弐拾参段・陌百念参段・壱弐参段
          1+2+3=6=六=陸
          1×2×3=6=六=陸

 あはれなるもの
 孝ある人の子。・・・・孝明天皇(幼称は煕宮・諱は統仁)
            木戸孝允桂小五郎
 鹿の音。・・・・・・・史家の子・詩歌の音・歯牙の根
 よき男の
 わかきが
 御嶽精進・・・・・・・みたけそうじ・オンゴクショウジン
            ↓
            吉野の金峰山に参詣しようとする者が
            参詣に先立つ前行として
            五十日から100日の間
            写経などをすること
            ↓
            オンゴクショウジン
            音 語句  生じん
            遠 国   招じん
            オンゴクセイシン
            恩 国 精 神(政審・誠心・清真)
            怨 国 西 進(誠真・清新・生新)  
 し
 たる。
 へだて・・・・・・・
 居て
 うち
 おこなひ・・・・・・
 たる
 曉の・・・・・・・・あかつきの・亜化通紀之
 ぬか・・・・・・・・ぬか・額=ひたい・ぬかずくこと・礼拝
           糠・濡化・抜かる→漬かる・浸かる
 いみじう・・・・・・意味字得
 あはれ・・・・・・・蛙葉例
 なり。・・・・・・・名理
 むつ・・・・・・・・陸奥
           睦
           明治天皇(第122代天皇
           諱は睦仁
           御称号は祐宮
           お印は、永
           明治大帝・明治聖帝
           睦仁大帝
           とも称された
 ましき・・・・・・・真史記・真識・真死期
 人などの・・・・・・
 目・・・・・・・・・
 さまして・・・・・・
 聞くらん・・・・・・
 思ひやり、・・・・・
 まうづる・・・・・・真得事留
 程の
 ありさま、
 いか
 な
 らんと
 つつしみ
 たるに、
 平に
 まうで
 つき
 たる
 こそ
 いと
 めでた
 けれ。
 烏帽子の・・・・・えぼし・得模詞・獲母子・重墓誌
 さまなどぞ
 少し
 人
 わろき。
 なほ
 いみじき・・・・・意味事紀・意味時期
 人と
 聞ゆれど、
 こよなく
 やつれて
 まうづと
 こそは
 知りたる
 に、
 右衞
 門
 佐
 信賢は
 「あぢきなき
  こと
  なり。
  ただ
  清き
  衣を
  著て
  まう
  でんに、
  なでふ
  事か
  あらん、
  必
  よも
  あしく
  て
  よ
  と、
  御嶽
  のたまはじ」
 とて、
 三月
 晦日に、
 紫の
 いと
 濃き
 指貫、
 しろき、
 青山吹の
 いみじく
 おどろ
 おどろ
 しき
 など
 にて、
 隆光が
 主殿亮
 なるは、
 青色の
 紅の衣、
 摺り
 もどろ
 かし
 たる
 水干袴
 にて、
 うち
 つづき
 詣で
 たり
 けるに、
 歸る
 人も
 まうづる
 人も、
 珍しく
 怪しき
 事に、
 「すべて
  この
  山道に、
  かかる
  姿の
  人
  見え
  ざりつ」
 と
 あさまし
 がりしを、
 四月
 晦日
 歸りて、
 六月
 十餘日の
 程に、
 筑前
 守
 うせに
 し
 かはりに
 なりに
 し
 こそ、
 實に
 いひけんに
 違はず
 も
 と
 聞え
 しか。
 これは
 あはれなる
 事
 には
 あらね
 ども、
 御嶽の
 ついで
 なり。
 九月
 三十日、
 十月
 一日の
 程に、
 唯
 あるか
 なきかに
 聞き
 つけたる
 蟋蟀の
 聲。
 鷄の
 子
 いだきて
 伏したる。
 秋
 深き
 庭の
 淺茅に、
 露の
 いろいろ
 玉の
 やうにて
 光り
 たる。
 川竹の
 風に
 吹かれ
 たる
 夕ぐれ。
 曉に
 目覺し
 たる
 夜
 なども。
 すべて
 思ひ
 かはし
 たる
 若き
 人の
 中に、
 せく
 かた
 ありて
 心
 にしも
ーー
   に
   し
   も
ーー
 任せぬ。
 山里の
 雪。
 男も
 女も
 清げなるが
 黒き
 衣
 著
 たる。
 二十日
 六七日
 ばかりの
 曉に、
 物語
 して
 居明して
 見れば、
 あるか
 なきか
 に
 心細げなる
 月の、
 山の
 端
 近く
 見え
 たる
 こそ
 いと
 あはれなれ。
 秋の野。
 年
 うち
 過し
 たる
 僧たちの
 行し
 たる。
 荒れ
 たる
 家に
 葎は
 ひかかり、
 蓬など
 高く
 生ひたる
 庭に、
 月の
 隈なく
 明き。
 いと
 荒うは
 あらぬ
 風の
 吹き
 たる。
ーーーーー
 ・・・