1145日目・・・三井炭鉱の西芦別・・・「参拾八・三十八・参八・参足捌」の「段→譚→石の炭」・・・ヤマの西芦別・・・「芦別(アシベツ)」の語源はアイヌ語の「アシペッ(aspet 灌木の川)」、芦別川上流の「三段滝」に由来という説の二つがある・・・北海道が出版した「アイヌ語地名リスト」には、「立つ川」と「低木の中を流れる川」と二つの説が併記されている・・・らしい・・・

アイヌ語辞典
 「アイヌ語」の「音」でとれば・・・
 アシ=降る(風などが吹く意味もある)
 アシ=立つ・立っている
 アシ=大きくなる
 アシカイクル=上手な人
 アシキペッ=指・手足
 アシク=5・5つ
 アシクネプ=5・5つ
 アシケペッ=指
 アシケペチ=足の指
 だが、日本語の「三段滝」の意味説明に「アシベツ」が繋がらない・・・
 「レプ=三個・レ=三つの」の意味だとすると「瀧・滝」はなにか・・・「落ちる水(アイヌ語では pe 水)」、「滝川」は「滝がごちゃごちゃ散らばって落ちる。アイヌ語で『ソー・ラ・ブチ』」らしいが、「タキカワ」の音と重ならない・・・「プッ=支流が本流に出会うところ、川口、河口」、「ペッ=川」、「サプ=川へ降りていく・下る」・・・「アシ=大きくなる+ペッ=川」・・・「足・葦・蘆・芦・脚・肢」の「ヨシ、アシを別ける」である・・・
 「三段」は・・・「三→川=ベッ」で、「三」の漢字を縦に書いた字が「川」である・・・「ワッカ=水」・・・「倭通化・和通化」・・・「話を通して掛ける・・・「足尾銅山」とは捌だが、危険は踏まえる」・・・
 エコイポクン=西へ
 エコイカウン=東へ
 エコイトゥパ=ほしがる・物
 エコテ=〜で死ぬ・・・
 アイヌ語で「古事記」をヨム?・・・材料・・・ヨンだのは「松浦武四郎」・・・これを踏まえた明治以後・・・「安藤昌益」の系譜・・・?
 「イ=私・我々」、「イタク=はなす」、「イマカケワ=それから」、「イマキ=歯」、「イマキパラ=エゾスカシユリの鱗茎」、「イマク=歯」、「イマクコトゥク=サイハイランの塊茎」、「イミレ=着せる」・・・
 「ウ=互いに」、「ウコヌカラ=比べる・比較する」、「ウコラチ=似たりよったり」、「ウサ=〜も」、「ウサッ=おき(火のついている炭)」、「ウサラ=下座・戸口の前あたり」、「ウシ=〜する所(決められた場所の意味)」、「ウシ=(靴など)をはく」、「ウシ=〜につく・〜に生える・〜についている・〜に生えている」、「ウタサ=順番に」、「ウタシパ=相互に・おたがいに」、「ウタリ=仲間・団体・親戚」、「ウタル=〜ども・〜達・人々」・・・、
 「エルムコイキ=猫」、「エルムン=ネズミ(鼠)」、
 「カ=〜の上」、「カ=〜も」、「カ=糸」、「カイ=〜も・〜へ・〜か、〜」、「カイクマ=エゾ野うさぎ」、「カニ=金属」、「カム=肉」、「サラリプカラ=編み袋を作る」、「カラ=(ふた)をする」、「カリ=〜から・〜を通って」、「カル=〜をつくる・〜をする・〜を治す」、「カル=鍋に蓋をする」、「カン=〜をつくる・〜をする」、
 「キ=する・して・〜をする・そうして」、「キ=帯を解く」、「キクキク=〜をたたく・〜を叩く」、「キムン=山の」、
 「サル=カヤ・葦(葦の生えている湿地帯も指す)」、「ケマハ=足」、「シ=本当の・主な・大きい」、「シキヒ・シキ=目」・・・「ナ=だ・だよな・だろうな」、「ナイ=沢」、「モシリ=島・地・大地」・「ニ=木」、「テケ=手」、「テク=手」、「チキリ=足」・・・「シサム=和人・日本人」、「シャモマナイ=和人のいる沢」・・・「シネ=1・一つの・一人の・ある」、「シネト=一日」・・・
 シュサム=シシャモ
 シラウ=アブ
 シラウ=大きいゴマフアブ
 シラプチュプケ=大きいゴマフアブ
 シラツ=磯(シラルが変化したもの)
 シラル==磯
 シラレワクパシクル=カラスの一種
 シリ=〜ようす・〜の山
 シリアン=時がたつ・そう言う状況
 シリクンネ=暗くなる
 タ=〜を掘る・採取する
 タネ=種子
 タネオカイクル=現代の人
 タネパクノ==今までは
 タネピリカ=これで良い
 タネポ=今
 タノクラン=今晩
 タパン=これ
 タパンペ=これ
 タプ=〜こそ
 タマ=首飾り
 タマンコ=卵
 タラ=荷造りロープ
 ・・・「=」の記号は「等しい・等」で類字は「二」の漢字である・・・
ーーー
 「土・士」が「十+一」の合体字であること、「干(カン・ほす・ひる)・千(セン)」が「一+十」の合体字であることは腐るほど書き込んで来たが、類字は「于(ウ・ここに・ゆく)・チ」と「亍(チョク・トク・ただずむ・あゆむ)・テ」で、熟語は「彳亍(テキチョク)」で「たたずむこと・少し歩くこと・少し進むこと・よちよち歩きのこと」である。合体すれば「彳+亍」=「行」である。「ギョウニンベンのチョク」とは音を採れば
 「魚得(ギョウ=業・仰・凝・形・禦得」で、「曉(ゲウ・あかつき・さとる・さとす・夜明け・あかつき→暁光・暁天・今暁・昨暁・春暁・早暁・払暁→はっきり悟る→暁達・通暁」、「人弁(人偏・仁弁・神弁・陣編・訊変)の勅(捗・直)」である・・・
ーー↓「亍→(二+亅)→〒」・・・「亅」は「ケツ・はねぼう・かぎ」・・・
  「二(に・ジ)」を「亅=フック(引っ掛ける)→J」・・・吊りフック「board hook・bolt hook」・・・荷掛けフック「loading hook」・・・釣り針フィッシュフック「fish hook」・・・「魚(まな)を釣る針(はり)」である・・・
ーー↓「亍」・・・逓信省→郵政省
  「逓・遞」→「递=辶+弟」
  横へ横へと次々に伝え送る
  逓伝哨(テイデンショウ)
  大日本帝国軍の陸戦場における
  命令、通報および報告の伝達法
  乗馬その他によって伝令間の伝達を任務とする
  逓伝哨には、
  乗馬伝令による
  逓騎哨、
  自転車による
  逓自転車哨、
  徒歩による
  遞歩哨
  「逓信・逓送/駅逓・伝逓」
  だんだん・しだいに・じょじょに
ーー
   宿の意味
   西逓(セイテイ)=簡体字は「西递村」
   「シーディ」
   安徽省南部黟県にある村
   十一世紀、宋朝
   元祐年間にある河川の西岸にできた
   元の名は「西川」
   物資輸送の駅として使用され
   西逓(「逓」は宿場)と呼ばれ
   「桃花源裡人家」とも呼ばれた
   十世紀、唐の昭宗の子が変乱から逃れ
   この地に隠れ住み、
   「胡」姓を称した
   胡氏は
   1465年に商売で成功し、
   土木、建築、修祠、道路整備、架橋などを
   行った
   十七世紀中ごろ、
   胡氏から官僚が出て発展
   18世紀から19世紀にかけて、
   西遞は繁栄し
   六〇〇もの豪邸が作られた
   敬愛堂、履福堂、刺史牌樓の
   公共施設も設けられていた
   その他の主要建築物に、
   1578年に作られた
   青石牌坊
   1691年に作られた
   大夫第(医師屋敷)などがある
ーーー↓「亍」
 郵便局のマークは「〒」であり、明治時代の逓信省のマークは「赤色の太い横線の中央に丸が描かれたもので、明治五年頃から郵便外務員の制服・帽子・郵便物運送馬車の旗などに使用」されていた。このマークが「郵便徽章」として正式に定められたのは、明治十七(1884)年六月」。「〒」は「逓信省創設の二年後の明治二十(1887)年で、同年二月八日の逓信省告示で「自今(T)字形ヲ以テ本省全般ノ徽章トス」と定められましたが、二月十九日の官報で「『T』」字は、『〒』字の誤植である」と訂正された。
 訂正された理由・・・「Tが郵便料金の不足を表示する印として世界各国共通に使用されているので妥当でないことから、「T」の上に一本加えて「〒」とした。
 「逓信省のローマ字の「T」と、カタカナ読みのテを記号化した「〒」のうち、「〒」が採用されたが、告示で「T」と誤ったため、これを訂正した。
 「逓信(テイシン)省
  Ministry・・・・・・・聖職・聖職者
             内閣・省・大臣の職務・奉仕
             ミニストリィ→視似諏土理
   of・・・・・・・・・「の」
             ア(ぉ)ブ→阿武・虻・阿附
  Communications・・・・伝達・報道(すること)
             病気の・通信・交信・文通
             ラテン語
             コムニカチオ( communicatio)に由来し、
             「分かち合うこと」を意味する
             コミュニケぇションズ
               ↓
             混視諭爾懸重書 務事
                   処 務→庶務
   and・・・・・・・・・「と」、「そして」
             アンド→安堵・案度・按土
                →安藤・安堂・安東
  Transportation・・・・運送・輸送・運輸
             (米)輸送、交通の機関
             乗り物・交通の便・「
             トランスポぉティション
               ↓
             徒等務主歩於綴 書 務
                     処 務
             寅(虎)務棲歩尾体意初武
               ↓
             虎に翼→壬申の乱天武天皇
             十市姫(皇女)の密書
             653年(白雉四年)?
             「宇治拾遺物語・巻十五・一) の
             「鮒(フナ)の包み焼きに密書を隠した」

             逸話・・・
 で
 1885年・・・・壱千八百八拾五
 12月・・・・・・壱拾弐
 22日・・・・・・弐拾弐→弐足弐→念弐
 発足」。
 1943年・・・・壱千九百四拾参
 11月・・・・・・壱拾壱
 1日に・・・・・・壱
 逓信省鉄道省を統合し、運輸通信省を設置。
 1945年・・・・壱千九百四拾五
 5月・・・・・・・五→伍→悟
 19日に・・・・・壱拾九→壱足玖
 運輸通信省から通信院を分離し、
 内閣所属部局として
 逓信院を設置・・・
 1949年・・・・壱千九百四拾九
 6月・・・・・・・六→陸
 1日、・・・・・・壱
 「逓信省」の
 二省(郵電)・・・・省=二+小+ノ+目
 分離に伴い、
 「電気通信省」とともに「郵政省」が設置された・・・
ーー↓「土=十+一」→「11・壱壱・壱拾壱」→「X+I=XI」
 「X(エックス・ク・かける・ばつ・ばってん・ペケ・〆・十・拾)」は「I・アイ・あい」・・・「愛・合・姶・曖」・・・「会・藍」・・・
ーー↓
 「日本国憲法 第11条→(壱拾壱茸・壱壱定・十一嬢・足壱状→土條・土壌・泥鰌・鰌)」は「憲法第3章・条文11条」である・・・「基本的人権の享有について規定し、第12条・第13条とともに、人権保障の基本原則を定めている」・・・

 「第三章 国民の権利及び義務
  第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
  第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。
  この憲法が国民に保障する基本的人権は、
  侵すことのできない永久の権利として、
  現在及び将来の国民に与へられる。」
ーー↓明治憲法  
 「第1章 天皇(第1条−第17条)
  第2章 臣民権利義務(第18条−第32条)
  第3章 帝国議会(第33条−第54条)
  第4章 国務・・・官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ
     特例ヲ掲ケタルモノハ
     各々其ノ条項ニ依ル
  第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
  第12条天皇ハ・・・
ーーー↓
ケンポウ第11条 - Google 検索
ーーー↓
 枕草子
 (三八段)・・・参拾八・三十八・参八・参足捌
         3+8=11=十一=壱拾壱=壱壱=壱足壱
         3×8=24=二十四=弐拾四=弐四=弐足肆
        参足捌→山(炭鉱)の芦別
         芦別
         西芦別は北海道芦別市西芦別町の町名
         三井芦別炭鉱がかって存在した
         ボクが生まれた場所です・・・
ーーー↓
 猫は
 上の
 かぎり
 黒くて、
 他は
 みな
 白
 からん。
ーーーーー
 ・・・譚交付・・・炭鉱夫の黒き顔は、いと、おかし、おもしろし、あやし・・・
ーーー↓西芦別
 ブログの参照資料から以下を勝手に添付しました、ゴメンなさい・・・
 三井芦別労働組合・解散記念誌「耀風」より・・・
 西芦別小学校
 (尋常高等小学校)
 昭和十四年
 西芦別芦別鉱業所が開設
 昭和十四年九月に学校設立の許可
 昭和十五年
 二月
 一日
 三井芦別鉱業所の
 配給所の一部と
 一条二丁目一号の
 一棟を校舎として
 西芦別尋常高等小学校が
 児童数
 七十九名で発足
ーー↓
 西芦別
 小学校
 校歌
 清水重造 作詞
 新乗仁助 作曲

 一
 お互いに励ましあって
 よい世界きずく研究
 そうだ
 のびのびの
 科学する力
 やしなう
 働くわたしに
 新しいちえよかがやけ
 ああ気高い学校
 西芦別 西芦別

 二
 お互いに敬い合って
 よい社会つくる勉強
 そうだ
 しみじみ
 人間の道を
 きわめる
 ぼくにわたしに
 新しい徳よかがやけ
 ああ美しい学校
 西芦別 西芦別

 三
 お互いにいたわりあって
 よい日本おこす訓練
 そうだ
 いきいき
 すこやかな
 からだ
 ぼくにわたしに
 新しい意気よかがやけ
 ああ明るい学校
 西芦別 西芦別
ーーーーー
 ・・・いと、「算段の瀧」は「鳴滝塾」、おかし、おもしろし、あやし・・・