1100日目・・・壱千壱百・壱壱〇〇・千百・一一〇〇・壱壱零零・・・撰白・宣曰・・・専比訳・・・

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 4月に
 綿を・・・綿=わた・メン=糸+白+巾
      棉=わた・メン=木+白+巾
 収穫していた
 ことが
 由来で、
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 ・・・「4月」に「綿を収穫」していたとは場所は「何処」だ?・・・日本であるならば、節季は「3月31日→(卯=兎・兔)→4月1日〜4、5日まで」の時期で「ワタの種蒔き」なら理解できるが・・・収穫時期ではないだろう・・・インドかアメリカ南部・・・?・・・ブログ記事には・・・
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 分類−非耐寒性一年草(本来は多年草
 種まき−春まき(4月中旬〜5月)
 植え付け−5月〜6月
 開花時期−8月中旬〜10月
 収穫期−9月〜11月
 花色−黄色、白、ピンク
 発芽温度−20℃〜30℃
 直播き−移植を嫌う、多湿を嫌う
 花言葉−偉大・崇高・繊細・有用・優秀
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 日本の「綿花の種」は、
 17世紀に中国、朝鮮からもたらされた高級品
 江戸時代中期に綿花の栽培、流通、生地、織物として拡大した
 明治時代に機械紡績業が発展したが
 海外から安くて良質な綿花が輸入され、国内生産の綿花産業は衰退した

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 「四月一日に綿を抜く」から「わたぬき」となった。
 「IME」では「四月朔日」が表示されるが、この
 「朔」は「はじめ」
 すなわち、・・・・・諏名倭地(知)
 「ついたち」・・・・対多知
 という意味である。

 綿入れの綿を抜いて
 袷(あわせ)にして衣替えをすること。
 また、その
 袷。

 「四月朔日」とも書く
 綿入れから袷に衣替えをすること。また、それが行われる
 陰暦4月1日のこと。
 季節 夏
 
 「わたぬき」
 表地と裏地の間に
 保温のために入れる
 綿を抜いて
 冬装束を
 夏の装束に
 替える作業

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 3月は「桜の花」と「菜の花」の時期である・・・北海道は、まだ雪の季節である。日本の「本土、本州」の季節ではない・・・
 「菜の花(なのはな・Tenderstem broccoli)」は、「アブラナ(油菜)」または、「セイヨウアブラナ(西洋油菜)」の別名であるらしい・・・「現存コジキ」の「あぶら」は「神代(かみよ・シンダイ)」の「天地初発成す」

 古事記上巻二
 別天神(源字は示+申)五柱〜神(源字は示+申)世七代
 天地
 初發之時、
 於
 高天原成神(源字は示+申)名、
 天之御中主神(源字は示+申)。
 (訓高下天云阿麻。)=訓読みで、高の下の「天は阿麻」
 下效此。
 次
 高御產巢日神(源字は示+申)。
 次神(源字は示+申)產巢日&神(源字は示+申)。
 此
 三柱神(源字は示+申)者、
 並
 獨神(源字は示+申)
 成坐而、
 隱身也。

 次
 國稚
 如
 浮
 脂・・・あぶら
 而、
 久羅下那州・・・くらげ・水母・海月→句等解
 多陀用幣流・・・ただよえる・多拿用重留
 之時、・・・・・シジ・詞字・史事・指示・私事・支持・師事
 (流字以上十字以音)。=音読みで
 如
 葦牙因萌騰之物而成神(源字は示+申)名、
 宇摩志阿斯訶備比古遲神(源字は示+申)。
 (此神(源字は示+申)名以音。)=音読みで
 次
 天之常立神(源字は示+申)。

 (訓常云登許、)=訓読みで「常」は「登許」
       ↓
     「常(ジョウ)→譲(高野長英)」は
     「登(渡辺崋山)を許す」

 渡辺 崋山(わたなべ かざん)
 寛政五年九月十六日
 (1793年10月20日)
  〜
 天保十二年十月十一日
 (1841年11月23日)
 画家
 三河国
 田原藩(愛知県田原市東部)藩士
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 田原市(たはらし)は、
 愛知県南端
 渥美半島にある市
 渥美半島(あつみはんとう)
 日本の太平洋側で東西方向に伸びている
 愛知県の
 田原市全域・豊橋市南西部の半島部
 南側は太平洋に面し
 海食崖を形成し、現在も波による浸食
 日出の石門から静岡県の潮見坂までは
 片浜十三里という砂浜
 半島の中央部には
 赤石山系南端の
 弓張山脈から伸びる山地を形成
 最高峰は
 大山(標高328m)
 伊良湖岬
 恋路が浜の
 菜の花は一月が見ごろ

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 家老
 通称は
 登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮毫)
 諱は定静(さだやす)
 字は伯登・子安、
 号ははじめ華山で、三十五歳ころに崋山と改め
 号は他にも
 全楽堂
 寓画堂
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 (訓立云多知。)=訓読みで「立」は「多←・→知」
     「知立(チリュウ)」
       ↓
     「知多半島田辺藩
     愛知県西部、名古屋市の南に突き出した半島
     西は伊勢湾、東は知多湾・三河湾
     南は伊良湖水道を通じて太平洋に面する
 
    蟹→解+虫→角+刃+牛→かに・カニ・カイ
 
 カニ→化似→化爾→佳字→掛字←名護埜・なごや・知多・知立・渥美

 可児市(かにし)は、岐阜県の市。岐阜県中南部木曽川南岸に位置。隣接自治体は「多治見市、美濃加茂市土岐市八百津町坂祝町御嵩町犬山市」。長塚古墳や次郎兵衛塚一号墳などの古墳群、明智光秀(異説あり)や森成利(蘭丸)の生誕地、志野焼の発祥地。
 市の地層は瑞浪層群と言われ、多くの化石が発掘
 動物化石では、
 カニサイ、
 ヒラマキウマAnchitherium hypohippoides、
 ゴンフォテリウム科Gomphotheriidaeの
 ゾウなど
 ヒラマキウマは
 日本で最初に発見、
 一番古い時代に生息していたウマ
 地層には
 サバ石(凝灰質砂岩)があり、これを原料とし利用し
 昔は加工して土蔵、建物の基礎石、室(むろ)、かまど(サバクドと呼ばれる)等を作った。
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 ・・・「猿蟹合戦」の「カニ」だが、仇(敵)は「猿=サル=沙流・然る・申」である。「申」とは「神」→「示・ネ」+「申」で、「もうす」である。登場する役者は

 さる(猿)・・・作留→作り留める
 かに(蟹)・・・化似→似るを化す→掛爾(字)
 うす(臼)・・・有諏→諏(はかりごと)有り
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    812ページ(大修館漢和辞典・三段4番目)
    諏訪(シュホウ)=問い諮る
    諏謀(シュボウ)=謀略・騙す策略
               政事を問う
    諏(シュ・ス・ソウ
    はかる=謀る・諮る・相談・審議・会議)
    諏訪湖→守矢神社の本来の祭神
    諏訪大社→長野県諏訪湖周辺に四箇所の神社
    信濃國一之宮=神位は正一位
    諏訪大社御柱寅と申の年に建て替えられる
           寅と申は冲の支関係(対中)
           十二支の「七殺=冲」
    大柱=おほはしら→緒補葉詞等
       ダイチュウ→台中・第中→竹弟中
       題注(註)→題の注釈、註釈 
    御柱祭→諏方大明神「画詞」桓武天皇年間
    781年〜806年に御柱祭実施の記載
    建御名方神 (たけみなかたのかみ)
    上社本宮祭神
    「古事記」の「葦原中国平定
    大国主命御子神
    母は沼河比売(奴奈川姫)
    「先代旧事本紀」は
    「建御名方神」が諏方神社に鎮座する記録
    八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
    上社前宮・下社主祭神
    建御名方神の妃(女+己=キ・きさき=后)
       ↓
    音名をタテる方法の記→キサキ=キ作記
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 はち(蜂)・・・葉知→言葉を知る
 くり(栗)・・・句理→句を理(さとる)

 ・・・江戸時代の「猿蟹合戦絵巻」・・・。古典の絵巻では「さるかに合戦」の作品は例は無い、らしい・・・さるかに合戦(さるかにがっせん)は、日本の民話の一つ。狡猾で賢い猿が蟹を騙して殺害し、殺された蟹の子供達が仇を討つ、という話。「因果応報」の・・・ハナシ?・・・ではない、と、ボクは思うが・・・勧善懲悪→完全調渥・・・渥美半島・・・に掛けた・・・
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 蟹が
 おにぎりを、
 猿と
 柿の種と交換した。
 蟹は「早く芽をだせ柿の種、出さなきゃ鋏でちょん切るぞ」と柿を育てた。
 猿がやって来て
 柿が取れない
 蟹に代わりに自分が取ってやるといって
 木に登り、猿は食べるが蟹にはやらず、
 青く硬い柿の実を蟹に投げつけ、殺してしまう。
 「猿蟹合戦絵巻」の本編には「臼・蛇・蜂・荒布・包丁」が描かれているらしい・・・ハナシは殺された蟹の子供達が親の敵を討とうと「栗・臼・蜂・牛糞」と共に猿を家に呼び寄せ、
 栗は囲炉裏の中に隠れ、
 蜂は水桶の中に隠れ、
 牛糞は土間に隠れ、
 臼は屋根に隠れ、
 猿が家に戻って来て囲炉裏で身体を暖めようとすると
 栗が体当たりをして猿に火傷をさせ
 猿が水で冷やそうとしたところ
 蜂に刺され、
 家から逃げようとしたら
 牛糞で足を滑べらせ、
 家を出たところを屋根から
 臼が落ちてきて
 猿は潰れて死に・・・
 カニ子供たちは
 「ハハガニ」の仇(敵)を成し遂げた、
 と言うモノ・・・
 この「サル」とは・・・何者?・・・
 猿田毘古・猿女・猿面冠者・・・猿楽・・・孫悟空・・・
 芥川龍之介も短編小説「猿蟹合戦」を書いている・・・猿を討った後、逮捕され、死刑・・・赤穂浪士のパロディ・・・
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 高野 長英(たかの ちょうえい)
 文化元年五月五日
 (1804年6月12日)
  〜
 嘉永三年十月三十日
 (1850年12月3日)
 医者・蘭学者
 通称は悦三郎、
 諱は
 譲(ゆずる→ジョウ)
 号は瑞皐(ずいこう)
 実父は後藤実慶
 養父は叔父・高野玄斎
 江戸幕府異国船打払令を批判し開国を説く
 1898年(明治三十一年)七月四日
 功績により正四位を追贈

 主著に
 『戊戌夢物語』・・・・(ぼじゅつゆめものがたり)
            1938年(天保九年)十月十五日の
            尚歯会でモリソン号に幕府が撃攘する
            ことの危険を警告
 『わすれがたみ』・・・

 『三兵答古知機』・・・戦争、戦略・戦術論
 オランダ語文献の
 翻訳作業も多
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 此二柱神(源字は示+申)
 亦、
 獨神(源字は示+申)・・・・ドクシン=独身・読唇→特進・篤信・得心
       独身=an unmarried person
          〈男〉 a bachelor=バッチラー
                    葉通知等亜
              学士・博士・教授
              学位資格の取得者
              シーボルト
          〈女〉 a spinste
 成坐而、・・セイザジ=星座字(時・事・次・自)
 隱身也。

 菜の花・・・季語は、晩春。
 「アブラナ属」以外の「アブラナ科の植物」には
 「白」や「紫の花」を咲かせるものがある
 ・・・らしい・・・